【奥の細道】
その夜は飯塚泊。温泉があるので湯に入り宿を借りると、土間に莚を敷いた卑しい貧家であった。灯火もなければ、囲炉裏の火陰に寝床をもうけて伏す。夜に入って、雷鳴雨しきりに降る。伏せる上から雨漏りはする、蚤、蚊に責められては眠れず。持病さえ起こってしまい、気も失せるばかりとなった。
短夜の空、ようよう明ければ、また旅立つ。なお夜の苦痛が尾を引き、心進まず。馬を借り桑折の駅に出た。遥かな行く末をかかえて、このような病ではおぼつかなしとはいえど、覉旅辺土の行脚、捨身無常の観念。道端に死のうと、これ天命なりと気力いささか取り直し、道縦横に踏んで伊達の大木戸を越す。
【曾良旅日記】
一 瀬上より佐場野に行く。佐藤庄司の寺がある。寺門からは入れぬ。西へ回る。堂がある。堂の後方には庄司夫婦の石塔。堂の北はずれに兄弟の石塔。そのかたわらに竹が生えている。兄弟の旗棹を差したので、はた出しと呼ばれている。毎年、二本ずつ同じように生えてくるという。寺には判官殿の笈、弁慶の書いた経典などがある由。系図も残るという。
福島より二里。桑折よりも二里。瀬上より一里半。川を越え、十町ほど東に飯坂 というところがある。湯が出る。村の上には庄司の館跡。下りは、福島より、佐波野・飯坂・桑折と行くべし。上りは、桑折・飯坂・佐場野・福島と出たという。昼より雲って夕方より雨となる。夜に入り、強くなる。飯坂に泊まり、湯に入る。
一 三日。雨降り。巳の上刻に止む。飯坂を発つ。桑折(伊達郡の内)へ二里。時折小雨。
一 桑折と貝田の間に伊達の大木戸は位置する(国見峠という山あり)。越河と貝田との間に福島領(今、桑折より北は代官の地)との国境がある。左手に重ねた岩あり。大仏石というそうである。斎川より十町ほど手前に馬牛沼・万牛山あり。その下の道に鐙毀(あぶみこわし)という岩あり。二町ほど下って右手に継信・忠信の妻の御影堂 がある。同夜、白石宿。一二三五。
【奥細道菅菰抄】
馬を借り桑折の駅に出た
桑折は往還の宿。名所にあらず。
覉旅辺土の行脚、捨身無常の観念
覉旅および行脚は、前掲。辺土は、片田舎の土地である。捨身は、道のため身命を顧みぬことをいう。無常は、定めのないことをさし、いずれも儒仏家の用いる語。観は、心眼で見ること、念は心に絶えず思い続けることである。
伊達の大木戸を越す
伊達郡の入口。要塞の地、領主の封関(ほうかん)をもうける。
次回、七月に芭蕉一行は、壺の碑に千年の歴史をまざまざと見、旅の前半のお目当て「松島」に到着予定。奥州藤原三代の栄華の夢を平泉でたどりつつ、「閑かさや岩にしみいる」の句を得た、立石寺から、羽黒山で魂の巡礼へと向かいます。
『奥の細道 曾良旅日記 奥細道菅菰抄 全現代語訳』能文社 2008
http://bit.ly/cnNRhW
その夜は飯塚泊。温泉があるので湯に入り宿を借りると、土間に莚を敷いた卑しい貧家であった。灯火もなければ、囲炉裏の火陰に寝床をもうけて伏す。夜に入って、雷鳴雨しきりに降る。伏せる上から雨漏りはする、蚤、蚊に責められては眠れず。持病さえ起こってしまい、気も失せるばかりとなった。
短夜の空、ようよう明ければ、また旅立つ。なお夜の苦痛が尾を引き、心進まず。馬を借り桑折の駅に出た。遥かな行く末をかかえて、このような病ではおぼつかなしとはいえど、覉旅辺土の行脚、捨身無常の観念。道端に死のうと、これ天命なりと気力いささか取り直し、道縦横に踏んで伊達の大木戸を越す。
【曾良旅日記】
一 瀬上より佐場野に行く。佐藤庄司の寺がある。寺門からは入れぬ。西へ回る。堂がある。堂の後方には庄司夫婦の石塔。堂の北はずれに兄弟の石塔。そのかたわらに竹が生えている。兄弟の旗棹を差したので、はた出しと呼ばれている。毎年、二本ずつ同じように生えてくるという。寺には判官殿の笈、弁慶の書いた経典などがある由。系図も残るという。
福島より二里。桑折よりも二里。瀬上より一里半。川を越え、十町ほど東に飯坂 というところがある。湯が出る。村の上には庄司の館跡。下りは、福島より、佐波野・飯坂・桑折と行くべし。上りは、桑折・飯坂・佐場野・福島と出たという。昼より雲って夕方より雨となる。夜に入り、強くなる。飯坂に泊まり、湯に入る。
一 三日。雨降り。巳の上刻に止む。飯坂を発つ。桑折(伊達郡の内)へ二里。時折小雨。
一 桑折と貝田の間に伊達の大木戸は位置する(国見峠という山あり)。越河と貝田との間に福島領(今、桑折より北は代官の地)との国境がある。左手に重ねた岩あり。大仏石というそうである。斎川より十町ほど手前に馬牛沼・万牛山あり。その下の道に鐙毀(あぶみこわし)という岩あり。二町ほど下って右手に継信・忠信の妻の御影堂 がある。同夜、白石宿。一二三五。
【奥細道菅菰抄】
馬を借り桑折の駅に出た
桑折は往還の宿。名所にあらず。
覉旅辺土の行脚、捨身無常の観念
覉旅および行脚は、前掲。辺土は、片田舎の土地である。捨身は、道のため身命を顧みぬことをいう。無常は、定めのないことをさし、いずれも儒仏家の用いる語。観は、心眼で見ること、念は心に絶えず思い続けることである。
伊達の大木戸を越す
伊達郡の入口。要塞の地、領主の封関(ほうかん)をもうける。
次回、七月に芭蕉一行は、壺の碑に千年の歴史をまざまざと見、旅の前半のお目当て「松島」に到着予定。奥州藤原三代の栄華の夢を平泉でたどりつつ、「閑かさや岩にしみいる」の句を得た、立石寺から、羽黒山で魂の巡礼へと向かいます。
『奥の細道 曾良旅日記 奥細道菅菰抄 全現代語訳』能文社 2008
http://bit.ly/cnNRhW