今年になって、やたらと身体の不調が発生している。
その原因の大部分が「加齢」であることは、自分自身もよく知っている。
なので、あまりショックはないのだ。
ないのであるが、釈然としないものがあるのも事実である。
まず第一点は、この「加齢」という言葉である。
なんだか「響き」はいいのだが、その実態は「老朽化」ということではないか。
なので「加齢」などとは言わずに「老朽化」あるいはもっと直接的に「老人化」などと言ってもらえば、なお覚悟が定まるのではないだろうか。
近年、色々と言葉の置き換えがあり、戸惑うことが多いが、そもそも言葉は物事を区別するものであり、区別には「良い・悪い」「美・醜」「善・悪」「差別」があるものだ。
それなのにそれを曖昧にして、表面的に「穏便に」というのはいかがであろうか?
「本音と建前」の使い分けなどと言われるが、これは受け取る側が「建前」をどのように「本音」に置き換えて聞くのかと言うことが重要であると考える。しかし、近年は受け取る側が心地よいようにという、いらざる配慮が横行し、故に、ときに本音がぶつかりあうといびつな衝突が
発生し悲惨な結末となっている。
閑話休題
ということで、加齢という表現には違和感がある。
第二点であるが、本年手の指が「変形性関節症」
いきてと診断された。続いて昨日は、近年咳がでて大変であり、この8月から咳が止まらないことを受けて呼吸器科の診断を受けたのだが、つまるところ原因不明。
で、いずれも治療不能ということ。
なんといいましょうか、残り僅かな人生をその病とともに生きていってください。という診断と受け止めた。
「加齢」ということはそのようなことであって、やっぱり言い換えることでは、その真意が伝わらないような気がするのである。
織田信長の逸話の中で有名な「人生五十年」という言葉があるが、人の体というのは概ねその辺りが限界であったのに、生活習慣が変わったことや医療の進歩で今のような寿命になってきていると考える。
とすれば、これからはそれなりの覚悟が必要であるということ、それを加齢という言葉でほんわかとしたものに変えては駄目なんだと、つくづく思うのである。
本日後輩の訃報が入って、ショックを受けている。
彼は「加齢」で亡くなった、とは言えない。
そういう年齢であった、と思う。
その原因の大部分が「加齢」であることは、自分自身もよく知っている。
なので、あまりショックはないのだ。
ないのであるが、釈然としないものがあるのも事実である。
まず第一点は、この「加齢」という言葉である。
なんだか「響き」はいいのだが、その実態は「老朽化」ということではないか。
なので「加齢」などとは言わずに「老朽化」あるいはもっと直接的に「老人化」などと言ってもらえば、なお覚悟が定まるのではないだろうか。
近年、色々と言葉の置き換えがあり、戸惑うことが多いが、そもそも言葉は物事を区別するものであり、区別には「良い・悪い」「美・醜」「善・悪」「差別」があるものだ。
それなのにそれを曖昧にして、表面的に「穏便に」というのはいかがであろうか?
「本音と建前」の使い分けなどと言われるが、これは受け取る側が「建前」をどのように「本音」に置き換えて聞くのかと言うことが重要であると考える。しかし、近年は受け取る側が心地よいようにという、いらざる配慮が横行し、故に、ときに本音がぶつかりあうといびつな衝突が
発生し悲惨な結末となっている。
閑話休題
ということで、加齢という表現には違和感がある。
第二点であるが、本年手の指が「変形性関節症」
いきてと診断された。続いて昨日は、近年咳がでて大変であり、この8月から咳が止まらないことを受けて呼吸器科の診断を受けたのだが、つまるところ原因不明。
で、いずれも治療不能ということ。
なんといいましょうか、残り僅かな人生をその病とともに生きていってください。という診断と受け止めた。
「加齢」ということはそのようなことであって、やっぱり言い換えることでは、その真意が伝わらないような気がするのである。
織田信長の逸話の中で有名な「人生五十年」という言葉があるが、人の体というのは概ねその辺りが限界であったのに、生活習慣が変わったことや医療の進歩で今のような寿命になってきていると考える。
とすれば、これからはそれなりの覚悟が必要であるということ、それを加齢という言葉でほんわかとしたものに変えては駄目なんだと、つくづく思うのである。
本日後輩の訃報が入って、ショックを受けている。
彼は「加齢」で亡くなった、とは言えない。
そういう年齢であった、と思う。