君看よ双眼の色、語らざるは愁い無きに似たり。 ~出典不詳。『槐安国語』に白隠の句あり
江戸中期の禅の高僧、白隠慧鶴(はくいんえかく)の名句です。
臨済宗大徳寺派の祖、大燈国師の語録に、白隠が評語と下語を付した、『槐安国語』に収められています。(ただし白隠のこの句の出典は不詳とされています。くわしくは下記リンクを参照してください。)
◆良寛「君看雙眼色 不語似無憂」の典拠について(ぱぽ書房)
https://bit.ly/3rUbjy5
同書より、大燈国師の元の句(千峯雨霽露光冷から始まる、左の七字四行の句)と、それに付した白隠の句(右の君看雙眼色。不語似無愁以下の四行)をご紹介しましょう。
千峯雨霽露光冷 君看雙眼色。不語似無愁
月落松根蘿屋前 眼中無見刺。耳裏絶聞塵
擬寫等閑此時意 若識琴中趣。何勞絃上聲
一溪雲鎖水潺潺 莫嫌襟上斑斑色。是妾燈前滴涙縫
禅語はそもそも詩や文学ではなく、悟りを開くための修行として唱え、学ぶべきもの。
和歌や漢詩のように、解釈し、観賞するものではありませんが、時としてその語感の美しさに、祖師の深い教えに到達できなくとも、感動し、魂がふるえることがあります。
「君看よ双眼の色」も、禅修行者はもとより、古くから書家や文学者に愛唱され、度々引用されてきました。
もっとも有名なのが、良寛の書であり、二行双幅のものと、一行のものがあります。榊莫山はこの一行ものを良寛の「涅槃の境」と称しています。
芥川龍之介はこの句を好んで自ら色紙に書き、『羅生門』の扉を飾らせ、作中人物にも書かせています。
君看よ双眼の色、語らざるは愁い無きに似たり。
人は悲しみや苦悩が深ければ深いほど、静かに澄んだ目をしているように見える。
名句の解釈は、語り手自身の底を見せてしまうものですが、今一度声にも出して味わってみたいものです。
『禅林句集』(岩波文庫)の解説では、禅に傾倒した詩人、高橋元吉の次の詩が、この句を思い起こさせるようだ、としています。
みづのたたえのふかければ おもてにさわぐなみもなし
ひともなげきのふかければ いよよおもてぞしづかなる
(『高橋元吉詩集』昭和37年)
江戸中期の禅の高僧、白隠慧鶴(はくいんえかく)の名句です。
臨済宗大徳寺派の祖、大燈国師の語録に、白隠が評語と下語を付した、『槐安国語』に収められています。(ただし白隠のこの句の出典は不詳とされています。くわしくは下記リンクを参照してください。)
◆良寛「君看雙眼色 不語似無憂」の典拠について(ぱぽ書房)
https://bit.ly/3rUbjy5
同書より、大燈国師の元の句(千峯雨霽露光冷から始まる、左の七字四行の句)と、それに付した白隠の句(右の君看雙眼色。不語似無愁以下の四行)をご紹介しましょう。
千峯雨霽露光冷 君看雙眼色。不語似無愁
月落松根蘿屋前 眼中無見刺。耳裏絶聞塵
擬寫等閑此時意 若識琴中趣。何勞絃上聲
一溪雲鎖水潺潺 莫嫌襟上斑斑色。是妾燈前滴涙縫
禅語はそもそも詩や文学ではなく、悟りを開くための修行として唱え、学ぶべきもの。
和歌や漢詩のように、解釈し、観賞するものではありませんが、時としてその語感の美しさに、祖師の深い教えに到達できなくとも、感動し、魂がふるえることがあります。
「君看よ双眼の色」も、禅修行者はもとより、古くから書家や文学者に愛唱され、度々引用されてきました。
もっとも有名なのが、良寛の書であり、二行双幅のものと、一行のものがあります。榊莫山はこの一行ものを良寛の「涅槃の境」と称しています。
芥川龍之介はこの句を好んで自ら色紙に書き、『羅生門』の扉を飾らせ、作中人物にも書かせています。
君看よ双眼の色、語らざるは愁い無きに似たり。
人は悲しみや苦悩が深ければ深いほど、静かに澄んだ目をしているように見える。
名句の解釈は、語り手自身の底を見せてしまうものですが、今一度声にも出して味わってみたいものです。
『禅林句集』(岩波文庫)の解説では、禅に傾倒した詩人、高橋元吉の次の詩が、この句を思い起こさせるようだ、としています。
みづのたたえのふかければ おもてにさわぐなみもなし
ひともなげきのふかければ いよよおもてぞしづかなる
(『高橋元吉詩集』昭和37年)
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