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日記(1.16)

2024-01-16 11:32:46 | 日常
1月16日  (火曜日)    風強し
今日も強い風が吹きつける日になった。
天気図は等圧線が縦に狭く連なる。

西高東低の典型的な冬型の気候だ。
雲の様子も厳寒期のスジ雲が・・被災地の冷たさを思うとつらい。

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〇自治会の用事で当自治会庶務担当の方と”能登地震”の支援金募集のチラシを検討。
〇チョットだけ畑に寄ったが物凄いの風で器具を入れてる手作りのビニールハウス倉庫の
 シートが切れそうだ。大根を抜いてくる・・寒い・・冷たい日だ。
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下野新聞には
新札の顔
 明治時代の実業家を代表する渋沢栄一(しぶさわえいいち)と
 岩崎弥太郎(いわさきやたろう)は、仲が悪かったとの説がある。
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 三菱財閥の祖である岩崎が隅田川の舟遊びに渋沢を誘い、
 その場で二人がけんか別れしたとのエピソードが基である。
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▼NHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」では、
 料亭で懇談する二人が激論を交わす場面として描かれた。
 渋沢栄一記念財団によると、
 実際には岩崎が渋沢を自分の事業に勧誘し、
 渋沢がそれを謝絶したということだったようである。

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渋沢は生涯に500以上の企業設立に関わりながら
 財閥をつくらなかった。
 後に「日本の資本主義の父」と称され、
 7月3日に発行される新1万円札の顔となる。
 紙幣の刷新は20年ぶりのことだ。
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▼県内にも多くの足跡を残している。
 後のJR日光線となる鉄道敷設に役員として尽力した。
 鉄道開通後は、今はなき「日光ホテル」の創設に出資した。
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▼自ら揮毫(きごう)した書も県内に多い。
 日光東照宮の表参道にある巨大な社号標もそうである。
 葵の紋の下にある「東照宮」の文字は渋沢が書いた。
 元幕臣として最高の栄誉だったろう

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▼長大な「渋沢栄一伝記資料」も残した。

 正編58巻、別巻10巻にも及ぶ。
 評論家の谷沢永一(たにざわえいいち)さんは
 「財閥をつくるかわりに我が名を残すことのみを念じた」と、
 かつてコラムに書いた。
 紙幣の「顔」になることは、その集大成にも思える。
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★午後から先日治療した歯の嚙み合わせチェックに出かける。
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