Lespedeza Museum of Photography レスペデーザ写真美術館

カメラマンな管理人のおたく趣味の雑記と二次創作&コスプレ写真のブログです。Lespedeza(萩)の花言葉は柔軟な精神。

今日は赤穂浪士討ち入りの日

2014年12月14日 10時10分00秒 | 日記


※東京両国にある吉良邸跡の石碑

12月14日は暦の上で赤穂浪士が吉良上野介義央の屋敷に討ち入りをした日(元禄15年12月14日、西暦では1703年1月30日)になります。

個人的に赤穂浪士の討ち入りにはちょっとした思い入れがあったりします。後世に書かれた人形浄瑠璃そして歌舞伎の演目である仮名手本忠臣蔵をはじめ映画やドラマの影響で

吉良上野介のパワハラに耐えかねた浅野内匠頭の刃傷事件がすべてのはじまり

とされ、吉良はほとんどの場合悪役として描かれてきました。ところが母方の地元が吉良上野介に縁のある吉良吉田で地元では吉良は(赤穂事件での扱いも影響して)名君として慕われているのです。

そういう経緯から自分なりに赤穂事件に関して少なからず調べたところ、創作その他入り混じった忠臣蔵における吉良上野介の人物像が正しいとは言いがたいということを知りました。

かねてから歴史に興味があり、書物などをかじる中で

「一方的な見方で歴史を見ることは全貌が見えないだけでなく本質を見誤る危険がある」

という思いがあり、改めて元禄赤穂事件について調べる中で赤穂事件とそれにまつわる数々の創作が「一方的な見方で歴史を見る危険性」を如実に表しているという結論に至ったのでした。

実を言えば自分のハンドルネームである吉良青劉の「吉良」なのですが、歴史というものの見方の危うさを示す象徴の一人として吉良上野介がいるという思いがあり、そんな彼への思い入れから彼の名前を勝手ながら拝借した次第だったりします。

もちろん、忠臣蔵が史実に沿っていないからやめろという気は毛頭なく、創作は創作として楽しみ、そして史実は史実として学んで欲しいという思いです。付け加えるなら

(これまでの忠臣蔵などで描かれた人物像とは違う)史実に沿った吉良上野介を主役にした時代劇を作って欲しい

という思いでもあります。

これが本当の「忠臣蔵」 赤穂浪士討ち入り事件の真相(小学館101新書)
山本博文
小学館
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