いよいよ、ローマ人の物語は「ローマ帝政」にはいった。
しかし、このローマ帝政は、私が今まで考えていた「帝政」とは違うのである。
「ローマ帝国とは、ユリウス・カエサルが設計図を書き、アウグストゥスがそれに基づいて構築した大建造物のようなものである」
という説明がある。では、具体的にはどういう帝国か?少し長いが引用する。
「(前略) 皇帝に就任するにも元老院の承認が必要であるだけでなく、皇帝の後継者選びにも元老院の承認がないと実現不可、皇帝勅令でさえも暫定措置法でしかなく、恒久的な政策にしたいと思えば、これまた元老院の議決を必要とし、それがなければ法制化も不可というのが、アウグストゥスの創設したローマの帝政であった。ローマの皇帝とは、支那の皇帝を思い起こしていては理解不能な存在なのである。ペルシアなどのオリエントの君主制ともちがう。ローマ的、という形容詞をつけるしかない皇帝なのであった。」
こうなると、思い浮かぶのは「スター・ウォーズ」のようなものかな、というきがしないでもない。
さて、この巻に登場する皇帝は第2代「ティベリウス」である。
ユリウス・カエサルは後継者として姉の孫アウグストゥスを選び彼が初代皇帝になる。そして2代皇帝には彼の子をと考えていたのだが、若くして亡くなったことから、彼の妻の連れ子である「ティベリウス」を指名したのである。
そうした幸運によって皇帝になった者は、例えば中国史であれば放埓であったりするのだが、ティベリウスは生真面目に皇帝という職を務める。
そうなのだ、まさしくローマ皇帝というのは「職」である。
それではティベリウスは、どのように務めたのか?
ということは、ぜひ本書を読んでいただきたい。現代においても、いや混迷する現代であるからこそ、参考となる施策の基本理念がある。
それにしても、有能な独裁者を頂くと、人々は全てを彼に任そうとする。ということがこの物語を読むとよくわかる。そして彼がしたことを批判する。それがとっても「らく」だからである。
「岡目八目」というコトバどうり、誰かが何かしたことを語るのは簡単なのである。
独裁者というのは孤独である。孤独に耐え、人々の人気取りをせずに正しい道を選択するというのは、大変である。
そういう独裁者を選ぶ社会もすごい。
今、社会は、どちらかといえば「リーダーシップあふるる人」を望む傾向にあるが、そういう人物はなかなかでてこないのではないか。社会の仕組みをよく理解し、将来のあるべき姿を見通し、人々を導いていくというのは、なまなかな人ではできない。そして、現代の日本社会の土壌ではそういう人物は現れないだろう。
この物語を読むとわかるが、ユリウス・カエサル-アウグストゥス-ティベリウスは、自律し自律したローマ市民が、生んだもしくは作った「結晶」なのではないかと思わされる。
つまり今の日本は「結晶」ができるような社会ではないということを痛切に感じさせられるのである。
追伸
本日はカモシュウ、一科目。多分大丈夫・・・だろうと思いたい。
しかし、このローマ帝政は、私が今まで考えていた「帝政」とは違うのである。
「ローマ帝国とは、ユリウス・カエサルが設計図を書き、アウグストゥスがそれに基づいて構築した大建造物のようなものである」
という説明がある。では、具体的にはどういう帝国か?少し長いが引用する。
「(前略) 皇帝に就任するにも元老院の承認が必要であるだけでなく、皇帝の後継者選びにも元老院の承認がないと実現不可、皇帝勅令でさえも暫定措置法でしかなく、恒久的な政策にしたいと思えば、これまた元老院の議決を必要とし、それがなければ法制化も不可というのが、アウグストゥスの創設したローマの帝政であった。ローマの皇帝とは、支那の皇帝を思い起こしていては理解不能な存在なのである。ペルシアなどのオリエントの君主制ともちがう。ローマ的、という形容詞をつけるしかない皇帝なのであった。」
こうなると、思い浮かぶのは「スター・ウォーズ」のようなものかな、というきがしないでもない。
さて、この巻に登場する皇帝は第2代「ティベリウス」である。
ユリウス・カエサルは後継者として姉の孫アウグストゥスを選び彼が初代皇帝になる。そして2代皇帝には彼の子をと考えていたのだが、若くして亡くなったことから、彼の妻の連れ子である「ティベリウス」を指名したのである。
そうした幸運によって皇帝になった者は、例えば中国史であれば放埓であったりするのだが、ティベリウスは生真面目に皇帝という職を務める。
そうなのだ、まさしくローマ皇帝というのは「職」である。
それではティベリウスは、どのように務めたのか?
ということは、ぜひ本書を読んでいただきたい。現代においても、いや混迷する現代であるからこそ、参考となる施策の基本理念がある。
それにしても、有能な独裁者を頂くと、人々は全てを彼に任そうとする。ということがこの物語を読むとよくわかる。そして彼がしたことを批判する。それがとっても「らく」だからである。
「岡目八目」というコトバどうり、誰かが何かしたことを語るのは簡単なのである。
独裁者というのは孤独である。孤独に耐え、人々の人気取りをせずに正しい道を選択するというのは、大変である。
そういう独裁者を選ぶ社会もすごい。
今、社会は、どちらかといえば「リーダーシップあふるる人」を望む傾向にあるが、そういう人物はなかなかでてこないのではないか。社会の仕組みをよく理解し、将来のあるべき姿を見通し、人々を導いていくというのは、なまなかな人ではできない。そして、現代の日本社会の土壌ではそういう人物は現れないだろう。
この物語を読むとわかるが、ユリウス・カエサル-アウグストゥス-ティベリウスは、自律し自律したローマ市民が、生んだもしくは作った「結晶」なのではないかと思わされる。
つまり今の日本は「結晶」ができるような社会ではないということを痛切に感じさせられるのである。
追伸
本日はカモシュウ、一科目。多分大丈夫・・・だろうと思いたい。