10月26日 (木曜日) 晴れ
朝の冷え込みがきつく感じられるようになってきたなあ~
布団が一枚必要だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~^
★柿が・・・家「うち」にも成ってる?と家内に言われた。
そういえば昨年は一個も成らなかったので、柿の木のことはすっかり忘れていた。
柿の木はプレハブ倉庫の陰で1階からは木が見ないので意識していなかったが
昨日2階の部屋のかたずけをしていたら黄色く沢山実っていたのを思い出した!
夕方幾つか獲ろうと・・・
高切りハサミを使ってひねり獲りするが滑ってすり落ちてしまう。
前の畑の草むらに沢山落ちていった。
まだ青っぽいものもあるが熟してきたものは鳥がもう沢山突っついている。
良く知っている鳥たち。後でまた幾つか獲ろう・・多分忘れると思う・・が
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~^
★畑ではほうれん草も育った。
結構大きく育ったなあ~!
★ラディッシュも出来てきたのでうる抜く。
赤い球が綺麗である。サラダの色合い用に良い感じだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
市の自治会からの提供で、各自治会に1冊づつの本の提供があった。
個人では以前有料で3冊買ったので、今回は”挨拶”編をいただく事にしたものが
今日ポストに入っていた。
読んでどうなるものではないが”実践”が大事だ。
==========================
今朝の毎日新聞の余録にあった。
そういえば私の中学時代に起きた中国の話題である。
”ほう得くかい!”などと言って言葉遊びの
やんちゃな時期である。なんとなく覚えている。
~~~~~~~~~~~~
彭徳懐(ほう・とくかい)
将軍は中国革命初期から毛沢東主席と行動を共にした。
朝鮮戦争では中朝連合軍を率い、初代国防相に就任した。
その大物が突然、解任されたのは建国10年を目前にした1959年9月である
▲真相は長く闇の中だったが、後に同年夏の「廬山(ろざん)会議」で
毛氏に私信を送り、逆鱗(げきりん)に触れたとわかった。
多くの餓死者を出した「大躍進政策」の問題点を指摘した内容だったという。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲45年前に来日し、日中平和友好条約の批准書を交換した鄧小平氏は
帰国後の共産党会議で改革・開放政策へかじを切った。
同時に文化大革命の間に迫害されて死亡した彭将軍らの名誉を回復した。
▲鄧時代の中国は毛時代よりも見通しがよくなった。
日本をはじめ海外の経験を謙虚に学んだ。
89年の天安門事件で制裁を受けても経済発展最優先の方針を変えず、
「世界の工場」への道をひた走った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲その中国も再び霧に覆われたようである。
習近平国家主席の「1強」体制下、
3月に就任したばかりの国防相が外相に続いて解任された。
どちらも対外的な「中国の顔」だったが、理由は公表されていない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲外交やビジネスにも関わる問題だ。
交渉相手や方針が突然、変わっては 取引は難しい。
中国進出企業の日本人がスパイ容疑で逮捕された事件とも通じる。
理由もわからず捕まる危険があれば、好き好んで商売に出かけたりはしない。
不透明な時代こそ予見可能性が保たれる国かが問われる。
発展をもたらした歴史を振り返れば、
その大事さに気づいてもいいはずだが……。
=======================
★上司に私信を送るのは勇気がいったことであろう。
上の方針に逆らうと厳しいしっぺ返しが来る。
逆に忖度ばかりの組織はいずれ崩壊すると・・
歴史に学ぶとはそういうことなんだなあ~
^^^^^^^^^^^^^^^^^
今回も習氏にとって耳の痛い提言でもしたのかと
2人の内容を想像する。
一対一路構想のことかな?
朝の冷え込みがきつく感じられるようになってきたなあ~
布団が一枚必要だ。
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★柿が・・・家「うち」にも成ってる?と家内に言われた。
そういえば昨年は一個も成らなかったので、柿の木のことはすっかり忘れていた。
柿の木はプレハブ倉庫の陰で1階からは木が見ないので意識していなかったが
昨日2階の部屋のかたずけをしていたら黄色く沢山実っていたのを思い出した!
夕方幾つか獲ろうと・・・
高切りハサミを使ってひねり獲りするが滑ってすり落ちてしまう。
前の畑の草むらに沢山落ちていった。
まだ青っぽいものもあるが熟してきたものは鳥がもう沢山突っついている。
良く知っている鳥たち。後でまた幾つか獲ろう・・多分忘れると思う・・が
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★畑ではほうれん草も育った。
結構大きく育ったなあ~!
★ラディッシュも出来てきたのでうる抜く。
赤い球が綺麗である。サラダの色合い用に良い感じだ。
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市の自治会からの提供で、各自治会に1冊づつの本の提供があった。
個人では以前有料で3冊買ったので、今回は”挨拶”編をいただく事にしたものが
今日ポストに入っていた。
読んでどうなるものではないが”実践”が大事だ。
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今朝の毎日新聞の余録にあった。
そういえば私の中学時代に起きた中国の話題である。
”ほう得くかい!”などと言って言葉遊びの
やんちゃな時期である。なんとなく覚えている。
~~~~~~~~~~~~
彭徳懐(ほう・とくかい)
将軍は中国革命初期から毛沢東主席と行動を共にした。
朝鮮戦争では中朝連合軍を率い、初代国防相に就任した。
その大物が突然、解任されたのは建国10年を目前にした1959年9月である
▲真相は長く闇の中だったが、後に同年夏の「廬山(ろざん)会議」で
毛氏に私信を送り、逆鱗(げきりん)に触れたとわかった。
多くの餓死者を出した「大躍進政策」の問題点を指摘した内容だったという。
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▲45年前に来日し、日中平和友好条約の批准書を交換した鄧小平氏は
帰国後の共産党会議で改革・開放政策へかじを切った。
同時に文化大革命の間に迫害されて死亡した彭将軍らの名誉を回復した。
▲鄧時代の中国は毛時代よりも見通しがよくなった。
日本をはじめ海外の経験を謙虚に学んだ。
89年の天安門事件で制裁を受けても経済発展最優先の方針を変えず、
「世界の工場」への道をひた走った。
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▲その中国も再び霧に覆われたようである。
習近平国家主席の「1強」体制下、
3月に就任したばかりの国防相が外相に続いて解任された。
どちらも対外的な「中国の顔」だったが、理由は公表されていない。
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▲外交やビジネスにも関わる問題だ。
交渉相手や方針が突然、変わっては 取引は難しい。
中国進出企業の日本人がスパイ容疑で逮捕された事件とも通じる。
理由もわからず捕まる危険があれば、好き好んで商売に出かけたりはしない。
不透明な時代こそ予見可能性が保たれる国かが問われる。
発展をもたらした歴史を振り返れば、
その大事さに気づいてもいいはずだが……。
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★上司に私信を送るのは勇気がいったことであろう。
上の方針に逆らうと厳しいしっぺ返しが来る。
逆に忖度ばかりの組織はいずれ崩壊すると・・
歴史に学ぶとはそういうことなんだなあ~
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今回も習氏にとって耳の痛い提言でもしたのかと
2人の内容を想像する。
一対一路構想のことかな?