父の植えた梅が、今年も満開になりました。
早いもので、あれから6年の月日が流れ…
今度の日曜日は七回忌の法要を
行うことになっています。
病院で息を引き取り家に戻ったあの日も
この梅が満開の頃でした。
東風吹かば
にほひおこせよ 梅の花
主なしとて 春を忘るな
(初出の『拾遺和歌集』より ...
今年も、何事も無かったかのように
純白の花を咲かせています。
今日もお付き合い下さって、ありがとうございました。
早いもので、あれから6年の月日が流れ…
今度の日曜日は七回忌の法要を
行うことになっています。
病院で息を引き取り家に戻ったあの日も
この梅が満開の頃でした。
東風吹かば
にほひおこせよ 梅の花
主なしとて 春を忘るな
(初出の『拾遺和歌集』より ...
今年も、何事も無かったかのように
純白の花を咲かせています。
今日もお付き合い下さって、ありがとうございました。
pinkyさんにとって大切な日々のことが思い出されますね。
そのような時の季節の光景は脳裏に焼きついているものです。
菅原道真の句ですね。
私は子供の頃から大宰府天満宮にお参りしながらこの歌を覚えたものです。
お父上の歌ですね。
おとうさま。
春に逝ってしまうと、
どこか、
こころに想いが募る季節になってしまいます。
母は、来年の三月、七回忌です。
・・はなこころ
庭に植えた木の殆どが父の植えたものです。
梅だけでなく、水仙やヒアシンス、クロッカスもそうです。
今思うと、春に咲く花が好きだったように思います。
大宰府天満宮にある飛梅は、この歌に詠まれた
梅なのでしょうか。
今から、20年くらい前に行ったときに
丁度土用干しの頃で、梅干の匂いが満ちていたのを思い出します。
はなこころさんのお母様は、丁度一年後になくなられたのですね。
父の植えたものに花が咲くと、しっかりしろと
言われているようで、はっとします。
思い出も次から次へと浮かんできます。
春にお亡くなりになったんですね~
うちの父も春…
でも同じ春でももっと先です、
4月の終わりでした。
今年13回忌です。
元気に歩いて入院して1月と少しで亡くなりましたが、
持病があったし不摂生してたので
長生きしてくれたと思っています。
合掌。
以前、ローズさんのブログで見たお墓参りのときの綺麗な桜の写真を思い出しました。
心浮き立つ春のはずですが、どこか寂しく切なくなりますね。
優しい娘さんがいらして、幸せなお父様だったと思います。
一緒に連れていって、枯れてしまった・・・
というお話もあるようですね~
お父様は、残してくださったのですね。。。
私は沈丁花・・・「この匂い嫌い!」といった娘の一言で
全部抜いてしまった父を想い出します。
悪いことしましたぁ~
合唱
かわいい娘さんの一言とはいえ、全部ですか?
お父様の様子が、目に浮かぶようです。
父の残してくれた梅・・・
大切に育てたなくてはと、思っています。
白い可憐な梅が咲く度に、お父様を偲ばれる。
こんな親孝行なことは無いでしょうね。
この梅の花、何だか香りがしてきそうです。
華やかな桜と違って、清楚な梅ですが
「もう、春が来るから、上を向いて歩き始めなさ~い!」
とでも言ってくれてるようで、和みますね。
道真が京の都を去る時に詠んだとWikipediaにありました。
「梅花を愛された天神さま、大宰府へ西下の時、京の紅梅殿の梅にこの歌を詠まれると、梅花は、はるばるとみあとを慕って配所大宰府の菅公のもとに飛んできました。それが、「飛梅伝説」です。」これは大宰府天満宮のHPです(笑)
遺体が家に帰ってすぐに、庭の花を一枝枕元に
供えるように言われました。
そのときに咲いていたのが梅の花でした。
散り始めた梅の花が、父の生涯と重なり
印象深い花となりました。
>「もう、春が来るから、上を向いて歩き始めなさ~い!」
ハイジさんの言葉に、とても元気付けられました。
ありがとう~!!
再びのコメントをありがとうございます!
太宰府天満宮本殿の右側にある梅の木が、その飛梅といわれていますね。
もし、そのときの梅なら樹齢千年ということになりますから
きっと、子孫の梅ということなのでしょうね。
京から遥々飛んできたというのは、単なる伝説だとしても
道真公が、京の梅を懐かしんで愛でていたのでしょう。
あれほど、京へ帰りたいと願っていた道真公の亡骸を乗せた牛車が
途中で一歩も動かなくなり
やむを得ず、そこに太宰府天満宮を建立することになったというお話も・・・。
京の都は、当時それはそれは遠い場所だったのですね。