小林信彦は私の大のお気に入りである。
「お気に入り」という言葉を、両親世代の人(1932年昭和7年生まれ)に用いるのも「ナン」ですが、ともかくこの人の考えていることに、いちいち頷いてしまうのだ。
近頃は「とんとご無沙汰」状態であった。
週刊文春にエッセーを連載しているが、今の週刊文春は「文春砲」などと呼ばれ、こういっちゃあなんだが「ゲスの極み」になってしまって、手に取るのも嫌になってしまった。
ついでに申し上げれば、誰かが不倫したとか、なんてどうでもいいような話題ではないか?
特に芸人にも清廉潔白を求めるのは「なんだかなあ」と思う。
これは「芸人」を卑下しているわけではなく(といったエクスキューズをいれるのも嫌なのだが)、芸人に求め評価するのはその「芸」であって、その芸の裏側が清廉潔白でなくてもいいと思うのだ。
また、政治家だって求め評価するのは「日本をよくする」ということに係る考え方と行動力である。
日本中が全て「清廉潔白」な人だらけにしよう!
という運動が日本で起きているようで、それが「いやらしい」ように感じているのは私だけだろうか。
小林信彦もそう思っているのではないか、なんて勝手に考えている。
閑話休題
さて、その小林信彦が、文芸春秋で「偏愛の日本女優たち」を5月号から連載を開始した。
不覚ながら、9月号で気づいたのだが、さかのぼって読んでみると、面白い。
5月号(第1回)若尾文子
6月号(第2回)淡島千景
ときたら、ああ昔の女優さんを取り上げているのね、年寄りの昔話なのね、と思うだろうが、
7月号(第3回)は綾瀬はるか、である。
これが、ばかにご贔屓らしく、べた褒めである。
全文ここに書き写したいくらいである。
「綾瀬はるかは女性に嫌われない。それははじめに述べたように芸能界への執着がないことと関係しているのではないか。(中略)『ひみつのアッコちゃん』のアッコちゃんまで演じるというのは、ただごとではない」
「すぐれたコメディアンヌ、アクション女優、グラビアスターであるのに、本人はまったく自覚がない。無意識過剰というやつだ。」
「セクシーではあるが、それは<無意識なセクシー>なのである。そこが綾瀬はるかの細田の魅力だ。」
すごいよね、昭和7年生まれのひとがここまで綾瀬はるかの映画、テレビドラマなどを見て感じたことを書くなんて。
『八重の桜』の感想なんて、ドラマの後半は八重(綾瀬はるかの役)の出番が減ったことに対して
「彼女を出しておいて見せないとはどういうことか。ひそかに憤慨したものだ」
と綴っている。
8月号(第4回)は芦川いづみ
若尾文子、淡島千景、芦川いづみは、私などは、リアルで見たときはすでに大女優であったからか、概ね決まった役をやっていたように思える。
この人たちがあって、今は綾瀬はるかに続く、ということであれば、その間にもいろいろと興味を引く女優たちがいたんだろうなあ、と思う。
そういえば「本音をもうせば」シリーズで『あまちゃんはなぜ面白かったのか』という本があった。
9月号(第5回)は長澤まさみ
「いま、もっとも気になるヒトを一人あげてくれと言われると、筧美和子をあげることとしている。」
から始まる。
そして誰もが知っているというほどでない、ことから論じるのをやめる。
次に、
「別な好みからいえば、堀北真希などはぜひ推したい。」
としながらも、いまはお休みのようだとしている。但し
「(前略)私は彼女のシブい映画を追いかけて観ているのだ」
としている。
そうやって、長澤まさみなのである。
まあ、長澤まさみの出演したものもよく観ていらっしゃる。
で、<陰気な長澤まさみ>が好きだといい、これから<陰気な長澤まさみ>の役をやる時でしょ?と結ぶのである。
3ページかないので、短いといえば短いのだが、そこにギュッと詰め込んでかつ読ませるので小気味のいいものになっている。
昔の女優さんと、今の女優さんをずっと書いていってほしいと思うのである。
「お気に入り」という言葉を、両親世代の人(1932年昭和7年生まれ)に用いるのも「ナン」ですが、ともかくこの人の考えていることに、いちいち頷いてしまうのだ。
近頃は「とんとご無沙汰」状態であった。
週刊文春にエッセーを連載しているが、今の週刊文春は「文春砲」などと呼ばれ、こういっちゃあなんだが「ゲスの極み」になってしまって、手に取るのも嫌になってしまった。
ついでに申し上げれば、誰かが不倫したとか、なんてどうでもいいような話題ではないか?
特に芸人にも清廉潔白を求めるのは「なんだかなあ」と思う。
これは「芸人」を卑下しているわけではなく(といったエクスキューズをいれるのも嫌なのだが)、芸人に求め評価するのはその「芸」であって、その芸の裏側が清廉潔白でなくてもいいと思うのだ。
また、政治家だって求め評価するのは「日本をよくする」ということに係る考え方と行動力である。
日本中が全て「清廉潔白」な人だらけにしよう!
という運動が日本で起きているようで、それが「いやらしい」ように感じているのは私だけだろうか。
小林信彦もそう思っているのではないか、なんて勝手に考えている。
閑話休題
さて、その小林信彦が、文芸春秋で「偏愛の日本女優たち」を5月号から連載を開始した。
不覚ながら、9月号で気づいたのだが、さかのぼって読んでみると、面白い。
5月号(第1回)若尾文子
6月号(第2回)淡島千景
ときたら、ああ昔の女優さんを取り上げているのね、年寄りの昔話なのね、と思うだろうが、
7月号(第3回)は綾瀬はるか、である。
これが、ばかにご贔屓らしく、べた褒めである。
全文ここに書き写したいくらいである。
「綾瀬はるかは女性に嫌われない。それははじめに述べたように芸能界への執着がないことと関係しているのではないか。(中略)『ひみつのアッコちゃん』のアッコちゃんまで演じるというのは、ただごとではない」
「すぐれたコメディアンヌ、アクション女優、グラビアスターであるのに、本人はまったく自覚がない。無意識過剰というやつだ。」
「セクシーではあるが、それは<無意識なセクシー>なのである。そこが綾瀬はるかの細田の魅力だ。」
すごいよね、昭和7年生まれのひとがここまで綾瀬はるかの映画、テレビドラマなどを見て感じたことを書くなんて。
『八重の桜』の感想なんて、ドラマの後半は八重(綾瀬はるかの役)の出番が減ったことに対して
「彼女を出しておいて見せないとはどういうことか。ひそかに憤慨したものだ」
と綴っている。
8月号(第4回)は芦川いづみ
若尾文子、淡島千景、芦川いづみは、私などは、リアルで見たときはすでに大女優であったからか、概ね決まった役をやっていたように思える。
この人たちがあって、今は綾瀬はるかに続く、ということであれば、その間にもいろいろと興味を引く女優たちがいたんだろうなあ、と思う。
そういえば「本音をもうせば」シリーズで『あまちゃんはなぜ面白かったのか』という本があった。
9月号(第5回)は長澤まさみ
「いま、もっとも気になるヒトを一人あげてくれと言われると、筧美和子をあげることとしている。」
から始まる。
そして誰もが知っているというほどでない、ことから論じるのをやめる。
次に、
「別な好みからいえば、堀北真希などはぜひ推したい。」
としながらも、いまはお休みのようだとしている。但し
「(前略)私は彼女のシブい映画を追いかけて観ているのだ」
としている。
そうやって、長澤まさみなのである。
まあ、長澤まさみの出演したものもよく観ていらっしゃる。
で、<陰気な長澤まさみ>が好きだといい、これから<陰気な長澤まさみ>の役をやる時でしょ?と結ぶのである。
3ページかないので、短いといえば短いのだが、そこにギュッと詰め込んでかつ読ませるので小気味のいいものになっている。
昔の女優さんと、今の女優さんをずっと書いていってほしいと思うのである。
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