レストレーション目的で...。
アメリカにおいて ランドクルーザーFJ25 の記述が多いのがこのフォーラムIH8MUD.COM である。以下全てそのフォーマルからの写真である。50年前に製造されたトラックであるが故に、当時の日本の景色の写真なども豊富にあって懐かしさを感じる。昭和の良き時代を走り日本の成長を支えてきた一台である。当時の人々はおそらくこの車の持っている魅力はそれ程感じなかったのではないか?と思う。それは外と未来に関心があったから...。しかし今、半世紀を振り返ってみて、改めてシンプルな構造を持つ当時のランドクルーザーがシンプルで美しく見えるのだ。
ランドクルーザーのお父さんと呼ばれています。トヨタジープBJ
その子が...
FJ-25です。BJもありました。
日本とブラジルで生産されたそうです。
1950年代、当時の日本はまだ個人が自家用車を持つという発想はなかった。
誰でも車が買える時代が来るなどとは...。
1958年、ランドクルーザーでサウスアメリカを3万キロ走ったという記事です。
戦後の日本にとっては復活の兆し!
南極大陸と並ぶ、最初の快挙かも知れません?
高度成長期が始まろうとしています。
同時に世界はタフな四駆を求めていました。
まさにランドクルーザーは、出るべきにして世に出た車だと感じます。
飛ぶように売れたかどうかは知りませんが...。
ベスト、いやFJはその後ヨンマルとなり、ロングセラーであった事は間違いありません。
ランドクルーザーは実用車として認知されました。
それは、日本で、だけではなく、世界で、です。
キューバのカストロ議長
...ランクルに乗って葉巻で一服です。
ランクルと葉巻は似合う...かも?
おねえさんとランクル25です。
えっ、...犬になりたい?(笑)
そうやって半世紀を走って来ました。
車体は朽ち果ててしまいましたが、レジェンドは残ります。
活躍したFJ-25は皆何処へ行ってしまったのでしょうか?
人々の記憶と共に消えてしまうのだろうか?
...
こいつを藪から引きずり出して再び息を吸わせたい、と思うのだが...。
ちょっと遅い、今年の初夢。