読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

すべての美人は名探偵である 鯨統一郎 光文社文庫

2008-01-15 22:23:13 | 読んだ
またしても鯨統一郎である。

今回のヒロインは二人。
<早乙女静香>「邪馬台国はどこですか?」に登場、
<桜川東子(はるこ)>「九つの殺人メルヘン」に登場。

私は早乙女静香は知っているのであるが、桜川東子の登場する作品は読んでいないのである。
従って、桜川東子については今回が初対面である。

早乙女静香は美貌の歴史学者である(性格は非常に悪いといっていい)が、彼女はテレビ討論で歴史学者の阿南と大喧嘩をする。
静香が学生たちと出かけた沖縄旅行でその阿南が殺された、しかも第1発見者は静香。

桜川東子は桜川コンツェルン総帥の娘でメルヘンを研究している女子大生。
彼女と早乙女静香はバー「森へ抜ける道」で出会い、阿南殺人事件にまつわる徳川家に関する「古代文書」と童謡「ずいずいずっころばし」の推理を共同で行うことになる。
共同といっても東子は静香を「お姉さま」と呼び、静香は東子を秘書として扱っているのだが・・・。

さて、物語はこの殺人事件とそれにまつわる徳川家に関する謎を柱に、静香のライバルの歴史学者「翁ひとみ」、賞金5000万円のミスコン、そして得体の知れない宗教団体などがからみあって進む。

鯨統一郎の得意な歴史ミステリと本格ミステリが絡んで、そして更に笑っちゃうユーモアとギャグ満載である。

ということで、次は桜川東子シリーズを読んでみようか。

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私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか。 島村英紀 講談社文庫

2008-01-14 20:41:28 | 読んだ
著者は「前国立極地研究所所長」である。
これではなんのことやらわからないが、
『日本を代表する地震学者で、巨大地震のすべては海底で起きることから海底の地震活動の解明につとめた。』
という人で、
『海底地震を調査研究するために、自身で開発した<海底地震計>を使って世界各地で観測をしてきた。』
のだそうだ。

この<海底地震計>をめぐることで、彼は逮捕され裁判を受けることになったのである。
ところが、この<海底地震計>についてはいわば直接的な原因・要因になっているが、実は、彼は「地震予知ができる」ということに対して厳しく批判をしてきていることが、逮捕・裁判の根本的な要因のようなのである。

ここのところは、本書では短く書いてあるだけで、詳細についてはホームページをみて知ることになるのであるが、つまりはあの外務省のラスプーチンと呼ばれた佐藤優氏が著書「国家の罠」でいうような「国策捜査」だったらしいのである。

さて、この本はそのような逮捕・拘留171日間の出来事を描いたもので、逮捕の要因となった地震計や地震予知については詳しくは書かれていない。

書かれているのは『逮捕され拘留される所以が明確でないこと』に対して『逮捕され拘留されていることの現実』といったバカバカしさや、『被疑者』ということにたいする『一律の取扱い』というバカバカしさ、そしていつこのようなめに遭うかもしれないといったバカバカしさ、である。

著者はある日突然逮捕される。
<海底地震計>のことにつて勤務する北海道大学から「業務上横領」で告訴され、そのことについて争っている最中であったのだが、まさか逮捕されるとは思っていなかった、ということと、「詐欺」という罪名ということの二つが入り混じった「突然」ではある。

そして著者その日から171日間、札幌の拘置所に拘留される。
その間、容疑を否認をし続けたことによって「接見禁止」という『おまけ』までついて。

で、この間の出来事を詳細に綴っているのである。
著者は、この間の出来事を二度とない経験として、さまざまなことに興味を示し、さまざまな出来事について考証するのである。
それは「独房の構造」「拘置所で行われている諸手続き」「取調べのかけひき」「拘置所の掟」「拘置所の食事」「看守たち拘置所で働く人々」「裁判の様子」などなど、多岐多彩にわたる。

これがほんと「バカバカしく」面白い。
例えば、著者は拘留中歯が痛くなる。そこで、歯の治療について「願い」を提出するが、診察してもらったのは4ヵ月後であった。
その4ヶ月の間、著者は与えられた薬と自らの工夫で歯痛を克服をしていた。著者は記す。

「私のように突然の逮捕ならしょうがないだろうが、強盗など、時期を自分である程度選べる犯罪を企ててるのなら、その前に歯や身体の悪いところを治しておいたほうがいいだろう」

このことについて、この本の解説を書いている安部譲二も
「これは、私がいつも実地で痛感していたことなのだ」
と記している。

このほか、毎日10分間しか流されないラジオのNHKニュースでなぜ「大リーグ情報」が優先されるのか?とか、インスタントココアのおいしさとか、シャープペンシルの芯がいつまで保つのかといった統計作業など、日常の何気ないことを書いているのだが、なんだかすごく身につまされるようエピソードが記されている。

171日間の拘留のあと、これもまた突然に保釈が許される。
これが夜8時だったので、著者は「もう遅いし、布団も敷いてしまったので明日にならないか」なんて言ったりする。
その心境もわからないでもないが、笑ってしまう。

この本を読むと、我々が「持っている」と信じている『自由』なんて、それほどに確固としてあるものなのではなく、ある日突然に奪われてしまうものなのであることがわかる。
それゆえに『自由』を気ままにふりまわしてはならないのではないだろうか。なんて思うのである。

非常に面白く興味深く読んだのであるが、世の中の決まりごとなんてある面非常にバカバカしく、そのバカバカしさゆえに例えば権威であるとか荘厳さなどの多くの飾りつけが必要なんだということが、なんとなくうすぼんやりと気づいたのであった。

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青春のうた 第51巻 1970年代中期⑮

2008-01-13 12:20:30 | 読んだ
1.やさしさに包まれたなら/荒井由実 1974年4月

ユーミンの世界といわれる詞とメロディーは、私にとってはサッパリ実感の伴わないそして想像もできないものである。
だから、最初の頃は「なんだか変なの」という感じだった。

だけどどっか心に引っかかる部分がある。それがなんだか聞き続けてしまうところなんだろうとは思うのだが・・・

この「やさしさに包まれたなら」も、じっくりと聞くこともなく聞き流していたのであったが、それでも頭のなかにはしっかり入っていて、流れてくれば口ずさんだりしたものである。

今回久しぶりに聴いて思ったのは、こんなにゆっくりとした歌だったろうか、ということであった。
そして、じっくり読めば読むほどこの詞にはついていけないな、と思ったのである。

2.線香花火/さだまさし 1976年11月

さだまさしの世界のほうが受け入れやすい。
だが、この曲、知ってはいるのだけれど、題名を聞いただけでメロディーを思い浮かべることができなかった。

この歌は初期のさだまさし。つまり、情念があって、景色があって、切なくて、さびしくてなのだが、聞き終わると透明感だけが心を占めてで「色」が思い浮かばないのである。

自分に近いからといってそれが住みつくわけでもなく「やさしさに包まれて」のように遠いところのものでもなんだかずっと残っているという、人の心や感じることなんてそういう、説明のつかないものなのである。

3.たえこMY LOVE/吉田拓郎 1976年12月

拓郎が変わった!
と当時思ったのであった。

愛の歌をこのような形で歌うなんて、スゴイ!
と思ったのである。

拓郎らしさを失わずに「歌い上げる」という形が良かったのである。
この歌の一つ前「明日に向かって走れ」でなんとなく感じてはいたのであったが、そのときはまだ「メッセージ」を送る、時代を語る、みたいなところだった。

この歌で拓郎は「シンガー(歌手)」になった、と思ったのである。

4.眠れない夜/泉谷しげる 1974年10月

この歌は「大好き」である。

ちょうど東京で暮らしていた頃、この歌のような感じだったのである。

♪都会の暮らしは底なしで♪
とか
♪憧れにつられてやってきたら 自分だけがただ憧れている♪
なんて、そのまんまだったような気がするのである。

泉谷しげるの歌って印象とは違ってものすごく「繊細」なのである。
その繊細さを乱暴に歌い上げるところが、魅力なのである。

この眠れない夜をギターを叩くようにして歌うと、気分がスッキリするのである。

5.ああ青春/トランザム 1975年5月

この歌は解説にあるように「俺たちの勲章」というドラマのテーマで、インストバージョンであった。

当時はテレビのない生活をしていたのでそのドラマを見てはいなかったが、吉田拓郎がインストゥルメンタルの曲を発表したということで「おお!」と思ったものである。
ギターの響きが心地よかったのであるが、出だしのコード進行「C-Am」は曲を聴いてすぐわかり、インストでもやっぱり拓郎だとなんだか嬉しかった。

ところで「俺たちの勲章」のなかで中村雅俊が歌っていた「いつか街で会ったなら」はこの歌よりも好きだったなあ。

6.帰らざる日々/アリス 1976年4月

この歌が発表されたときよりも、後にアリスがメジャーになってコンサートの最後で歌うようになってからのほうが印象深い、というか好きになった。

最後の部分
♪Bye Bye Bye・・・♪
と永遠に続いていきそうなところが、コンサートがこのまま永遠に続けばいいという聴く側の気持ちを反映して続いていくところが、なんともいいのである。

もっとも終わったときはある意味「ほっと」するのであるが・・・

この歌は自殺する人の歌だと思うのであるが、何でこんな歌を歌うんだろうと、不思議ではある。

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アッコちゃんの時代 林真理子

2008-01-11 23:48:02 | 読んだ
アッコちゃんにはモデルがいる、ということは読む前にわかった。

スゴイ人もいるもんだなあ、と思い本を読んだのである。

で、まあ読んだには読んだのであるが、なんというか読後に「感動」というのはなかったのである。
どちらかといえば、腹立たしさとか憤りとか、だったのである。

物語は、ともかく美しく生まれた「厚子」が美しいというだけで自ら主体的にどうしたというわけでもないのに、時代の男たちとつきあい「魔性の女」とか名づけられて、それでも別段気にも留めずに生きている、というようなものである。

申し訳ないが、このようにどっちかというと否定的な紹介になってしまっているのは、やっぱり嫌悪感が先にたっているからである。

どうしてこのような小説になったんだろう?
というのがまずもっての感想である。

アッコという小説の素材の魅力にふりまわされて、アッコもアッコを取り巻く男たちもバブル期という日本も、どこか中途半端に描かれている、という印象なのである。
もっと強く言えば、著者のたんなるミーハー的気分だけが先立っている、とおもうのである。

登場する人たちにも私から見て魅力的な人はおらず、美とか金というものにまったく縁のない私には、あまりいい読後ではなかったのである。

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いっちばん・餡子は甘いか ~しゃばけ~ 畠中恵 小説新潮

2008-01-09 23:29:11 | 読んだ
小説新潮12月号から連載されている、しゃばけシリーズである。
つまり、しゃばけの最新版である。

「いっちばん」が12月号、「餡子は甘いか」が1月号である。
このシリーズから、主人公・一太郎の幼馴染で菓子屋の三春屋の跡取りで情けないほどに菓子作りの腕がない栄吉が修業に出ている。

私はいつも思っているのであるが、面白い物語というのは「異常な設定で普遍的な人の物語」もしくは「普通の設定で異常な事件をめぐる人の物語」だと。

このしゃばけは、前者の「異常な設定で普遍的な人の物語」である。

妖の血をひく日本一身体の弱い大店・長崎屋の若旦那・一太郎が主人公で、その主人公を取り巻く脇役が妖である。
従って、ごく日常的なことも異常な世界となる。

そして、そこでおきる事件とその解決の方法は、非常に人情味のあふれるものである。

そことのところがこの物語を面白くしているのだと思うのである。

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新春歴史ミステリー古代ローマ1000年史 TBS系

2008-01-08 23:23:03 | 観た、聴いた
1月3日18時30分から23時まで放映された「古代ローマ1000年史」をビデオに録画していて観た。

コマーシャルをとばしてみるので結構退屈せずに見ることができた。

塩野七生の「ローマ人の物語」を原作に、古代ローマをBBCの再現ドラマをまじえて、現代に残る遺跡をめぐるものだった。

すばらしかったのは現代の遺跡巡りをした映像。
これまで観たイタリアの映像は「駆け足」的であった。今回はゆったりとした流れでよかった。
そして、ナレーターの森本さんがよかった。

しかし、若干気になることがあった。
①何故、レポーターが知花くららと稲垣五郎なのか
②何故、司会がみのもんたなのか
③何故、ゲストがあのような人たちだったのかあ(ローマを知らないあるいはあまり興味のない人たちだったのではないか)
④アニメが非常に稚拙だった。

また、あの長編をしっかりと解釈し紹介するのには無理があるのわかるが、ちょっと集中しすぎたのではないか。

長時間の番組ではあったが、やっぱり時間的にきついような気がする。
「ハンニバル」「ユリウス・カエサル」「ネロ」に絞ってはいたが、彼らを語るには相当の時間を要する。
従って、若干舌足らずで終わった印象は否めない。

とはいえ、いい映像であった。
あんまり多くの人が見るとは思えない番組だとは思うのだが、よくこの日この時間に放送したものだと感心している。

ローマ人の物語を読むときに、この映像が思い浮かんで、より具体的になることと思う。

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シチュー 諸田玲子 小説新潮12月号

2008-01-07 23:26:03 | 読んだ
小説新潮12月号の特集は「ジョン・レノンが撃たれた日」である。
これを主題に4本の小説、2本のエッセイが掲載されている。

で、私はビートルズの音楽は好きである、であるが「熱狂的」ではなく「狂信的」でもなく、なによりリアルタイムではないのである。
従って、ジョン・レノンが撃たれたとき、さほどにショックではなかった。

1980年12月8日って、何をしていたんだろう。
約一ヶ月前、結婚した。
ジョン・レノンどころでなかったんだろう。

ところで、この6編のなかから、諸田玲子の「シチュー」を選んだのであった。

ジョン・レノン一辺倒でビートルズバンドを組みライブハウスで演奏している男・雅也を恋人に持つ祐子の物語である。
雅也は「お金がないくせに金遣いが荒い。むら気で瞬間湯沸かし器。気取りやのくせにだらしない。その上、他に女がいそうな気配まで・・・」する男なのである。

祐子は友達の美智代からも忠告されているがなかなか別れられないでいる。

そんな雅也が、ジョン・レノンが撃たれた日に行方がわからなくなる。
祐子は、雅也にそのことを知らせようと雅也を探し回るが・・・

そんな恋愛もあるだろう。ってカンジかな。
そして、当時の男はあるところでスパっと切り替えることができた、というか切り替えなければならなかった。

夢を追い続け、そして更に夢を追い続けることが出来るのは一握りの男たちに過ぎない、そんなことを知っていても最後まであがいてしまう、でも結局諦めざるを得ない。

ビートルズの歌を聞いてそんなことを思いはしないが、ジョン・レノンが撃たれたとき、そんなことを思ったのだろうか。

諸田玲子の現代ものの小説もなかなかいいのである。

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ジーン・ワルツ 海堂 尊 小説新潮

2008-01-06 15:22:19 | 読んだ
週刊朝日で、海堂尊の小説「極北クレイマー」の連載が始まった。
読み始めたらいわゆる「医療小説」らしく、興味を持ったのでこれから読み続けようと思ったのである。

そうしたら「小説新潮」の12月号に「ジーン・ワルツ」という小説の集中連載・最終回とあるのを発見した。
これは読んでおこう、と思い、第1回の6月号から読み始めて、あまりの面白さに全部読んでしまったのである。

したがって、今はすごく「興奮状態にある」のだ。
それほど面白い小説だった。

主人公は帝華大学の産婦人科学教室の講師:曽根崎理恵、女医である。
この小説は、彼女をとおして、現在の医療行政と医療現場の乖離や医学についてと、5人の妊産婦の経過が描かれている。

現在の医療特に産婦人科の大変さ(医師も妊産婦も)は、マスコミ報道だけでなく我々の日常でも語られていることである。
現に我が市の公立病院には常勤の産婦人科医も小児科医もいない。

このようなことになってしまった源などについても、この小説で描かれている。
また、子供を産みたくても産めない人、或いは産みたいと願わないのに妊娠する人についても描かれている。

健康で5体満足な子供が生まれる確率というのは決して高いものではないこと。
子供を産む、ということは高いリスクがあること。
それらを乗り越えて子供産むということの崇高さ、みたいなものが伝わる。

曽根崎理恵の大学の講義「発生学」の場面では「へえーそうなのか」と改めて妊娠と出産について教えら、医学生の気分になったりする。
また、それらを科学的に説明できる現代の医学の水準の高さ、或いは人口授精や手術などの医療技術の高さを知ることができる。

そして、それらの科学的理論や高度な技術をもってしてもどうしようもない「現実」の非情さや、人の心の移り変わりに感動してしまう。

医学と医療技術の進歩や高度化、そして安全な社会の構築は、我々を不老不死の社会にいるというような錯覚に陥らせ、覚悟とか諦観といったいわば「哲学的」或いは「宗教的」感覚を失わせてしまった。
そういう思いを更に深く強く感じさせられた。

小説の大きな山場では、4人の妊産婦が同時に産気づき、それを奇跡的な現象と高度な医療技術で乗り越える、ということが描かれ、これは本当に感動ものであった。

我々は、科学であらゆる現象を検証することも大切だが、もっと謙虚に自然や生命というものの不可思議さを受け入れるべきである。

ちなみにこの小説の題名「ジーン・ワルツ」だが、ジーンはGeneつまり遺伝子である。そしてこの遺伝子の3つの組み合わせが1種類のアミノ酸を指定する。というところから出ているらしい。

久々に興奮して読んだ小説であった。
この著者についてはこれまで食わず嫌いであったところもあるが、ちょっと注目していこう。とりあえずは「チーム・バチスタの栄光」でも読んでみようかと思っている。

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X(エックス)橋の虹 熊谷達也 小説新潮連載

2008-01-05 22:05:32 | 読んだ
熊谷達也は同郷である。そして高校の後輩である。
「だからなんなんだ!」ということもあるのだが、一度は読んで見なければならないと思いつつ、今出ている本にはどうしても手が伸びない。

なんだかちょっと自分とは違和感があるのである。
それでも読んでおかなければならないんだろうなあ、と思い込んでいる。

全然読まないわけではなく、これまでも雑誌に掲載されたものは読んでいるのであるが、今回、小説新潮の12月号から連載が始まったのを期に、今回は絶対に読み通してやる、と決意したのであった。

X(エックス)橋というのは仙台駅の傍にある橋で、正式名称は宮城野橋で東北本線をまたぐいわゆる「跨線橋」である。

従って、この物語は仙台が舞台である。
そして、時代は昭和20年7月10日の仙台空襲あたりから始まる。

主人公の祐輔は、仙台空襲で母と妹を失い天涯孤独となる。
それまでは戦争に行くことが自分の使命であると考えていたが、空襲を受け母と妹を失い、そして火葬場で働いているうちに、その使命は消えうせた。

12月号、1月号と2回であるが、今後祐輔はどのようになっていくのか、また父が幼いときになくなり、母はどうのように暮らしてきたのかなどの「謎」の部分もある。

なかなか期待させる出だしである。
じっくりつきあっていこうと思わせる、いい滑り出しで今後の楽しみが一つ増えた。

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おまけのこ 畠中恵 新潮文庫

2008-01-03 21:28:51 | 読んだ
「しゃばけ」シリーズ第4弾の文庫版である。

5編の小説が収められている。
「こわい」
「畳紙(たとうがみ)」
「動く影」
「ありんすこく」
「おまけのこ」
である。

この「しゃばけ」シリーズは、廻船問屋にして薬種問屋の大店・長崎屋が舞台である。
主人公:一太郎は、この長崎屋の若旦那である。この一太郎は病弱で寝付いている状態の日々が多い。なにしろ、この若旦那の病を治すために集めた薬がもとで薬種問屋をあわせておこなうこととなったのである。
そして、この若旦那は超能力を持っている。
それは「妖(あやかし)」が見えて妖と話が出来るのである。

妖というのはいわゆる「妖怪」である。
なぜ、この妖が見えて話が出来るのかといえば、若旦那の祖母が齢(よわい)三千年という大妖(たいよう)であるからなのである。

そして若旦那には強い妖である「白沢(はくたく)」と「犬神」が人の形となって側にいる。

この設定でさまざまな事件がおきるのである。
若旦那は持ち前の推理力と妖の力を借りて、さまざまな事件を解決するのである。

この事件が、ハラハラドキドキしたりするような厳しい形ではなくて、どこかのんびりとした或いはゆったりとした形で描かれるのである。
もっとも、若旦那はものすごい「病弱」なので立ち回りが出来ないのである。

さて、今回の5つの物語はそれぞれが面白いのだが・・・

「こわい」はどうしても世間に受け入れられないものがあるということを描いており、切なくなる。登場する妖に同情してしまったりするのである。

「畳紙(たとうがみ)」も世間と自分をどう折り合わせるかということについて考えさせられる。

この2編がよかった。勿論他の3篇も捨てがたいのであるが、この2つがなんだか響くのである。

この「おまけのこ」はシリーズ第4弾であるが、これまでの物語を読まないでいても大丈夫。すぐ、物語にスット入っていける。もしその時点で興味を持ったら第1弾から読み始めればいい。

なお、しゃばけの新しいシリーズが小説新潮に掲載されている。

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初詣 雪の中尊寺・毛越寺

2008-01-02 22:28:29 | 日々雑感
今年も中尊寺と毛越寺に初詣に行ってまいりました。
昨日降った雪で、いい趣の景色となっていました。

中尊寺は相変わらずの人の多さで、ぬかるんだ道と相俟って、大変ではありましたが、大変なことは先刻承知で出かけたのですから・・・

先ずは月見坂、そして中尊寺本堂であります。
 

続いては、毛越寺。
 

毛越寺は人が少なく、ゆっくりと境内を回ることができました。

何を願い祈ったのか?
かなえば発表したいけれど、なかなか難しいことですし、かなわないだろうと思っているから願うのでしょうね。

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賀正

2008-01-01 20:35:28 | 日々雑感
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

昨日から雪がちらつき、雪景色の新年となりました。
前回の南天の木も雪景色となりました。
  

本日はお笑い番組を見ていましたが、特に、午後からのNHKBSの昭和なつかし亭をみて、懐かしい芸をみて笑っています。

内海桂子・好江、かしまし娘、中田ダイマル・ラケット、柳家小さん、林家三平、江戸家猫八、夢路いとし・喜味こいし、などなど。
まだまだこれから22時まである。
ただいま早野凡平が始まった。ゆっくり見ることにしよう。

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