『折れた翼 パート2』
(あっ、懐かしい。この人、まだ活動してたんだ)
ある時、遥平が繁華街の大きなCD屋の中を何気なく覗いていたら1枚のアルバムに目が止まったので、手に取った。そのアーティストは、彼が学生時代中期に出会った人物だった。
(3500円か。痛い金額だな)
買おうかと一瞬思ったが、最近は全く聴いていないアーティストだったので、棚に戻した。すると、ぬうっとそのアルバムを取る手が現れた。
「あっ、コレいいですか?買っちゃって」
遠慮がちな声がした方を見ると、どこか面影ある顔がそこにあった。
「あれ、どっかで、会った事ありましたっけ?」
向こうも遥平を見て何かを感じた様だった。
「緒賀埼。緒賀埼 奈壱(オガサキ ダイチ)かな?」
「はい、そうですけど。あなたは?」
遥平が相手に自分の名前を言うと、すぐに向こうも思い出した。
「また妙な所で再会したね。驚いたよ」
緒賀埼は、早速CDを購入した。
「俺、今もこの人のファンでさ」
はっきりと「うれしい」と書かれた緒賀埼の顔を遥平が見たのは、これが初めてだった。いつも、どこか自分と同じ「影」を映した表情ばかりだったので、意外な感じがした。
「平日の昼間っから、良いご身分だなって思うかもしれないけど、俺の日常はこんな感じなんだよ」
不可思議いだろ?とその辺りをブラブラしながら緒賀埼が言う。
「今日は何か良い事あるかもなぁ~って思ったんだ。そしたら、夢川に会えたんだよね。昔の連中なんて顔も見たくないだけど、お前は例外だよ」
そんなもんなんだろうか?と遥平は思う。確かに、彼は学年の端っこ族的な存在だったが、本人が思う程、緒賀埼に対する評価は良かった様に遥平は感じていた。
(2人目の懐かしい友人か)
緒賀埼と別れた帰り道、携帯のアドレス帳を見ながらそう思った。
(何もしていないのは、自分だけか)
遥平は、嫌な想いを振り切る様に携帯を折りたたんでポケットに入れた。
(まだ、4時か)
家に帰るのは嫌だったが、行く所も見当たらないので戻ることにした。
誰もいない家の中は静まり返っていた。
平日の昼間とはこんな感じで、両親は仕事に行き、弟はとっくに自立して家を出ていた。
(誰も居ない方が、やっぱ気楽で良いな)
一瞬の天下、という感じである。
2階にある自室に行った時、不意、緒賀埼から紹介されたアーティストのCDを聴きたくなった。今からもう7~8年前に買ったものだが、まだちゃんと遥平の手元にあった。
(これか。ちょっとランダムモードで聴いてみるか)
特に聴きたい曲がなかったので、適当にかける事にした。
あの当時そして今も時折口ずさむお気に入り曲が流れると、やはり、懐かしかった。最近、まともにCDを聴かなくなったので、少し新鮮な感じもあった。
――誰もが、ここから去った後、羽を失して飛べなくなった別の天使が迷い込んできて、新しい羽を生やして始めて、街を変えていった――
そんなバラード風のフレーズが不意に、遥平の耳に入った。
(羽か。俺もそう言えば、今、飛べないんだっけ?)
彼の羽は、翼は折れたまま、もう1年が過ぎようとしていた。新しい羽を生やしたい、翼を生やしたい、という想いはいつしか、ありふれた日常の中に消え、薄れつつあった。
(飛べない鳥。それが今の俺か)
急に胸の中で、雨が降り始めた。遥平以外には見えないしずく達が、1つ、また1つ、といくつもいくつも。
(立ち止まっている訳にも行かないか)
10日前、口うるさい遥平の父親が3ヶ月間の単身赴任をする事を聞かされた。
そんな時、母親からアルバイトを薦められた。
毎日何もしないで過ごすのも大変だろう・・・という事で、これまで散々、駄目だと言われたそれの許可が下りた事は遥平にとって、少し喜ばしい事だった。
簡単な面接を受け、その場で即採用が決った。これで、毎日、「今日はどうしようか・・・」という事に悩まずに済むのかと思うと、ホッとする反面、縛れた日が来るのか、という憂鬱感もそこにはあった。
「へぇ~、バイト始めたんだ」
ある日の事、緒賀埼と会った時、遥平は自分の近況を話した。
「てっきりお前の事だから、しっかり職につくかと思ってたのに」
予想外、という顔を緒賀埼はする。
「俺は、お前が思うほどな人間じゃないよ」
何言ってんだよ・・・と遥平は続ける。
「昔とは違うって事か。どうしたんだよ、なんか急に力強さがなくなっちゃって」
「何だよそれ。お前もとあいつと同じ事言うなぁ」
一体、どうしたらそうなるんだろうか・・・と遥平は思う。
「他にもそんな事、言う人が居るってのは、多分、あからさまにそう見えるんだよ」
「そういうもんか?」
そういうもん、と緒賀埼は返す。
「あの頃のお前は、何かこう、〝食らいついていこう〟って言うのがあって、行き着く場所に絶対行く。他の奴らなんて関係ない、そんな感じがしたんだけどなぁ」
「昔の話さ」
確かに緒賀埼と共に学校生活を過ごした頃、堕落した雰囲気に流されたくないと強く思い、「次のステージへ行きたい」という気持ちが遥平にあったのは間違いなかった。それは、学生末期になっても変わらずだった。
だが、実際、そこまで必死に次へ行こうと食らいついて行かなくても、道はちゃんとそれぞれに用意されていて、自分がして来た事は無駄だったんじゃないか?という事に少しずつ直面していき、今に至った。大切なのは、そんな「単なるまっすぐさ」よりも「要領の良さ」の要で、「何でも器用にこなせる」という事が社会で求められているんだ、と気づかされた。
遥平にとっての誇りは、「そのまっすぐさ」、緒賀埼の言葉を借りれば「食らいついていこう」とする意志だった。だが、それは結局何も役に立ちはしないんだ・・・と歩んだ道の中で解った時、彼の翼と共に羽が落ち始めた。
「何か不可思議なもんだな。俺みたいに、もう、どうでも良いや・・・って思ってるのとは何か違って、迷ってる感じがするんだよね」
イタイとこつくな・・・と遥平は思う。
「そこが、お前らしい所だよな。ある意味、自信無さ気な所」
「訳わかんねーよ」
「それは俺も同じさ。夢川って、何かよく判らないんだよね。それが、結構、面白い所でもあるんだけどさ」
どこか遠くを見るように緒賀埼は言う。
「その力強さをもっと使えば良いじゃないかって思うよ。何も、そんな簡単に諦める必要も無いって思うし」
「それ使ったって、結局、うまく行っていないんだぜ。というか、もうそんなの時代遅れって感じだしさ」
「時代遅れ・・・か。かもな。けど、俺は、お前の良さはそこにあるって思うんだ。うまく行かなかった過去があるから、駄目だ・・・ってのは解るけど、あんまりそこは責めすぎなくて良い感じするけどな」
緒賀埼は、肩を落とした。
「けどまぁ、今は、この間よりかは、少し雰囲気が良くなった様に思うよ。そのまま、行けるといいね」
「だと良いけどな」
世の中、そんなに思うほどうまくは行かない。
別にペシミストを気取るわけではないが、遥平の場合、事情が事情だったので、その言葉が強く胸の中に突き刺さっていた。
アルバイト生活はいつしか3ヶ月を過ぎ、彼の父親が家に戻って来た。両親がそろえば、何かと面倒なので、遥平は極力、顔を合わさないようする為、シフトの回数を増やし、時間を変えた。ちょうど、夕方から夜24時までやれる枠を手に入れたのが幸いした。
(逃げの1手だな)
問題を先延ばしにするのと同時にトラブル回避のやり方はそれしかない。遥平の無い頭で考えた唯一の結論だった。
「最近、何か雰囲気変わりましたね」
仕事の合間、いつも一緒のシフトに入っている自分と同じ(年齢は遥平のが2つ上)アルバイターの彼上(かのうえ)にそう言われた。
「どうしたんです?必死になっちゃって。一人暮らしでも始めたんですか?」
「いや、別にそれはないけど」
何も変わっちゃいないのに、妙な事言うな、と遥平は思う。
「気のせいにしては、バリバリなんかやってますからねぇ。ずっとそうでしたけど、今はそれ以上って感じですよ」
偉いですね、と言う彼上の顔にどこか曇りがあるように遥平は感じた。
「そうだ、今日、上がったら飲みでも行きませんか?毎日、これだと大変でしょうし」
と言われたので、遥平は誘いに乗ることにした。
仕事を終えた2人は、バイト先から程近い場所の居酒屋に入った。
「お疲れ様です」
生ビールを持ち上げる彼上は、日ごろは見せない嬉しげな表情を浮かべていた。
「一度、夢川さんとは飲んでみたいなぁ・・・って思ってたんですよ」
「へー、何でまた?」
「やっぱ、お互い一緒に仕事してるじゃないですか、だから、まぁとりあえず、こう、壁作らないようにして、うまくやっていきたいなぁって思って」
どこか、ぎこちなく彼上は言う。
「昔、仕事で凄い世話になった人が居て、その人と飲んで何か話がしたいって思ったんですよ。お礼も込めてなんですけどね」
聞く所によると、彼上は遥平同様に社会経験の持ち主だ、という事が解った。
「もう少し、あの時、欲望に忠実になれればって思ったんですけど、なんかブレーキかけちゃったんですよね。その相手から誘われないかなぁ・・・なんて甘い事も思ったんですけどね」
アハハハ・・・と彼上は笑う。
「俺は、そんな事なかったけどなぁ」
そこまで知り合いたい・・・って思う人も居なかったし、と遥平は過ぎ去りし日の事を思い返す。
「夢川さんも、正社員経験有りなんですか?」
「んー、あるよ。あんまり言いたくないけど」
(もう酔いがはいってんのかこいつ)
遥平はそう思いつつ、グラスに口をつけた。
「そうですよね。一番、触れられたくない領域ですよね、そこ」
「話解るね」
遥平はグラスで彼上を指差すみたいにして、共感の意を示した。
「だから、〝これから〟を創れ、そう言われるんですけど、何か自信なくって」
「〝これから〟って?」
「未来ですよ。簡単な言葉ですけど、もうそれしかお前には残されていないって言うんですよ。ある本からのうけ売りですけどね」
それは嫌な話だな、という言葉を遥平はぐっとこらえた。
「過ぎ去りし日より、今これから。まだ何の形も無い未来を創るより外に無い。いかに駄目にしない人生を創って行くか・・・みたいな話があるんですよね。一応、今の生活から脱し様とした事もあるんですけど、やっぱ駄目でした」
どうやら彼上が読んだ本と言うのは、「人生教本」的なものらしかった。それを基に、彼上なりに動いたようだったが、結果は失敗だったという事だ。
「駄目にしない一歩として、果たせなかった事を今こうして出来たのはやっぱ良いですね」
遥平は、何も言わず頷いた。
「折ってなくした翼が、なんかもう1回生え始めた、そんな感じがします」
「なんだよそれ。不思議な事言う奴だな」
「何か希望が見えた・・・大げさに言うと、そんな感じです」
こんなんで?と遥平は首をかしげる。
「あとは、本当に叶えないといけない願いを叶える・・・になるですけど、それはなんか出来ないんですよね。急げ急げって言うんですけど、現実が現実なだけに」
「それも解るね。」
「本当ですか?やっぱそうですよね」
少し曇った彼上の表情が、遥平の頷きでパッと晴れた。
「いやー良かった、少しでも俺の言うこと、わかってくれる人が居て。周り、皆、〝お前の言ってる事は間違ってる〟って言うんですよね」
「多分、そういう経験をした事が無いからだと思うよ」
したくない、経験でもあるけれどね、と遥平は続ける。
「あっ、それなんとなく解りますね」
本当だろうか?と遥平は疑ったが、それを口にすることは出来なかった。
「いやー、でも、本当良かった。これで、しばらくは安心して仕事出来ますよ。お互いの間柄がギクシャクするのだけは嫌なんで、またこうして飲む機会を作りたいです。何かあったら、気軽に言って欲しいです」
「そうか?」
あまりに簡単に他人に心を開く彼上が、どことなく信じられなかったが、明らかに距離を縮めよう、2度と同じ過ちを繰り返すまいとする姿勢が見えたような気がした。
午前様越えで、その日、遥平は家に戻った。
あの後、さらにアルコールを入れて、酔いも良い感じに回って行き、会話も弾んだ。
彼上は、色々話を聞いてもらった事をもの凄く感謝していた。遥平も、胸のうちを少しだけ話せた様に思えた。
(これで、全てがうまく行っていたら文句無いんだけどな)
そっと家に戻り、自室のドアを閉めた。
真っ暗の筈の部屋が妙に明るいな・・・と思って、カーテンを開けると、大きな丸い月が出ていた。
(天使が舞い降りてきたらいいよな)
何故か遥平は電気をつける気になれなかった。
(そんなものありはしないのに)
ため息をついた。現実を直視できないからこそ思う言葉だな、と一人静かに思う。
(〝これから〟を創れ、か。そりゃまた、難しい話だな)
さっき、彼上から出た言葉が頭を過ぎる。
未来。
そんな時間は、果たして自分にあるのだろうか?折れてしまった翼をもう1度生やして空を舞う日は来るのだろうか。
(俺の翼は、まだ生えてきそうに無いな)
まだ見ぬ明日を、希望に満ちた日にする事は、今の自分には出来そうになかった。そもそも、今は希望よりも絶望色のが強かったし、そのやり方さえ解らなかった。
(お前は、翼の生やし方を知っているかい?)
遥平が満ち足りた月に、その問いかけをした時、雲に隠れて見えなくなってしまったので、さすがに電気を点けた。
(駄目だな)
そんな時、不意に携帯が震えた。
(誰だ?)
ディスプレイを見ると、緒賀埼からだった。だが、ここで出るのは危険な気がしたので、遥平は、そっと家を出て、折り返した。
「あっ、ごめんね。寝てた?」
どこか弾んだ声で彼は遥平に問い掛けた。
「いや。月見てた所だよ。今は、雲に隠れてるけどな」
「そう言えば、今夜はきれいだったっけ。これで流れ星でもあったら良いよね」
窓の向こうを覗いたんだろうか?そんな気配は電話を無効で感じられた。
「そうだな」
遥平はもう一度空を見上げたが、やはり雲で覆われ何も見えなかった。
「もし、あったら夢川は何を望む?」
「そうだな、〝これから〟かな」
彼上が言っていた台詞を思い出したので、そう言って見た。
「未来って訳か。良いね、そういうの」
「叶わない話だとは思うけどね」
遥平は力なく笑った。
「どんな未来を望んでるの?」
「どんなって・・・」
「それがないと、叶わない・・・らしいよ。今、手元にある本によるとさ」
ふっ、と緒賀埼は笑う。話を聞くと、丁度、本を読んでいて飽きた所で電話をして、今開いているページにたまたま目が行ったので遥平に問い掛けたという事だった。さらに、緒賀埼は、「夢も希望も未来も、具体的な創造図が必要でそれが決まらないと自分の基にはやってこない」とその本はあると言うのだ。
「なるほどね。そうか」
遥平の中で、1つの答えが出たような気がした。だが、それはとても簡単で単純なのに難しい気がした。
「何か解ったの?」
興味津々という感じで電話の向こうの主が訊いて来た。
「折れた翼の生やし方」
と遥平は応えた。
「なんだよ、それ」
疑問符を浮かべている緒賀埼の顔が浮かんだ時、夜空が晴れ始め、再び満月と星空が見え始め、流れ星が1つなびいたのを遥平は見逃さなかった。
あとがき
翼が折れれば、当然、空は飛べない。人間に翼なんてつくのは、夢物語でしかないが、よく「未来に向かって、羽ばたけ」という言葉が使われるので、もしかして生えたりするのかな・・・なんて思う。もし生えたら、どこへ行こうか、と呑気に考えたりもするが、空を飛べたとしても、現実は、多分変わらないかな、とも思う。空というと、歌の影響もあるかも知れないが、「悲しみの無い、希望に溢れた自由な世界」という感じがするのだが、そこから見下ろす景色に、果たしてどれだけの希望があるのだろうか?だから、単純に飛べても、夢は形にならない、と思うのだ。物語としては、十分に成り立つけれど。
続編を掲載するにあたり、色々と不安要素が大きかったが、2008年夏の記録の1つとして、やってみることにするが果たして・・・・・・。