著者<鈴々舎馬風>は落語家である。
現在は落語協会の会長なのである。
この人を知ったのは<柳家かゑる>と名乗っていたころ、キックボクシングのリングアナウンサーをしていた。
それから、テレビなどで落語や発言を聞くと「まあなんて乱暴な」と思っていたものである。
その馬風の落語のなかで最も受けたのが自作の「会長への道」である。
これは、馬風が落語協会の会長になるためにはどういうことが必要かということのお話なのだが、それは自分の上位にいる人たちが死ぬことなのである。
しかもそれがどのようにして死ぬのか、ということまでをまあ克明に描いたものなのである。
この話を聞いたときには、面白いにのは面白いのだけれどこんなに傍若無人でいいのだろうか、と思ったものである。
さて、この本「会長への道」は<自伝>のようなものである。
落語会、特に馬風の師匠である柳家小さんとその一門の話、或いは修行時代に接した名人たちのことから、自分の修行時代の話、自分の一門(弟子たち)の話などが満載なのである。
私は落語というか演芸が好きなので、こういう話には大いに興味がある。
ということなので、面白かった、のである。
現在は落語協会の会長なのである。
この人を知ったのは<柳家かゑる>と名乗っていたころ、キックボクシングのリングアナウンサーをしていた。
それから、テレビなどで落語や発言を聞くと「まあなんて乱暴な」と思っていたものである。
その馬風の落語のなかで最も受けたのが自作の「会長への道」である。
これは、馬風が落語協会の会長になるためにはどういうことが必要かということのお話なのだが、それは自分の上位にいる人たちが死ぬことなのである。
しかもそれがどのようにして死ぬのか、ということまでをまあ克明に描いたものなのである。
この話を聞いたときには、面白いにのは面白いのだけれどこんなに傍若無人でいいのだろうか、と思ったものである。
さて、この本「会長への道」は<自伝>のようなものである。
落語会、特に馬風の師匠である柳家小さんとその一門の話、或いは修行時代に接した名人たちのことから、自分の修行時代の話、自分の一門(弟子たち)の話などが満載なのである。
私は落語というか演芸が好きなので、こういう話には大いに興味がある。
ということなので、面白かった、のである。