もしドラ(もし高校野球の...ドラッカーのマネージ...)の青春物語の中に、キヤディラックを話題にした一場面がある。
時は1930年代
キャディラックの販売を立て直すためにキヤデラックの顧客は誰か? を追求した。
お客は移動の為の手段としてキヤディラックを選ぶのではない。
お客が欲しいのは車ではなくステータスである。
とキヤディラックブランドを定義した。
そこで、会社の方針が決まり、不況の中でもキャディラックは売れ続けた。(らしい)
...という話である。
確かにこの概念は応用が効くかもしれない。
価値観が多様化する今日においては、車に求める価値観も多様である。
それはステータス、安全性、燃費、維持、などの複数の要素が絡み合う。
そうった雑多なメーカーと車種の中にあって、
定義出来る車、
あるいは、
定義されて(はっきりとした目的性)生まれて来た車は、
やはり魅力的だと感じている。
欲しいクルマ、魅力のあるクルマは過去も今も、ただ単に移動の為の手段だけではない。
白物とクルマの違いはここか?
ランクルの定義は?
勿論、有る。し、有った。
だから半世紀の期間売れ続けてきたのだと思う。
...
同時にこの定義は常にイノベーションを必要とする。
つまり半世紀の間、考え、考え、考え、考えて、...そして、これからも考え続ける事。
つまり、定義という奴はイキモノだからね、追いかけるだけでも大変な事なのだよ。