6月13日 (土曜日)
昨日は定期通院 血圧147/72とやや高め!
まあ少し塩分がこのところ多かったかな?
少し下げよう・・・・
金曜日ではあったが雨の影響でかな?やや空いてる感じだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
午後はPCクラブで、ムービーメーカーの扱いを勉強。
少し早目に切り上げて
自治会の三会長と打ち合わせ、今後行う座談会などの日程調整を。
日も長いので少し畑の様子見に・・。
胡瓜が元気だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昨日
三島の独楽のことが出ていたので少し調べた。

学習院中等科4年16歳の三島由紀夫 (昭和15年6月30日撮影)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
三島が亡くなる2ヶ月前に発表された『独楽』という短いエッセイがある。
春の午後、突然見知らぬ高校生の訪問をうけた作家は、
3時間以上も塀外に立っているという少年が、
制服を着て礼儀正しく、真面目そうであるという家政婦の言葉にほだされて、
例外的に「5分間だけ」という条件付きで会うことにする。
少年は「前に手紙を書きました」と言うが、
作家には覚えがない。
少年は運ばれたお茶に手もつけず、黙っている。
作家は時間がないから、一番聞きたい質問を一つだけしてごらんと言う。
少年はなおも黙っている。
作家は時計を見ながら、持て余し気味に「質問は何もないのか」と問いただす。
ーーーーーーーーーーーーー
「あります」
「じゃ、一番ききたいことを一つだけきいたらどうだ」
少年は黙っていた。目尻にやや力が入ったかと見る間に、
その目が私をあからさまに直視した。
「一番ききたいことはね、……先生はいつ死ぬんですか」
この質問は私の肺腑を刺した。
私が何か滑稽なしどろもどろの返答をしたことは言うまでもない。
その返答で少年が満足したとも思えないが、この返答をきいてから、
少年の態度は俄に楽になった。(中略)……時間が来たので、私は少年を促して帰らせ、
自分は約束の外出先へいそいだ。うららかな春の日で、その日も何事もなくすぎた。
しかし少年の質問の矢は私に刺さったままで、やがて傷口が化膿をした。(中略)
少年というものは独楽である。廻りだしてもなかなか重心が定まらない。傾いたままどこへころがってゆくかわからない。何しろ一本足で立っているのだから、不安定は自分でもよく知っている。大人とちがうところは、とにかく廻っているということである。廻ることによって漸く立ち上がれるということである。回らない独楽は死んだ独楽だ。ぶざまに寝ているのがいやなら、どうしても廻らなければならない。
しかし独楽は、巧く行けば、澄む。独楽が澄んだときほど、
物事が恐ろしい正確さに達するときはない。
いずれ又惰力を失って傾いて転んで、廻転をやめることはわかっているが、
澄んでいるあいだの独楽には、何か不気味な能力が具わっている。
それはほどんど全能でありながら、自分の姿を完全に隠してしまって見せないのである。
それはもはや独楽ではなく、何か透明な兇器に似たものになっている。
しかし独楽自身はそれに気づかずに、軽やかに歌っているのである。
私の少年期にも、そういう瞬間があったかもしれない。
しかし記憶にはとどまらない。
記憶にとどめているのは、それを見てしまった大人のほうである。
(昭和四十五年九月・辺境)
このエッセイは三島が亡くなる直前に発行された
季刊の文芸雑誌『辺境』(豊島書房刊)の1970年9月号に掲載されたものだが、
今読み返してみると、感慨深いものがある。
ここに書かれた出来事が、本当にあったことなのか。
それとも作家一流の創作なのか。何やら象徴的な、寓話のようでもあるが、
実際これに近い出来事はあったのかもしれない。
このわずか2ヶ月後に、三島があのようなかたちで自らの命を絶ったという事実が、
そう思わせるのか。それとも、すでにこの頃、彼の頭の中では、
来るべき11月25日に向けて、「死」のカウントダウンが始まっていたからなのだろうか。
どうでもいいような細かいことだが、
私には独楽の「廻る」という字が、一箇所だけ「回る」になっていたりしているのが、
どうも三島らしくないようで気になってならない。
===================================
何か考えさせられる独楽。
昨日は定期通院 血圧147/72とやや高め!
まあ少し塩分がこのところ多かったかな?
少し下げよう・・・・
金曜日ではあったが雨の影響でかな?やや空いてる感じだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
午後はPCクラブで、ムービーメーカーの扱いを勉強。
少し早目に切り上げて
自治会の三会長と打ち合わせ、今後行う座談会などの日程調整を。
日も長いので少し畑の様子見に・・。
胡瓜が元気だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昨日
三島の独楽のことが出ていたので少し調べた。

学習院中等科4年16歳の三島由紀夫 (昭和15年6月30日撮影)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
三島が亡くなる2ヶ月前に発表された『独楽』という短いエッセイがある。
春の午後、突然見知らぬ高校生の訪問をうけた作家は、
3時間以上も塀外に立っているという少年が、
制服を着て礼儀正しく、真面目そうであるという家政婦の言葉にほだされて、
例外的に「5分間だけ」という条件付きで会うことにする。
少年は「前に手紙を書きました」と言うが、
作家には覚えがない。
少年は運ばれたお茶に手もつけず、黙っている。
作家は時間がないから、一番聞きたい質問を一つだけしてごらんと言う。
少年はなおも黙っている。
作家は時計を見ながら、持て余し気味に「質問は何もないのか」と問いただす。
ーーーーーーーーーーーーー
「あります」
「じゃ、一番ききたいことを一つだけきいたらどうだ」
少年は黙っていた。目尻にやや力が入ったかと見る間に、
その目が私をあからさまに直視した。
「一番ききたいことはね、……先生はいつ死ぬんですか」
この質問は私の肺腑を刺した。
私が何か滑稽なしどろもどろの返答をしたことは言うまでもない。
その返答で少年が満足したとも思えないが、この返答をきいてから、
少年の態度は俄に楽になった。(中略)……時間が来たので、私は少年を促して帰らせ、
自分は約束の外出先へいそいだ。うららかな春の日で、その日も何事もなくすぎた。
しかし少年の質問の矢は私に刺さったままで、やがて傷口が化膿をした。(中略)
少年というものは独楽である。廻りだしてもなかなか重心が定まらない。傾いたままどこへころがってゆくかわからない。何しろ一本足で立っているのだから、不安定は自分でもよく知っている。大人とちがうところは、とにかく廻っているということである。廻ることによって漸く立ち上がれるということである。回らない独楽は死んだ独楽だ。ぶざまに寝ているのがいやなら、どうしても廻らなければならない。
しかし独楽は、巧く行けば、澄む。独楽が澄んだときほど、
物事が恐ろしい正確さに達するときはない。
いずれ又惰力を失って傾いて転んで、廻転をやめることはわかっているが、
澄んでいるあいだの独楽には、何か不気味な能力が具わっている。
それはほどんど全能でありながら、自分の姿を完全に隠してしまって見せないのである。
それはもはや独楽ではなく、何か透明な兇器に似たものになっている。
しかし独楽自身はそれに気づかずに、軽やかに歌っているのである。
私の少年期にも、そういう瞬間があったかもしれない。
しかし記憶にはとどまらない。
記憶にとどめているのは、それを見てしまった大人のほうである。
(昭和四十五年九月・辺境)
このエッセイは三島が亡くなる直前に発行された
季刊の文芸雑誌『辺境』(豊島書房刊)の1970年9月号に掲載されたものだが、
今読み返してみると、感慨深いものがある。
ここに書かれた出来事が、本当にあったことなのか。
それとも作家一流の創作なのか。何やら象徴的な、寓話のようでもあるが、
実際これに近い出来事はあったのかもしれない。
このわずか2ヶ月後に、三島があのようなかたちで自らの命を絶ったという事実が、
そう思わせるのか。それとも、すでにこの頃、彼の頭の中では、
来るべき11月25日に向けて、「死」のカウントダウンが始まっていたからなのだろうか。
どうでもいいような細かいことだが、
私には独楽の「廻る」という字が、一箇所だけ「回る」になっていたりしているのが、
どうも三島らしくないようで気になってならない。
===================================
何か考えさせられる独楽。