スピリチュアル世界の誰も見たがらない所を書いています

スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

なんで自分というものをしっかり持たなきゃならないのか?

2023-09-25 00:00:00 | 人間としての修業
今ふと「何で自分というものをしっかり持たなければならないのか?」という件についてはっきり理由が分かったので披露したいと思いまふ。

なんで自分の精神をしっかり持たなければならないのか?
スピ的に言うと自分軸がしっかりしているという奴になりますが、これをする必要があるのは同僚圧力を始めとした他人からの意見に振り回されないようにするためなんですよね。

エンパスの場合は他人からの意見に左右されているとろくなことがないから自分軸をしっかりと持つ必要があるんですけど、普通の人でもこれをやる必要があるのは先に上げた理由が最たるものなんですよ。

後、他人のいうことに左右されている奴っていうことが二転三転するから付き合い切れないというのもある。
直感を勘違いしている人もそうなんですけど、マジで二転三転する人って嫌われるから。

でもね、超スピリチュアルらしく無責任なことを言えば他人の意見に左右されるのも人生の一つなんですよ。
だから徹底的に他人の意見に左右されるのならばそれで人生を過ごせばいいわけだし。

でも大半の人は自分軸がしっかりしていないと人生で大損をする。
それだけは間違いない話なんだよな。
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全国の不登校児に言いたい

2023-07-18 10:44:30 | 人間としての修業
不登校児の親として私は全国の不登校児に言いたい。
お前のやり方は今の時代に合わないんだから、今すぐ学校に行け。
風の時代のやり方しかお前は出来ないのかもしれないが、生きている限りこの世は土の時代の要素が半分はあるんだ。
どうしたって肉眼で見える事の方が優先になるんだから、そこは諦めて受け入れろ
妥協もこの世を生きるためには肝心なんだ、今の教育に携わっているやつらは風の時代のやり方なんぞ理解できないのだから諦めろ。
今すぐ学校に行き我慢の時期を過ごせ。
我慢に我慢を重ねるのだって修行のうちだ。
さっさとやれ。
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わがままを変えなきゃいけない人生って本当につらい

2023-07-17 00:00:00 | 人間としての修業
上の子は今長年の不登校がクセになってしまったのかもう何をしても学校に行かなくなりました。
理由は眠いから、学校に行きたくても体がいうことを聞かないから。なんですが、ワタリはこれを解消するために限界まで色々なことをやって来ました。

でも、もうワタリもギブアップです。
修学旅行には行かせましたし、もう上のこと関わるのは止めました。
本当は進学のこととかワタリがサポートしなければならないことはたくさんあるのですが、もう何度言っても本人が休みたがっているのでこれ以上言わないでおくことにしました。

もちろん、今のまま行ったらどうなるのか?ということは本人にしっかりと警告しました。
この上で、私はもう関わらない!と宣言しました。

だから私に罪はありません。しっかり警告はしたのですから。

多分、今のワタリは誰かを変えないとならないという人生課題の中にいるんだと思います。
でも、誰かを変えなきゃいけないって物凄く大変なのよ?
なんでこんな負担にしかならない、私の利益にもならないことをしなければならないんだ!って凄く思います。

もうこの人生課題はぶん投げることにしました。
だってもう私の手に負えるようなものじゃありませんし、やることは本当に全部やったんですから。

多分、ワタリが上級霊魂だからこの課題が降って来たんだと思います。
でもさー、もう私もうこんな人生課題無理。

なにをやっても動かないんだもん、本当にぶちゃって良いよね?ってなもんですよ。
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重度障がい者に憧れる人生

2023-07-10 00:00:00 | 人間としての修業
今回は上級霊魂の生活なんて全然キラキラしちゃあいないという話をしましょう。

ワタリも人間ですから体調が悪くなる時もあるわけで、体調が悪い時は手負いのサルでいたい訳なのです。
脳みその中も普段から「猿の脳みそ」と呼んでいる古い脳みその方を優先させて、もう私じゃなきゃできない作業以外は一切やりたくない。

手負いの動物がそうであるように、ただじっとうずくまって回復を待っていたいんです。
欲しいものは薬と思いやりでさ、この時こそ理性的な時の私がそうであるように、周りから色々援助して欲しいの。
労わって欲しいの。察して欲しいんですよ。

なのにさー・・・・・現実は違うんですよ。

回復しているわけじゃないのに、ちょっとでも起きていれば猫たちがかまってくれとうるさい。
今日も昨日もかまってくんろの雨嵐でさ、本当「私はあなたのこと大好きなの。だからかまって!!」の要求ばかり。

子どもたちもほったらかしにするばっかりで、労わるなんてことはしてくれません。
私は寝込んでいる子どもたちのためにおかゆを作って部屋に持っていくのにさ、子どもたちの方は私が寝込んでいると「母ちゃん疲れているんだ」で放置するんですよ?

それが本人たちなりな思いやりなのかもしれませんが、料理以外の家事は何もなされていないので起きた時の私の負担は全然軽くなっていません。

それに輪をかけて母親のわがままがちらついてくる。

だから風邪をひいて寝込んでいても誰も何もしてくれません。
多分話せば多少でもリアクションは異なるのかもしれませんが、母ちゃん寝込んでいる=大変そうだから家事全般私がやる。という図式にはならないんですよね。

上の子は登校拒否クセがついちゃった感じだし、親切心から関わろうとすればあいつが喧嘩に持ち込むし。

もうね、世話する存在ばっかりで疲れ果てているんです。
魔界行きが確定しているんでまだ良いんですが、きっと魔界行きが確定していなかったらワタリは次の生活では世話をされたい。世話してばっかりだったから次は世話されてばっかりの人生が良い。と言って確実に世話されてばっかりの人生になる重度障碍者の人生を選んでいるんじゃないのかと思うようです。

知的障碍者になって本能を垂れ流しにするのも楽しそう。
施設に入るのは大歓迎なんですよ。
だって世話されるのならプロの方が良いわけだし、私も素人になんて世話されたくない。

知性を捨てる代わりに人間らしさを捨てる代わりにただただ世話をされてばかりの人生。

まあ、魔界に行けば世話されてばっかりの人生は手に入るんですけどね。
でも、魔界の方は大きな責任が伴うからさ。

女領主なんですよ?正室ってそういうこと。

大きな責任と大きな権力を持つことになるからさ、ああ、後社交もできなきゃならないからさ、完全なる世話されてばっかりの人生じゃないのよね。

理性が働いている時はピンピンコロリが希望なんて言っていますけど、体調不良でどうもならない時は人生のラスト数週間は寝たきりでも良いかなと思えてきます。

認知症になってしかるべき施設に入りプロの手に自分の身をゆだねる。
人生の最後の最後で世話されたいという欲望を全て叶えてから終わるのも悪くないなと思えてきます。

こんなしみったれたことを話すと、あなたにだって誰かに世話されたことがあるでしょ?っていう人いるんですよね。

世話されたことあるでしょうね。
最低限うちの子たちには食事の件に関してだけは世話されている。

でもね、それじゃ足りないの。

ただ手負いの猿になって本能に従ってじっとしていたいのに、少しでも起き上がればかまってくれと泣きわめかれる人生を考えてみて下さいよ。

世話する比率の方が高くて、世話された数が圧倒的に足りない。

バランスを欠いているんですよ。だから変な方向に欲望が向く。

上級霊魂の人生なんてこんなもんですよ。

メッセンジャーがゆえに知性を捨てることは許されていなくてさ、今世でメッセンジャーとしての仕事終わらせたらやっと自由になれるんです。

それを考えると、重度障碍者という道が凄くうらやましいと感じる。

障がい者たちの大半は自分が上級霊魂であることを見せつけるために障がい者として転生しているんです。

でも、重度障碍者の中には、今のワタリのように世話するばかりの人生に疲れ果て、安らぎを求めてその道を選んだ人もいるんだろうなと、同じ立場になると本当に思います。

その位大変なんですよ。上級霊魂ってさ。

どうせ長ーく生きていたら勝手に上級霊魂になるんだとは思うんですけど、本当に色々ろくなもんじゃない。
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相手が変わるのを待つしかない試練ってめちゃくちゃつらい

2023-06-19 00:00:00 | 人間としての修業






今ワタリの後ろでは猫たちが「屋根遊びをさせろ!」とぎゃあぎゃあわめいています。
自分の書いている本で気が付いたんですが、魂の試練って自分の力でどうにかなる問題と自分の力じゃどうにもならない問題があるんですよね。

今、ワタリは自分の力じゃどうにもならない、相手が変わるのを待つしかない試練にのたうち回っています。

その内猫たちも年齢を重ねるごとに大人しくなっていくのはよく分かっているんですが、ああうるさい。

猫の頭の中って大体人間の2~3歳児なんですってね。
多分末猫のマーは4歳並だと思うんですけど、本当にこの頃の頭の中って猿の脳みその方が優勢になっているからどうにもならないんですよね。

ただ自分だけが優勢でさ、他人のことなんてどうでもいいの。
ああ、なんか頭の中に上の子が同年代だった頃さ、家じゃ朝食食べなくて、途中でよるコンビニで大人並みの弁当を欲しがっていたのを思い出した。

ただ単に子どもの目につきやすい所にあったからそれにしたんだと思いますが、本当にあの頃は食べきれもしない弁当ばかり買わされていてストレスだったな。

今考えると、上の子はワタリが食べていたものを食べたかったんだと思います。
それも別皿じゃダメなの。
ワタリが手にしている食器から自分の口に運んで欲しかったんですよね。
実際に忙しくてどうにもならなくてこれをやっていたことがあるんですが、あの当時上の子はモリモリ食べたもん。

それが何年も前からあったなんて想像できると思う?
普通、「ママと同じものが食べたい」って言ったらママのお皿から子供用にって別皿に取り分けるよね?

本当に想像を絶する。人間は動物みたいに本能的に育児ができるわけじゃないんだからやめてくれよ。ってマジで思う。

上の子の食事に関することはいくら愚痴っても愚痴が足りません。
主に乳幼児からこの2歳位までの間なんですけど、母乳を飲まなくて乳腺炎にさせられた件からこの年齢のあいつには恨み節しかない。

その位、ワタリにとって苦難の30代はもう二度とやりたくない10年間だったんです。

今思い返しても「神様は乗り越えられる試練しか与えない」なんて言えない。
這いつくばって這いつくばって、蹴落とされても蹴落とされても上って、上を見上げればこっちが苦悩しているさまをゲラゲラ笑っているような奴しかないなかったんだから。

殴りかかってやりたい。罪10倍の呪いがかかっているからある意味溜飲は下げられるけど本当に罪10倍になったのをあの世でのたうち回りやがれ!!って言いたくなる。
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