希望は見えるか?
そう自分に問いかけてみる。
答えは、
ない。光も見えない。生きていると言うより生かされている気がしてならない。綱渡りの夢ではないが、いつ転落してもおかしくない今。見上げる空に、青空はない。あるのは灰色の空だけ。
何日か前から不意にそう思い始めた。明日にあるいは先の日々に胸踊るような希望はない、と。これまでにない物を感じた。
希望や光は見えなくとも、まあ、生きていれば良い。今に不満や不安はないし、このままでいい、そう思っていたのが不意にここに来て、進んでいた歩みが止まったように感じた。
停滞と淀み。それは過去の経験から行けば脆いもので、バランスも悪く、ふとしたことが勃発すればすぐにでも壊れる。
明日への希望と光。なくても別にいいじゃないか、楽しければ、この今が。だが、この今は楽しくはない。楽しみたくても楽しめないその訳を知りたくはないが、解らないで居ることは、否、本当はもう解っている筈で。
明日を迎えたくない。そんな気持ちは何も今に始まった事ではなく、昔から私にはよくあることで、それは以前どこかで話したかもしれないが。
縛られた日々。勿論、誰もが縛られた中で生きてるのは違いなく、それを私だけが辛いと言う事がNGであることもまたわかってはいる。だが、あまりにも今、私を縛り付けてるものは、これまでにないような苦味を持っていることは違いない。
これさえ口にして誰かの耳に入ると後々が面倒なのだが、まあ致し方ない。話したくもない話だがもはや口にせずにはいられないところに来たので書いてしまった責務はおわなくてはならないだろう。負えるかは知れないが。
停滞と淀みと縛りの中で、最適な選択肢を探れば探るほどに、ただ計算高くなれ、駆け引きにつよくなれ、と言う誰かには当たり前であったとしても、私には当たり前ではなく愚かしい限りとしか思えない価値観の差異。自分さえ得すればそれでよい筈はないが、誰もがもはやこんな時では、自分さえ得すればそれでよいと言う話で落ち着くのは致し方ないにしても、それを何時までも笑って許して居られるほど、私はお人好しではない。それが故に今こうして、形にならない思いを形にして叩きつけているのだ。力みかかっても、いじけても、結果は同じ。敗けは負け、と言う勝者の面を殴り飛ばしたい。