工房八重の部屋

京都の紹介、日々の出来事や思いを綴ってます

岩村城は、 織田信長の叔母にあたる、おんな城主「おつや」が収めた城

2020年09月29日 | Weblog
築城から800年あまり、日本三大山城の一つで、日本百名城にも選ばれている岩村城は、

織田信長の叔母にあたる、おんな城主「おつや」が善政を敷き、最後まで領民を守ったと伝えられ ていることから

「女城主の里」と呼ばれています!

その岩村城下町を散策しました!

有名なカステラと栗ようかんの店があり購入しました!

木村家は無料で一般公開していますので内部を拝観しました!

藤川家も内部を見たかったのですが、4時頃で閉まり、入り口から店を見ただけで

終わりました!

ひなびた情緒ある城下町でした!

おんな城主のを生涯をネットで調べてみたら、最後は悲惨な結末でした!

戦国時代末期、城主の「遠山景任」が病没し、養子として迎えていた織田信長の五男「御坊丸」がまだ幼少であったため、

その夫人(織田信長の叔母)が実質的な城主として、領地を 治めていました。

おんな城主は大変聡明で美しく、領民に慕われていたそうです。

1572 年(元亀 3 年)、武田信玄の 24 将のひとり「秋山虎繁(信友)」が侵攻してきました。

おんな城主は自ら采配を振るい、信長の支援を待って籠城作戦に出ました。しかし、

この時、信長は長島の一揆などで前に進めずにいました。籠城は 3 ヶ月にわたり、城内の食糧も不足 して来たところ

、虎繁から女城主を妻とすることを条件に無血開城を申し入れてきました。

おんな城主は苦渋の末、城兵や領民の命を守るため敵将との結婚を決意し、開城しました。

その後の数年間、おんな城主は虎繁とともに、城の普請や城下町の守備に勤しみ、平和な日々を 過ごしました。

しかし、御坊丸は信玄のもとへ人質として送られてしまい、

岩村城も乗っ取られてしまった ことに信長は黙っていませんでした。

1575 年(天正 3 年)、長篠の戦いに武田勝頼軍が敗戦したことにより、武田と織田の勢力が 逆転し、

信長の嫡男「織田信忠」率いる織田軍が攻め入りました。この時も半年に及ぶ籠城 で城を守りましたが、

武田の援軍も望めず、信長からの条件を呑み、開城しました。

その条件とは、領民を守り、おんな城主と虎繁の命を守るという約束でした。

しかし、信長はこれを反故にし、夫妻は磔刑に処されてしまいました。



岩村城下町を散策しました!


マンホール


蔵の家


有名なカステラと栗ようかんの店があり購入しました!


鶏肉の店 情緒あります




木村家




木村家内部






木村家の庭




木村家座敷




蔵のような建物にある階段を登る


階段あがったところにある部屋


木村家の蔵


藤川家


藤川家内部 4時で閉まるので内部の奥にある沢山の米蔵が見られませんでした!