篠原美也子の2001年のアルバム『新しい羽根がついた日』より、“water”を聴いてみる。
明日もまた、水の底を行く事になるんでしょう。
篠原美也子の1994年のアルバム『いとおしいグレイ』から、『灰色の世代』を聴いてみる。
脂は、のっても、その旨さは、理解されなかった名曲。
1994年の篠原美也子のナンバー、『花束』を、セルフカバーアルバム“half moon”(2005年)から、聴いてみる。
愛する想い、好きだ、と言う想いを、シンプルに表現されている。
1993年の篠原美也子のナンバー、『満月』を、1993年のアルバム『満たされた月』から、聴いてみる。
2019年12月の満月、終わったなあ、先週――と思ったとき、聴いてみようか、で、ピックアップ。
とは言え、このナンバー、満月でなくても、聴けるものは、十分ある。
1994年の篠原美也子のナンバー、『ありふれたグレイ』を、シングル盤で、聴いてみる。
何者にも成れなかった、と言う1曲だが、その周辺を巡る想いは、痛いほど、解る。
1998年の篠原美也子のナンバー、“E.T.”を、アルバム“magnolia”(1998年)より 、聴いてみる。
E.Tもびっくりな、明日は、来ない。それが、地球である。
2007年の篠原美也子のアルバム『桜花繚乱』より、“countless”を、聴いてみる。
数えきれないものが、生まれては、消えていく――この世の摂理は、ずっと、続く。
1994年の篠原美也子のナンバー、『パーティ』を、アルバム『いとおしいグレイ』より、聴いてみる。
孤独の淋しさを紛らわす為に、パーティに行っても、満たされない、そんな気持ち、何となく解る昨今。
1995年の篠原美也子のナンバー『名前の無い週末』、を、シングル盤で、聴いてみる。
12月は、いつでも週末の終末時、なんて事は、ないけれど、名前の無いまま、終わっていく事に違いない。
篠原美也子の1993年のアルバム『海になりたい青』より、『心のゆくえ』を聴いてみる。
脳内に、流れた1曲。先週も聴いているのに、どうしてでしょう。