下川裕治が東南アジアを旅行した著書を、一時期夢中になって読んだ。
その旅は、東南アジアを「ゆるーい」感じで歩くもので、汚いところも平気、時刻どうり鉄道もバスも動かない、旅程なんてないもの、ともかく行き当たりばったりなものであった。
あこがれたのは、そのような形態の旅ではなく、そのような旅をする下川さんのバイタリティであった。
さて、今回は、ユーラシア大陸を鉄道で横断するものである。
その途中で名所旧跡を訪ねたり、名物を食べたり、車窓の景色を愛でたり、それぞれの国の人たちと交流するわけではなく、ただひたすらに、ユーラシア大陸を鉄道で横断するものである。
こんな旅はしたくない。
そのことが書かれてある。
文章で明確に書いてあるわけではないが、こんなことはやめなさいよ!と言っている。
まあ題名が「最悪」とあるので、明確に書いているのも同じだけれど・・・
文庫本の帯には
「炎熱列車、爆弾テロ、ストライキ、ビザ切れ潜伏・・・・。 車中26泊、乗継27回、15回国境越え、シベリアからポルトガルまでボロボロ旅。」
とある。
なんというか、読んでいくごとに「リタイアしたら」と言いたくなる。
そもそもスタート地点が、当初はユーラシア大陸の東端であるロシアの「ワニノ」というところとしていたのだが、そこは始発駅ではないことがわかり、事実上の始発駅である「ソヴィエツカヤ・ガヴァニ」に変更する。
しかし「ソヴィエツカヤ・ガヴァニ」に行く方法がわからない、というところから始まるのである。
この記録は
第1章 サハリンから間宮海峡を渡る
第2章 シベリアのおばさん車掌
第3章 中国は甘くない
第4章 ダフ屋切符で中国横断
第5章 中央アジアの炎熱列車
第6章 アストラハンの特別ビザ
第7章 憂鬱なコーカサス
第8章 ヨーロッパ特急
という構成である。
つまり始発駅にたどり着くまで1章なのである。
ただ列車に乗って西端を目指すたびなのに、様々な事件がおきる。
共産主義や社会主義国家あるいはそうだった国の手続きの面倒くささ(これは役人が権限をたてに仕事をしているから)、あるいはそれぞれの国の言葉がわからないこと、そして列車の運行がその時々で変わり、時刻表などあってないようなものであることが主因である。
国境をこえる時の手続きに時間を要することを何度も何度も経験し、その対応ができるようになったころには西欧に入って、経験を生かすことができなかったりする。
西欧に入って順調にタブを続けれらると思えばストライキ。
ともかく、行く先々で苦労するのである。
また、食料の調達も頭痛の種となる。
私は、こういう旅は絶対にイヤである。
食料や手続きはなんとか我慢しよう、しかしトイレだけが駄目である。
なにしろ私は国内旅行でもトイレが問題である。
1回寝台車に乗って旅をしたが、一番の問題はトイレであった。
ホテルに着くまで我慢したものね。
そういう旅の暮らしを書いているが、しかし、これだけではない。
これだけの国を乗り継ぐにあたって、列車の運行状況を知ることによって、その国の実情のようなものが見えてくる。
自分たちの乗っている列車の前を走る貨物列車がテロにあう。
やっとその現場を通過したと思ったら、その先に進めずその現場を再度通って戻らなければならない。
隣国とは仲たがいをし、一つ離れた国とは仲がいい。
宗教だったり民族だったりと原因は違うものの、隣り合う人々は仲が悪い。
敵の敵は味方、なのである。
ラストに近づけば近づくほど、気分が落ち込んでいく。
それは寂しさというのではなく「疲れ」らしい。
西欧に入って「疲れ」を認識するほど、旅の途中までは緊張の連続だった。
この紀行文は旅人の立場に同調するのではなく、ハスに構えて「無茶なことするからだよ
」という立場で読んだほうがラクかもしれない。
とはいうものの面白かった。
「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
その旅は、東南アジアを「ゆるーい」感じで歩くもので、汚いところも平気、時刻どうり鉄道もバスも動かない、旅程なんてないもの、ともかく行き当たりばったりなものであった。
あこがれたのは、そのような形態の旅ではなく、そのような旅をする下川さんのバイタリティであった。
さて、今回は、ユーラシア大陸を鉄道で横断するものである。
その途中で名所旧跡を訪ねたり、名物を食べたり、車窓の景色を愛でたり、それぞれの国の人たちと交流するわけではなく、ただひたすらに、ユーラシア大陸を鉄道で横断するものである。
こんな旅はしたくない。
そのことが書かれてある。
文章で明確に書いてあるわけではないが、こんなことはやめなさいよ!と言っている。
まあ題名が「最悪」とあるので、明確に書いているのも同じだけれど・・・
文庫本の帯には
「炎熱列車、爆弾テロ、ストライキ、ビザ切れ潜伏・・・・。 車中26泊、乗継27回、15回国境越え、シベリアからポルトガルまでボロボロ旅。」
とある。
なんというか、読んでいくごとに「リタイアしたら」と言いたくなる。
そもそもスタート地点が、当初はユーラシア大陸の東端であるロシアの「ワニノ」というところとしていたのだが、そこは始発駅ではないことがわかり、事実上の始発駅である「ソヴィエツカヤ・ガヴァニ」に変更する。
しかし「ソヴィエツカヤ・ガヴァニ」に行く方法がわからない、というところから始まるのである。
この記録は
第1章 サハリンから間宮海峡を渡る
第2章 シベリアのおばさん車掌
第3章 中国は甘くない
第4章 ダフ屋切符で中国横断
第5章 中央アジアの炎熱列車
第6章 アストラハンの特別ビザ
第7章 憂鬱なコーカサス
第8章 ヨーロッパ特急
という構成である。
つまり始発駅にたどり着くまで1章なのである。
ただ列車に乗って西端を目指すたびなのに、様々な事件がおきる。
共産主義や社会主義国家あるいはそうだった国の手続きの面倒くささ(これは役人が権限をたてに仕事をしているから)、あるいはそれぞれの国の言葉がわからないこと、そして列車の運行がその時々で変わり、時刻表などあってないようなものであることが主因である。
国境をこえる時の手続きに時間を要することを何度も何度も経験し、その対応ができるようになったころには西欧に入って、経験を生かすことができなかったりする。
西欧に入って順調にタブを続けれらると思えばストライキ。
ともかく、行く先々で苦労するのである。
また、食料の調達も頭痛の種となる。
私は、こういう旅は絶対にイヤである。
食料や手続きはなんとか我慢しよう、しかしトイレだけが駄目である。
なにしろ私は国内旅行でもトイレが問題である。
1回寝台車に乗って旅をしたが、一番の問題はトイレであった。
ホテルに着くまで我慢したものね。
そういう旅の暮らしを書いているが、しかし、これだけではない。
これだけの国を乗り継ぐにあたって、列車の運行状況を知ることによって、その国の実情のようなものが見えてくる。
自分たちの乗っている列車の前を走る貨物列車がテロにあう。
やっとその現場を通過したと思ったら、その先に進めずその現場を再度通って戻らなければならない。
隣国とは仲たがいをし、一つ離れた国とは仲がいい。
宗教だったり民族だったりと原因は違うものの、隣り合う人々は仲が悪い。
敵の敵は味方、なのである。
ラストに近づけば近づくほど、気分が落ち込んでいく。
それは寂しさというのではなく「疲れ」らしい。
西欧に入って「疲れ」を認識するほど、旅の途中までは緊張の連続だった。
この紀行文は旅人の立場に同調するのではなく、ハスに構えて「無茶なことするからだよ
」という立場で読んだほうがラクかもしれない。
とはいうものの面白かった。
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