再び惑星の数の話。
12個に増えるかと思った太陽系惑星が逆に8個になるとか。
うんと大雑把にいうと、こういうことらしい。
「冥王星の地位を惑星として存続させるために惑星の定義を決めると、みっつ増える。さらにこの先、惑星がわんさか増えて収拾がつかなくなりそうだ、そもそも冥王星を惑星としてきたのが間違ってる、冥王星君、小惑星に降格!」
なんだか人間社会の問題みたいだ。
以下はこの情報ソースのWikipediaからの引用
「2006年8月24日の国際天文学連合総会で、惑星の定義を確定することが議題となった。当初の定義案ではセレス、カロン、2003 UB313が新たに惑星とされる可能性があったが、反対意見が多かったことから逆に冥王星を除外することが採択された。」
惑星の数がいくつだろうと冥王星君の地位がどうなろうと、どうでもいいといえばいい。
ただ、リアルタイムで更新されるWikipediaの記事(8/24の総会の決定事項がその日のうちに反映されている)を読んで、つくづく「インターネット=百科事典」という機能の便利さとすごさを感じた。
どうでもいいとはいえ、冥王星がなくなると「すいきんちかもくどってんかいめい(めいかい)」が「すいきんちかもくどってんかい」になりスワリが悪い。
F→Fm→C のコード進行で終わるメロディが F→Fm で終わってしまうような感じでちょっとやだなぁ。
12個に増えるかと思った太陽系惑星が逆に8個になるとか。
うんと大雑把にいうと、こういうことらしい。
「冥王星の地位を惑星として存続させるために惑星の定義を決めると、みっつ増える。さらにこの先、惑星がわんさか増えて収拾がつかなくなりそうだ、そもそも冥王星を惑星としてきたのが間違ってる、冥王星君、小惑星に降格!」
なんだか人間社会の問題みたいだ。
以下はこの情報ソースのWikipediaからの引用
「2006年8月24日の国際天文学連合総会で、惑星の定義を確定することが議題となった。当初の定義案ではセレス、カロン、2003 UB313が新たに惑星とされる可能性があったが、反対意見が多かったことから逆に冥王星を除外することが採択された。」
惑星の数がいくつだろうと冥王星君の地位がどうなろうと、どうでもいいといえばいい。
ただ、リアルタイムで更新されるWikipediaの記事(8/24の総会の決定事項がその日のうちに反映されている)を読んで、つくづく「インターネット=百科事典」という機能の便利さとすごさを感じた。
どうでもいいとはいえ、冥王星がなくなると「すいきんちかもくどってんかいめい(めいかい)」が「すいきんちかもくどってんかい」になりスワリが悪い。
F→Fm→C のコード進行で終わるメロディが F→Fm で終わってしまうような感じでちょっとやだなぁ。
組曲「惑星」が作曲された当時は、まだ「冥王星」は未発見だったので、組曲は「海王星」までですから。
只、「冥王星」と第10惑星を発見した米国がどう出るか?
いまだに「進化論」を教えていない州があるようなお国柄ですから、意地でも教科書から「冥王星が惑星である」という記述を削除しなかったりして(笑)。
膨大な貿易赤字と軍事力を後ろ盾に(笑)、3年後の学会総会へ向けて「冥王星の惑星登録復活」を画策して各方面へ圧力を掛けたりしそうで怖いです(笑)
確かにアメリカならそんなことやりかねないですね。
いまだにSI単位系を取り入れない国ですから。
松本零士が「冥王星に対する『想い』のようなものを考慮してほしかった」というようなニュアンスのコメントをしたみたいだけど、なんかこの人、マスコミがこんな風にコメントして欲しいと考えるまんまにコメントする人ですね(笑)
松△○□も昔と違って柔軟性をなくしてしまったのでしょうね。仕事の依頼で出入りしていた、ん十年前は、かなり、自由な発想をしていたのに、老残を感じました(滂沱。
それより、ホルストの組曲に「冥王星」(コリン・マシューズ作)などを加えるなど、原曲の統一性を平気で破ってしまう風潮の方が、怖いかも。
モーツアルトの「フィガロの結婚」は、当時、大ヒットした「セビリアの理髪師」の続編として書かれましたが、プッチーニ(ずっと後の人)の作曲した「セビリアの理髪師」だと思いこんでいる人が多いのと同じで。実際は、サリエリの作曲した「セビリアの理髪師」なのに。
本来、客観的であるべき科学の世界がこんなに恣意的、御都合主義ですから、クラッシック音楽の世界でぐちゃぐちゃしたりするのはしょうがないかも。
タイトルが原作者の意図と全然違うものになって伝わるなんて例もたくさんありますよね。