2001年の篠原美也子のアルバム『新しい羽根がついた日』より、“S”を聴いてみる。
日々螺旋階段を上るような人生は、自分には来ないだろうと最近思う。そんな人生を行けるような人は、限られるのだろうと諦めを噛み締めつつ思う。
篠原美也子『流星の日』を2002年のアルバム“bird's eyes view”より聴いてみる。今夜も星の降りそうな冬の美しい夜空が広がっている。
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篠原美也子“Like17”を1998年のアルバム“magnolia”より聴いてみる。2016年最後の17日に聴く、17とつく歌。
篠原美也子のセカンドアルバム『満たされた月』(1993年)より、『月の河』を聴いてみる。
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↑今夜の欠ける月が美しく、夜空を見上げたらそこに、月があって、何か呼ばれたような気がした。
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篠原美也子『名前の無い週末』(1995年)を、アルバム『河よりも長くゆるやかに』より聴いてみる。特別な雰囲気がない2016年最後の土曜日12月17日が終わりゆく。
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篠原美也子、1997年のアルバム“Vivien”より、『風の背中』を聴いてみる。
諦める夜とやり直す朝は幾度となく繰り返しやってはきても、もうやり直せる朝は来ないなと思う。その分、諦める夜は、幾らでもやってくる。そんな諦めの夜を重ね、風の様に走り抜けはしても、鈍足で走り抜けては話にもならない、とため息ついて笑う私である。
篠原美也子“Always”を、1997年のアルバム“Vivien”より聴いてみる。
古いテレビ番組のED曲として使われた記憶は、風化しているが、手元にCDはこうして今もあって、聴いてみても、良いなと思える。あの頃の記憶が風化していても。
見事な冬ばれと言った所だが、電柱のてっぺんに太陽があったので撮影。空は快晴であったが、この先の土曜日、20161224、20161231は特別な土曜日になるので、なにもないありふれた特別でない土曜日2016年は、今日で終わりと言えようか。
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