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秋の晴天の休日、地元で毎年開催されるクラシックカーショーに足を運んだ。会場を歩いて廻りながら車のオーナー達とラフに話し込み、楽しい時間を過ごす事が出来た。昨年まで存在した日本から持ち込まれた右ハンドル車が今年は一台も無かった。唯一の右ハンドル車は我々が会場に乗りつけた友人のクラッシックミニのみであった。25年ルールにあやかった右ハンドルのJDM車のブームはピークを超えたのではないか?とも思った。
オーナー達の車両保有期間が意外と長い事に驚いた。たまたまなのかも知れないが、2、30年はざら。新車の時から所有しており、当時の購入時のインボイスを嬉しそうに見せてくれる。一台の車を長期に渡って保有する事は、そこに歴史が刻まれ熟成されてゆく。家族で保有し、車種にこだわらず家宝に昇進するのである。そうやって年月を重ねた車はやがて家族の一員となる。愛なくしてクラシックカーは保有出来ない。展示されているクラッシックカーが堂々として美しく輝いているのはワックスだけでは無く、愛されているからなのだ。
マッスルカーと呼ばれるアメリカのクラッシックカーはアメリカが強く輝いていた頃の時代の象徴。アメリカ人はそこに誇りを持つのである。なぜならば、それはアメリカのアイデンティティの実体そのものであるからだ。クラッシックカーショウというのは忘れかけている嘗てのアメリカの誇りを再起する為の仕掛であり、アメリカ人の持つアイデンティティを再起する機会なのだと感じた。
写真はBMW 2002 世界中から部品を集めて細部まで レストレーションされた一台の車の秘めるストリーはネバーエンディングであった。
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