門前の小僧

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3/20(木)「長闇堂記を読む」銀座

2014-03-17 11:13:07 | カルチャー講座
3/20(木)銀座おとな塾産経学園 10:30~
●千利休侘び茶の世界 3月『長闇堂記』
http://p.tl/FP3b

おとな塾にて開講中の茶道史講座、今期最後のクラスでは江戸初期の茶書『長闇堂記』を取り上げます。著者は、奈良の茶人久保権大夫。山上宗二の子息、伊勢屋道七の友人であり、その父宗二の最期を唯一記録した書として、茶道史では必ず引用される貴重な文献です。



今回は権大夫が、本著を遺した意図を語る冒頭より、以下の重要な各段落を受講生の皆様と共に音読し、解読していきましょう。

・利休狂歌「えりかへてすみ染め布子色の綿 帯たび扇あたらしくせよ」
・井戸茶碗 銘筒井筒の来歴
・権大夫と袋屋宗哲の出会い
・北野大茶の湯、へちかんの囲いを訪れた秀吉
・山上宗二の最期と死の真相
・宗二の発案した井筒の炭点前


・長闇堂の命名者は小堀遠州

「然に小遠州殿或時爰にましませしに。此事を語額一ッ書て給はり候へと申せば。打笑給ひ。さらばとて長闇堂二字を書付給へり。いかなる儀にて有ぞと問申せば。昔の長明は物しりにして智明らか成故明の文字叶へり。其方は物しらず智くらふして。しかも方丈を好めるによりて。長の字をとり闇は其心也と笑給へり。去程に七尺の堂をさして長闇堂と名付。長闇子を我表徳号となせり」

同書によると、権大夫が俊乗房重源の影堂遺構を屋敷内で茶室とした、とあります。この席を訪れた小堀遠州が鴨長明をもじって長闇堂と命名し、権大夫自らも長闇子と号したというのです。