先週から引き続き、スピ親としてのワタリの話になります。
タイトルで言いたいことは、もう自分が成人したら親の言うことなんて聞かなくていいんじゃね?という話になります。
ワタリも20代のころは「親は自分を導くべき人だ」という妄想があったので他人のことは言えないのですが、「親の言うこと=従わなきゃならないこと」っていうのはこの世に生まれている人ならだれでも持っている呪縛のようなものだと思うんですよ。
だって、小さい頃は私のいうことを聞け!って親に凄く強制されますしね。
その強制されていた時代があるからこそ、誰もが下記のような呪縛に縛られているんですよ。
・親は自分より立場が上だ
・親の言うことは従わないとならない
・親は自分を導く人だ
人によってはまだまだたくさんあると思いますが、親は確かに子どもを導かなきゃいけない立場なんですよ。
でもさ、私すごく自分の親がしてきた教育を振り返ると、箸の持ち方がちゃんとしているくらいしか評価できるところないぜ?
後は時代遅れな思想の親だったんで、大体騙されました。
子どもに対する配慮のつもりなんでしょうけど、全然配慮じゃなかったこともありますしね。
具体的にいうと、靴のサイズがこれ。
うちの親、冬場になると靴下たくさん履く人だったんでいつも自分の靴のサイズ0.5大きく買っていたんですよ。
で、それをワタリにも適応していたという。
実際のところワタリの靴のサイズは23だったんですが、これのせいで20代後半になるまで自分の足のサイズは23.5だと思っていましたからね。
ええ、大人になってもぶかぶかの靴を履いていたんで、靴擦れしまくっていました。
結局のところ、親の教育がどうだったか?というのを評価するのはそいつから教育を受けた子どもの権利なんですよ。
冷静に評価してみて、教わっていいところが多かったな。と思ったら自分の親はちゃんと自分の事を分かっている人なんですから、その意見も参考に値するでしょう。
でも、教わってよかったことなんて全然なかった。と思ったら、その人は自分の事を全然分かっていない人なんですから、その意見は参考にしない方がいいということ。
これ、俯瞰ができているかどうかというチェックにもなるんでやってみてください。
意外とね、親に関することって冷静に見ることができない人多いんで、完全に俯瞰ができるかどうかの良いチェックになると思います。
タイトルで言いたいことは、もう自分が成人したら親の言うことなんて聞かなくていいんじゃね?という話になります。
ワタリも20代のころは「親は自分を導くべき人だ」という妄想があったので他人のことは言えないのですが、「親の言うこと=従わなきゃならないこと」っていうのはこの世に生まれている人ならだれでも持っている呪縛のようなものだと思うんですよ。
だって、小さい頃は私のいうことを聞け!って親に凄く強制されますしね。
その強制されていた時代があるからこそ、誰もが下記のような呪縛に縛られているんですよ。
・親は自分より立場が上だ
・親の言うことは従わないとならない
・親は自分を導く人だ
人によってはまだまだたくさんあると思いますが、親は確かに子どもを導かなきゃいけない立場なんですよ。
でもさ、私すごく自分の親がしてきた教育を振り返ると、箸の持ち方がちゃんとしているくらいしか評価できるところないぜ?
後は時代遅れな思想の親だったんで、大体騙されました。
子どもに対する配慮のつもりなんでしょうけど、全然配慮じゃなかったこともありますしね。
具体的にいうと、靴のサイズがこれ。
うちの親、冬場になると靴下たくさん履く人だったんでいつも自分の靴のサイズ0.5大きく買っていたんですよ。
で、それをワタリにも適応していたという。
実際のところワタリの靴のサイズは23だったんですが、これのせいで20代後半になるまで自分の足のサイズは23.5だと思っていましたからね。
ええ、大人になってもぶかぶかの靴を履いていたんで、靴擦れしまくっていました。
結局のところ、親の教育がどうだったか?というのを評価するのはそいつから教育を受けた子どもの権利なんですよ。
冷静に評価してみて、教わっていいところが多かったな。と思ったら自分の親はちゃんと自分の事を分かっている人なんですから、その意見も参考に値するでしょう。
でも、教わってよかったことなんて全然なかった。と思ったら、その人は自分の事を全然分かっていない人なんですから、その意見は参考にしない方がいいということ。
これ、俯瞰ができているかどうかというチェックにもなるんでやってみてください。
意外とね、親に関することって冷静に見ることができない人多いんで、完全に俯瞰ができるかどうかの良いチェックになると思います。