読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

ハツカネズミと人間 スタインベック 新潮文庫

2007-04-24 22:11:30 | 読んだ
えっ!こんなのも読むの?と思われるかたも多いと思われますが、ワタクシ基本的に雑食ならぬ雑読であります。

とはいうものの、私自身も驚いています。
この本はラジオで詩人の荒川洋治さんが語っていたので、読んでみようか、と思ったのです。
本屋さんで手に取ると薄い文庫です。148ページであります。
これならば、何とか最後まで読めるだろう、と思いましたです。

スタインベックという名前は何とか知っていましたが、どんなものを書いたのか、どういうカンジなのかは知らなかったです。そうしたら「エデンの東」を書いた人だというではありませんか。
といっても「エデンの東」とか「ジェームス・ディーン」もその名前を知っているだけですけど・・・

というわけで読み始めると、これがどうして、なかなか面白いではありませんか。

外国の小説は、名前の印象もなく、地名もわからず、時代背景もわからず、あるいは何かからの出展であるかもわからず、ともかく手探りの状態なので、つまりはスジに頼るしかない。
もしくは、何回も読まなければならない。

この物語も、もしかしたら何かに基づき、何かを暗示しあるいは寓意性があるのかもしれない、だけどそれは今のところよくわからない。

物語は二人の男が新しい農場につとめに行くところから始まる。
一人の男・ジョージがもう一人の男レニーにイロイロと注意をする。どうも前の農場で何かにしくじったらしい。

レニーはいい奴だがジョージの足手まといらしい。
足手まといで一緒にいるとろくなことがないのにジョージは一緒にいる。それは何故なのか?

レニーはジョージの話す「夢物語」を実現できるようにしたいとだけ思っている。
新しい農場でジョージの「夢物語」に賛同する人がでてきて、頑張れば夢で亡くなりそうなときに破局が起こる。

というスジである。
読み始めると「破局」がおきることが予測されるが、しかしそれがどのような形でいつおきるのか、ということがスジを追うことの興味。

しかし、スジだけでなく、人の悲しさ、みたいなものが伝わる。
人は、己の信じたところを行こうとすると誰かとぶつかる。また誰かを避けようとすると他の誰かとぶつかる。

ぶつかったときの状態によって大きな不幸が発生したり、あるいは幸福が訪れたりする。
そういうのは避けられないものではないだろうか。
だから、ぶつかったときに、どのように対応するのか、それが社会のルールなのではないか。

異民族の集まりであるアメリカでは平等が最も求められ、少なくても法の下の平等を担保するために、契約と裁判を前面に打ち出した。
しかし、同じ民族である日本人は義理と人情で我慢すべきところあるいは我慢しなければならないところは辛抱をした。
そんな日本に「契約」という新しいシステムが入ってきて、なんだか変な世の中になってしまった。

そんなことまで思ったりしたのである。

そして、貧乏が社会の悪ではなく、あるいは差別や格差が社会の悪ではなく、そういうものを悪とする人の心が、悪を生んでいるのではないか、と思ったりもしたのである。

本書の結末でジョージは、失ったものの大きさと、失うことが予測できたのにちょっと眼を離してしまった後悔と、厄介払いができたという安堵の気持ちと、入り混じった複雑な感情が入り混じっていたに違いなく、色々な感情が入り混じるのは「人の常」なのだ、と改めて思ったのである。

スタインベック、どこかの本屋でであったらまた1冊読んでみよう。

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コメント
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