寂光院の創建は古く、椎古2年(594)。聖徳太子によると伝えられている寺だそうです。
文治元年(1185)の壇の浦の合戦で平家は滅びたが、平の清盛の娘の建礼門院は
ひとり源氏の手によって救われました。
建礼門院が出家し、隠棲し、寂光院の傍に庵を結んだ地です。
石段を登っていくと山門があり、くぐると、小さな本堂と書院が建っていました。
本尊は地蔵菩薩立像で、その脇に建礼門院像と侍女像がありました。
平成12年5月9日未明、心ない者の放火により、ご本尊様は大きく焼損してしまい、
修理を施されて、現在は境内奥の耐火構造の収蔵庫に安置されているとのことです。
本堂は再建されて、元通りに復元された新たな地蔵菩薩立像が安置されて、
鎌倉時代の制作当時そのままの美しい彩色となっていて、お参りができました。
寂光院のご本尊様は、六万体地蔵尊と称される鎌倉時代造立の地蔵菩薩立像(重要文化財)
であったということで、その焼けのこった小さな地蔵尊は拝見できました。
紅葉は終わりかけでしたが、黄葉は美しかった!
大河ドラマの平清盛の影響でしょうか? 寂光院は観光客が多かった!
寂光院を後にし、友人のお嬢さんの希望で、大原温泉の足湯しながら飲み物が飲めると
いうのを体験しました。体もホカホカと温まって、ほっこり気分でした。
楽しく観光した大原から、車で市内に夕食へと向かいました!
寂光院門
黄葉のもみじがきれい!
境内
本堂
庭
池
鯉
苔と落葉
建物 住職の方がお住まいなのでしょうか?
友人のお嬢さんの希望で、大原温泉の足湯しながら飲み物が飲めるというのを体験
しました。体もホカホカと温まって、ほっこり気分でした。
文治元年(1185)の壇の浦の合戦で平家は滅びたが、平の清盛の娘の建礼門院は
ひとり源氏の手によって救われました。
建礼門院が出家し、隠棲し、寂光院の傍に庵を結んだ地です。
石段を登っていくと山門があり、くぐると、小さな本堂と書院が建っていました。
本尊は地蔵菩薩立像で、その脇に建礼門院像と侍女像がありました。
平成12年5月9日未明、心ない者の放火により、ご本尊様は大きく焼損してしまい、
修理を施されて、現在は境内奥の耐火構造の収蔵庫に安置されているとのことです。
本堂は再建されて、元通りに復元された新たな地蔵菩薩立像が安置されて、
鎌倉時代の制作当時そのままの美しい彩色となっていて、お参りができました。
寂光院のご本尊様は、六万体地蔵尊と称される鎌倉時代造立の地蔵菩薩立像(重要文化財)
であったということで、その焼けのこった小さな地蔵尊は拝見できました。
紅葉は終わりかけでしたが、黄葉は美しかった!
大河ドラマの平清盛の影響でしょうか? 寂光院は観光客が多かった!
寂光院を後にし、友人のお嬢さんの希望で、大原温泉の足湯しながら飲み物が飲めると
いうのを体験しました。体もホカホカと温まって、ほっこり気分でした。
楽しく観光した大原から、車で市内に夕食へと向かいました!
寂光院門
黄葉のもみじがきれい!
境内
本堂
庭
池
鯉
苔と落葉
建物 住職の方がお住まいなのでしょうか?
友人のお嬢さんの希望で、大原温泉の足湯しながら飲み物が飲めるというのを体験
しました。体もホカホカと温まって、ほっこり気分でした。