今回の東北旅行は大震災前に計画していました
宿も5日分予約し、宮古は休暇村に泊まる予定でした
宮古では5年前に亡くなった夫の友人の墓参りを予定
若いころ、夫婦で行き来していたので、葬儀に行かなかったわたしは
是非とも墓参をしたいと、今回の旅のメニューに加えてもらいました
3月11日大震災の後の津波のニュースを見て
花見どころでなく、遺族である奥様と息子さんたちの安否が心配で、とにかく電話を・・
ところが電話が全く通じない
宮古市の警察に電話で問い合わせしたり、ネットの安否情報を見たり
テレビ岩手に載せてもらったりと
安否を尋ねる手段をしつくしてみたけれど
何の情報もなし
休暇村の宿からは、避難所になっているので予約キャンセルの連絡が入りました
避難者・死亡者の名前が無いのは
きっと無事なんだろうと少し安心はしていたけど
ホントにそうだったのです
宮古の市街に入り、恐る恐る街の様子を見ながら
家を探すと昔のままの家がそのまま残っていました
すぐ傍までは津波の被害があるというのに
しっかり残っていた家を見つけた時は自然に微笑
電話がいつまでも通じなかったのは
ご主人が亡くなって、以前からの商売を止めてしまって
夫の記録の電話番号は店の電話だったこと
わたしたちも引っ越しをして無事の連絡が入れられなかったこと
無事の奥様と息子さんの顔を見てほっとしたけど
目の前まで押し寄せた津波の恐ろしい体験の話は
ちょっとの滞在では語りつくせない大変な思いがあったようです
家からは海が見えないのに、目の前まで船が流されて
恐ろしいはずなのに、まるで海に浮かんでいるかのような自然な感じでいた。
津波が来て車椅子に乗ったおじいさんを「お願いします!」と
おばあさんに言われて、おじいさんを連れて上の神社の方に避難すると
頼んだおばあさんはそれっきり戻ってこなかった。
消防団の息子さんは遺体の収容が辛かった。
などなど
わたしたちは墓参りを無事終えて宮古を後にしました
盛岡から宮古までの道路は普段はそれほど交通量は多くないのに、
災害派遣の自衛隊の車、赤色灯を点けた警察の車、つぶれた車を大量に運ぶトラック、
など、ひっきりなしに車が通ります
いつも通りではない物々しさに災害の大きさを思いました
昔行った浄土ヶ浜はどうなったんだろう
と、行ってみたい気持ちを抑えて
町の人たちの心を傷つけないよう
海岸通りは避けて帰途につきました
角館・弘前の桜はまだまだだったのに
宮古の桜は町の人たちの復興の気持ちを促すかのように
誇らしげに満開に咲いていました
宿も5日分予約し、宮古は休暇村に泊まる予定でした
宮古では5年前に亡くなった夫の友人の墓参りを予定
若いころ、夫婦で行き来していたので、葬儀に行かなかったわたしは
是非とも墓参をしたいと、今回の旅のメニューに加えてもらいました
3月11日大震災の後の津波のニュースを見て
花見どころでなく、遺族である奥様と息子さんたちの安否が心配で、とにかく電話を・・
ところが電話が全く通じない
宮古市の警察に電話で問い合わせしたり、ネットの安否情報を見たり
テレビ岩手に載せてもらったりと
安否を尋ねる手段をしつくしてみたけれど
何の情報もなし
休暇村の宿からは、避難所になっているので予約キャンセルの連絡が入りました
避難者・死亡者の名前が無いのは
きっと無事なんだろうと少し安心はしていたけど
ホントにそうだったのです
宮古の市街に入り、恐る恐る街の様子を見ながら
家を探すと昔のままの家がそのまま残っていました
すぐ傍までは津波の被害があるというのに
しっかり残っていた家を見つけた時は自然に微笑
電話がいつまでも通じなかったのは
ご主人が亡くなって、以前からの商売を止めてしまって
夫の記録の電話番号は店の電話だったこと
わたしたちも引っ越しをして無事の連絡が入れられなかったこと
無事の奥様と息子さんの顔を見てほっとしたけど
目の前まで押し寄せた津波の恐ろしい体験の話は
ちょっとの滞在では語りつくせない大変な思いがあったようです
家からは海が見えないのに、目の前まで船が流されて
恐ろしいはずなのに、まるで海に浮かんでいるかのような自然な感じでいた。
津波が来て車椅子に乗ったおじいさんを「お願いします!」と
おばあさんに言われて、おじいさんを連れて上の神社の方に避難すると
頼んだおばあさんはそれっきり戻ってこなかった。
消防団の息子さんは遺体の収容が辛かった。
などなど
わたしたちは墓参りを無事終えて宮古を後にしました
盛岡から宮古までの道路は普段はそれほど交通量は多くないのに、
災害派遣の自衛隊の車、赤色灯を点けた警察の車、つぶれた車を大量に運ぶトラック、
など、ひっきりなしに車が通ります
いつも通りではない物々しさに災害の大きさを思いました
昔行った浄土ヶ浜はどうなったんだろう
と、行ってみたい気持ちを抑えて
町の人たちの心を傷つけないよう
海岸通りは避けて帰途につきました
角館・弘前の桜はまだまだだったのに
宮古の桜は町の人たちの復興の気持ちを促すかのように
誇らしげに満開に咲いていました