2003年の篠原美也子のセルフカバーアルバム“SPIRAL”より、『名前の無い週末』(1995年)を、聴いてみる。
週末の終末時。締めの一曲。
2010年の篠原美也子のナンバー、“Fly”を、アルバム『バード・アローン』(2010年)より、ピックアップ。
行けるか行けないかの狭間を行く季節到来。大抵が、行ける、が、世間の標準。
篠原美也子『風の背中』(1997年)を、アルバム“Vivien”(1997年)から、聴いてみる。
抜き去り続けられるマラソンレースの火蓋が、またも、切られる。
2004年の篠原美也子のアルバム『種と果実』より、2004年のナンバー『サヨナラ』を、聴いてみる。
このナンバーの深く静寂の中の、呟きみたいな叫びが、良いなと思う。
篠原美也子のアルバム『いずれ散りゆく花ならば』(2009年)より、『ショッピングモール』(2009年)を、聴いてみる。
一見の不幸が、幸せ、と言うのが、あるのかもしれない。
篠原美也子“countless”(2007年)を、アルバム『桜花繚乱』(2007年)から、聴いてみる。
数えられないものは、消えないまま、ただ、増えるだけで。
2005年の篠原美也子のアルバム“us”から、2005年のナンバー“only you”を、聴いてみる。
この歌詞の人物が、恋人になる事は、ないだろうな…と思うが、なったら、きっと花は咲くだろう。
1995年の篠原美也子のナンバー、『風を見た日』を、1995年のアルバム『河よりも長くゆるやかに』から、聴いてみる。
その吹いた風は、その地点からの敗街道を突き進む原動力でもあった…気がする。
篠原美也子の1994年のアルバム『いとおしいグレイ』から、『河を渡る背中』(1994年)を、聴いてみる。
渡っていって、残されて今、また遅れ行く日々を行く。
1993年の篠原美也子のアルバム『海になりたい青』より、1993年のナンバー『愛してる』を、聴いてみる。
たどり着いたその時点までを、愛せる程、大したもの、この手になし。