協定世界時2019年12月1日午前6時のRegional and Mesoscale Meteorology Branchの情報をみると、Typhoon KAMMURI 2019、こと、台風第28号2019年は、北半球太平洋の北緯13度、東経129.7度に、風速約33メートルの風を吹かせる勢力で、あるようだ。今後、24時間内は、発達の見込みがあり、風速約52メートルとなるようだが、果たして?
篠原美也子の2017年のアルバム“STAY FOOLISH”より、『答えのない悲しみを』を、聴いてみる。
悲しみ、が、明日を活きる糧に――そんなインチキみたいなことが、現実になれば、それは、きっと、答えのない悲しみ、に、似ている?
篠原美也子の2007年のアルバム『桜花繚乱』から、『一瞬でいい』を、聴いてみる。
なりたくても、なれない。
変わりたくても、変われない。
わかる人にはわかる、そんな一曲。
2010年の篠原美也子のナンバー、“Last Quarter”を、2010年のアルバム『バード・アローン』より、聴いてみる。
先週見た月から、そう言えば、この歌あるな、と、思ったので、ピックアップ。
篠原美也子の2004年のナンバー、“422”を、2004年のアルバム『種と果実』から、聴いてみる。
気がつけば、いつでも、自然にそこにある――そんな1曲に、なったような、仮タイトルソング。これぞ、お宝。
2001年の篠原美也子のアルバム『新しい羽根がついた日』より、“flower”を、聴いてみる。
時代に咲く花には、なれたとしても、誰の目にも止まらないままに――それでも、彩りを添えられる1つになりたい、と、願う心は、開花したままに。
篠原美也子の1995年のナンバー、『馬鹿みたい』、を、アルバム『河よりも長くゆるやかに』(1995年)より、聴いてみる。
故意に、ポップに弾けて。
そんな、覗くと、切ない味のあるものが、ある一曲。
1993年の篠原美也子のナンバー、“Passing”を、ファーストシングル『ひとり』(1993年)から、聴いてみる。
「いつでも、口笛、吹いて乗り越えられるさ」
(篠原美也子“Passing” 1993年より、引用)
そんな風に、しなければ、余りも切なく悲しい日々を、乗り越えられない1面が、見えるナンバー。
篠原美也子の2005年のナンバー、『最後のドアを閉めて』を、2005年のアルバム“us”から、聴いてみる。
2019年最後の月のドアが、開け放たれた、気がしたので、ピックアップ。
2019年と言う恋人が、消えていく。
けれど、2019年に恋したこと、あったっけ?
1993年の篠原美也子のアルバム『満たされた月』から、『ワザリング・ハイツ』を、聴いてみる。
ようやく辿り着いた、荒れた心のままの朝に、想い描いた理想は、ない。