1993年の篠原美也子のナンバー、“Time is ripe”を、セルフカバーアルバム“Everything is passing”(2004年)より、聴いてみる。 あまり表に出てこない一曲な所もあって、装飾がきれいなのかもな――と今更、想う。それでも、アーティストとしては、思い入れがある一曲らしい。
篠原美也子のシングル『ガラスの靴』(1998年)から、『死にたいほどの夜』を、聴いてみる。 作り手の本音が隠れている感じと共に、悲痛な想いを隠している雰囲気もある。
篠原美也子のアルバム“STAY FOOLISH”(2017年)から、『答えのない悲しみを』(2017年)を、聴いてみる。 想う事自体が、悲しい、と言う舞台が、現実なんだろう。
1996年の篠原美也子の1996年のナンバー、『前髪』を、セルフカバーアルバム“SPIRAL”(2003年)から、聴いてみる。 派手さが消えあせているのは、過ぎ去った日だから…なのだろうか?
篠原美也子『白い月』(2005年)を、アルバム“your song”(2008年)から、聴いてみる。 白き月の明かりに惹かれるような恋、我が人生には、無縁である。
篠原美也子の2002年のナンバー、『満天』を、アルバム“your song”(2008年)より、聴いてみる。 叶わぬ喜びと想う悲しみを、夜空の星が現している現実。
2006年の篠原美也子のナンバー、『感情』を、アルバム“your song”(2008年)から、聴いてみる。 想う事への随筆的なナンバー、なのかもな、と今ごろ、想う。
篠原美也子の2006年のナンバー『逆光』を、2008年のアルバム“your song”より、聴いてみる。 光の影のなかにも、歌がある――と言う事なのだろうか?
篠原美也子のアルバム『満たされた月』(1993年)から、『ワザリング・ハイツ』(1993年)を、聴いてみる。 一夜明けて、想像もつかない良い世界が来ると夢見るのは、悪い話ではないと、今は、思う。
篠原美也子『灰色の世代』を、アルバム『いとおしいグレイ』(1994年)から、聴いてみる。 このなびゆく風のようでも、心にくる何かがある一曲、2つとあるなら、出会ってみたい。