4月19日 (水曜日) 良い天気になった!
市議選も佳境に入った。
最近は選挙カーの運動も少ないようだ。
ネットを使っての候補も多い感じだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日に日に花達が更に大きく咲いてくる。
ミカンの花が膨らんできた、この蕾が実になって行く過程が不思議だ。
~~~~~~~~~
●3年目でようやく蕾をもって来た
シラーの花
シラー・ペルビアナ (大蔓穂(おおつるぼ))
・開花時期は、 4/20 ~ 5/20頃。・青紫色の花を八方に広げる。
・シラーにはいろいろ種類があり、いずれの種類も
乾燥した地面に適するらしい。
・「シラー」は、「スキラ」「スキラー」「スキルラ」とも読む。
~~~~~~~~~~~~~~~~
2日ぶりに畑に行ってみる。
少しだけスナップ豌豆が収穫出来た。
~~~~~
棕櫚「しゅろ」の木に実が付いたが木が大きくなりすぎて困った。
今日は気温が上がるという。
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新潟日報 コラム日報抄 記事18日
良寛は多くの箴言(しんげん)「戒語」を残した。
その一つに「差し出口」がある。
「差し出がましく余計なことを言う」という意味だ。
~~~~~
●長岡出身の連合艦隊司令長官、山本五十六は良寛を敬慕していた。
軍縮会議の予備交渉で訪れたロンドンでは、外国人記者に愛きょうを
見せつつも胸の内は明かさず「鋼鉄の笑」と評された。
~~~~~~~~~~~~~~~
▼一方、対米戦につながる日独伊三国同盟には黙さず、命懸けで反対した。
米国の国力を熟知していた。
ただ皮肉にも、開戦時は戦闘の最高指揮官だった。
真珠湾攻撃などで当初は優位な状況に持ち込んだ
~~~~~~~~~~~~~~
▼疲弊する前に大勝し、和平交渉しやすい状況をつくろうと
ミッドウェー作戦を主導した。しかし大敗し、
その後は米軍に圧倒されていく。
悲願の「早期和平」は遠のく一方だった
~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼〈手を折りて うち数ふれば 亡き人の 数へ難くも なりにけるかな〉。
良寛が晩年、指折り数えて亡き人を思い浮かべ寂寥感を詠んだ歌だ。
この歌に五十六は自身の心境を重ね、戦死した部下を悼んだ
★手の指を折って数えてみると、亡くなった
人の数が多くなって、数えることが出来な
くなってしまったことだ、というがまだ私は数えられるところにいる。
しかし昔の職場のOB会などに出ると、○○さんを知ってる、亡くなったぞ・・。
こんな話を 聞く事が多くなった。
~~~~~~~~~~~~~~~
▼希代の軍人は80年前の4月18日、前線視察中に撃墜され命を落とした。
長岡の歴史家、故稲川明雄さんは
「戦争は始めるより終わらせる方がずっと難しい。
そんな苦悩を体現したような生涯だった」と指摘していた。
~~~~~~~~~~^
▼世界は今、力を背景に一方的な現状変更を迫る動きが広がる。
真の平和や公正な国際社会を追求する取り組みが不可欠だ。
ウクライナの現状に、五十六ならば黙さずにロシアの撤退を訴えるに違いない。
「早期和平を」と。
===============
新潟小千谷市に出向していた時、この地に通ってくる長岡市の従業員も
多く、良寛さん五十六氏や河合継之助の話題は常であった。
そんなことでコラムはよくわかる話だ。
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市議選も佳境に入った。
最近は選挙カーの運動も少ないようだ。
ネットを使っての候補も多い感じだ。
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日に日に花達が更に大きく咲いてくる。
ミカンの花が膨らんできた、この蕾が実になって行く過程が不思議だ。
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●3年目でようやく蕾をもって来た
シラーの花
シラー・ペルビアナ (大蔓穂(おおつるぼ))
・開花時期は、 4/20 ~ 5/20頃。・青紫色の花を八方に広げる。
・シラーにはいろいろ種類があり、いずれの種類も
乾燥した地面に適するらしい。
・「シラー」は、「スキラ」「スキラー」「スキルラ」とも読む。
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2日ぶりに畑に行ってみる。
少しだけスナップ豌豆が収穫出来た。
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棕櫚「しゅろ」の木に実が付いたが木が大きくなりすぎて困った。
今日は気温が上がるという。
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新潟日報 コラム日報抄 記事18日
良寛は多くの箴言(しんげん)「戒語」を残した。
その一つに「差し出口」がある。
「差し出がましく余計なことを言う」という意味だ。
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●長岡出身の連合艦隊司令長官、山本五十六は良寛を敬慕していた。
軍縮会議の予備交渉で訪れたロンドンでは、外国人記者に愛きょうを
見せつつも胸の内は明かさず「鋼鉄の笑」と評された。
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▼一方、対米戦につながる日独伊三国同盟には黙さず、命懸けで反対した。
米国の国力を熟知していた。
ただ皮肉にも、開戦時は戦闘の最高指揮官だった。
真珠湾攻撃などで当初は優位な状況に持ち込んだ
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▼疲弊する前に大勝し、和平交渉しやすい状況をつくろうと
ミッドウェー作戦を主導した。しかし大敗し、
その後は米軍に圧倒されていく。
悲願の「早期和平」は遠のく一方だった
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▼〈手を折りて うち数ふれば 亡き人の 数へ難くも なりにけるかな〉。
良寛が晩年、指折り数えて亡き人を思い浮かべ寂寥感を詠んだ歌だ。
この歌に五十六は自身の心境を重ね、戦死した部下を悼んだ
★手の指を折って数えてみると、亡くなった
人の数が多くなって、数えることが出来な
くなってしまったことだ、というがまだ私は数えられるところにいる。
しかし昔の職場のOB会などに出ると、○○さんを知ってる、亡くなったぞ・・。
こんな話を 聞く事が多くなった。
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▼希代の軍人は80年前の4月18日、前線視察中に撃墜され命を落とした。
長岡の歴史家、故稲川明雄さんは
「戦争は始めるより終わらせる方がずっと難しい。
そんな苦悩を体現したような生涯だった」と指摘していた。
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▼世界は今、力を背景に一方的な現状変更を迫る動きが広がる。
真の平和や公正な国際社会を追求する取り組みが不可欠だ。
ウクライナの現状に、五十六ならば黙さずにロシアの撤退を訴えるに違いない。
「早期和平を」と。
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新潟小千谷市に出向していた時、この地に通ってくる長岡市の従業員も
多く、良寛さん五十六氏や河合継之助の話題は常であった。
そんなことでコラムはよくわかる話だ。
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