放送大学で、学んでいます

大学を出ているので、編入で全科生になりました。心理学を中心に学びまして、今は、再入学により、再び学びを始めました。

認知症、その不可思議なもの

2017年08月24日 | 臨床心理学

仕事柄、軽度の認知症の方にもお会いする機会が、高齢化社会を反映してか、増えてきた。

引きこもりの認知症の方だと、なかなか接触機会もないが、もともと、お客さん相手に商売にしておられた方で話し好きの方なんかだと、軽度のうちは、なんとかコミュニケーションが取れたりする。

コミュニケーションにおいて、ある部分で、違和感があったりしても、他のところでは、つじつまが合っていたりして、なかなか、対応が難しい。

放送大学の面接従業でも、認知症についても触れられる講座を受講したり、看護師向けの概説書や、その他福祉関係の書物も読んでみたが、脳の萎縮による器質的な病気であるため、一応、何パターン化の類型化もなされているが、うつ病であるとか、双極性障害であるとか、昔から研究がなされてきたものに比べると、わかりにくいところがある。


体験による解釈の深まりと、そこからの展開 力動精神療法の「理解」に関して

2017年08月24日 | 臨床心理学

たとえば、臨床心理士の養成で、実習が必須なのは、実際に体験してみないと、理解できないことが多いからとも言える。

中井久夫『中井久夫集』みすず書房(2017)が、刊行されているが、そこに収載されている論文やエッセイは、「著作集」や主にみすず書房から刊行された書物を編年的に編集したもので、今後、真新しいものも入るかも知れないが、すでに読んだことがある文章がほとんどである。

三回目に刊行された、「世界における索引と徴候 1987-199」の内容は、「意地の場について/医療における合意と強制/微視的群れ論/私の仕事始め/統合失調症の精神療法/「昭和」を送る/R・D・レインの死/家族の深淵/他 (26編)」であったが、その中の一文が、偶然にも、体験と重なって、以前読んだのとでは、あきらかに、その「解釈」がツボにはまっており、私自身の体験の暫定的な解釈として、モヤモヤしていたものをスッキリさせることができた。

今は、何年か前から始まった「介護」との関わりで、本来なら仕事のために使える時間のかなり部分をそれにあてざるを得なかった。

介護施設や介護も、人手不足や能力のない介護士やヘルパーにより、経営サイドは、儲けているかもしれないけれど、自分の仕事による時給換算では、経営者の時給はかなり高いと推測された。

 

介護の実態を知るにつけ、家族が見に行かないと、清掃なども、どうも手抜きがあったよう思える場面に遭遇した。

 

介護施設の絶対的不足から、なかなか、自宅の近くで見つけることも困難になっている。

 

随分、昔のことになるが、ある方の紹介で、藤縄昭先生の精神療法を受ける機会に恵まれた。

もともと、統合失調症に関心があった私は、藤縄昭先生の書物も読んでいたが、よく分からないことがあった。

しかし、実際に、精神療法を受けることにより、その記述内容の意味合いが、完全にとは行かないまでも、ストンと胸に落ちた経験がある。

 

今回は、仮の解釈を、中井先生流にアレンジして、こころに納めることができた。

 

一旦、解釈して、スッキリすると、それで満足してしまう人も多いかも知れないが、スタートは、これからである。

連想を追いながら、本当に自分に合った解釈をみつけ、たとえば、「激しい怒り」という心的エネルギーを有効に活用できるものと信じている。

 

 

 


昔、日吉ヶ丘高校への通学路に、森田療法専門病院の「三聖病院」があった

2015年08月09日 | 臨床心理学

人生に於いて、惜しいと思われる「すれ違い」や評価の分かれる「出会い」もある。先日、録画しておいた「こころの時代-宗教・人生-」『日々是好日-生かされて生きる』を見ていたところ、臨済宗妙心寺派の正眼寺の住職山川宗玄老師が僧堂に入門された体験を語っておられた。「森田療法」も、今では、元来の方法で行われているところも少なくなったので、微妙ではあるが、本来のあるべき姿は「体験療法」であるとされている。「体験療法」とは、実際に手順に従って、森田療法を受けることを意味する。なので、本を読んでも、話を聞いても、そのことによっては、その本質を体得することもかなわないとされている。その全国でも、数少ない森田療法専門病院の三聖病院であった。


今年の冬に、仕事で京都を自動車で訪れた際に、 見慣れたはずの交差点の一角に「立ち入り禁止」のような看板があるのが目について、帰りに、その付近に車を止めてみたところ、病院が閉院となったらしいことが分かった。
ネットで調べてみると、京都森田療法研究所のサイトに、平成26年12月27日に三聖病院は閉院となった旨が記載されていた。
【参照】 京都森田療法研究所のブログ 

森田療法は、「ことば」を用いないというか、本来の機能である言葉の作用に期待しない治療法なので、なかなか言語化は困難であるが、まあ、禅の修行に、なんとなく似ているとでも言えばよいのかも知れない。

心理(精神)療法は、施行する側の能力や労力が、相当な程度求められるので、容易に継承したり、始めたりもできないものであるだけに、なくなっていくのはさみしいことではあるが、安易に感想を述べることもできない領域なのだろうと思われる。

 


幸福そうなな感じのカウンセラー、幸福そうなクライアント

2013年12月20日 | 臨床心理学

放送大学の面接授業は、ほぼ、初めて顔を合わすひとで構成されているので、土日連続講義の「臨床心理学実験・演習」は、さながらエンカウンターグループのような感じなるのも致し方ないことなのだろう。

「百聞は一見にしかず」ということわざは、すべての事象に対して、そうでないのは、一見してもよく分からないことを体験していると、「見なかった方がよかった」という結果に終わっていることを知っているからなのだろうか。

でも、イメージ療法は、体験してみないと、本を読んでいるだけでは、よく分からないのも事実なのではないでしょうか。

 

エンカウンターグループの体験記憶が、指数関数的に下がっていき、日常の世界にもどるように、そういうような感覚が、今の私にはあります。

 

そういう感覚を何とかして今のうちに書きとどめておきたいという思が強いのですが、文字化することの困難さがあって、日を追う毎に薄れてしまうんだろうと思っています。

 

幸福を広く分け与えることが出来る「幸福なカウンセラー」だと、こういうカウンセリングの世界では、よいのだろうと思います。

 

たいそう幸福な充実した人生を過ごしてきた人が、カウンセラーをめざすのかどうかは、なかなか分からないところですが、それは、ひとつの重要な要素だろうと思われます。

 

世の中には、不幸な人も多いので、本質的に幸福な人が、カウンセリングにやってくることは、あまりないのだろうと推測されます。

 

そうすると、カウンセラーも幸福で、クライアントも幸福だという幸福なもの同士のカウンセリングは、たぶん、ほとんど存在しないのでしょう。

 

どうしてみんながすべて幸福ではないのでしょうか。

 

自分の幸福をどうして他者に分けようとしないのでしょうか。

 

生まれてくると言うことは、それは均一でないにせよ、不幸を背負うことなのかもしれません。

 

 


便利な電子ブック「涼宮ハルヒの憂鬱5」を読む

2013年12月18日 | 臨床心理学

伊藤 ゆう「天使のdéjà vu」 講談社、1993年は、どうも絶版のようなので、今は、読むことが出来ません。

「涼宮ハルヒの憂鬱5」が電子書籍にありましたので、読んでみました。 キーワードは、「既視感」と「ループ」です。


「ループ」する感覚というのは、わかりにくいのですが、今の若い人たちには、そういう感覚に共感するものたちも出てきたと、川部哲也先生はおっしゃっていました。

この作品から受ける印象は、安部公房チックな感じもしなくはないのですが、70年代の時代精神における位置づけとは、現代では、かなり乖離があるので、読んでも懐かしい感じはしないのだろうと思います。

映画「マトリクス」(The Matrix)の話も出ていて、これは、劇場公開されたとき見ていたのですが、アクション映画と勘違いしていたこともあって、がっかりした記憶がよみがえってしまいました。しかし、空間がコンピュータによって閉鎖されている事態を描いた映画だと聞いて、そういえば、なるほどという思いがしました。

この「マトリクス」に対する評価は、話題にはなったけれど、誤解に基づいた批評も見られた。たとえば、そんなところに、漂っていないで、みんなで脱出するなりできひんの?といったイライラ感などを表明する人もいたように記憶しています。

 

時代は、「回る」時代から、「無限ループ」の世界に移りつつあるのかもしれないですね。

たとえば、就活がうまくいかなくて、派遣社員として、工場に赴いたとしよう。技術がないから、コンピュータによって管理されることになる。昔だと、人間がいて、「この部品は、あそこの棚の2段目にあるので、探してきなさい。」とか会話があるのだが、部品がなくなると、コンピュータが、部品調達カートのスイッチを入れよという指示を出すので、そばにあるそのスイッチを押すと、「D-4」という文字がディスプレイに表示され、矢印が、ピコピコと点滅し始める。その矢印の方向に沿ったラインに沿うように進むと、方向転換のアラームが鳴って、倉庫の方へと矢印の点滅が変わる。機械に指示されながら、倉庫の棚に着くと、カートと棚のセンサーが交信して、その部品のあるボックスのLEDが点滅する。手に取れるところのものは、箱が開いたら、ディスプレイに表示された個数をとるまで、カウントされ、終わると知らせてくれる。次の棚に行くように、ディスプレイに表示される。標準原価計算に基づく数量の製品を作るために定められた、標準移動速度より遅かったときは、今回の部品の運搬の出来具合は、CC評価になり、それは、コンピュータに記録される。次回も同じC評価だと、コンピュータは、解雇要因リストに自動的にピックアップしデータ化する。

連続C評価がたたり、それを見た人事課の人が、解雇してしまうと、次の職場に派遣されるのだが、今度は、バウムクーヘンの材料を運ぶ係だとしても、すべて、コンピュータに命令されて働くことになる。

 

そのとき、人は、既視感を体験するかもしれない。ループという世界に入ってしまうと、それが、普通の体験として認識するようになってしまうのかもしれないですし。

先日、ウェラブルコンピュータの話題をNHK「クローズアップ現代」でやっていたが、そういう時代が来ているのだろうと思うひとも多いかもしれません。

 

中島みゆきが「回る 回るよ 時代は回る」と謳ったときは、そこには、また、よいときも来るからねというメッセージがあったように思うのは、私だけでしょうか。

 

「ループ」は、そこから逃れられない。「ループから逃れようとする」ものには、ループから排斥されるのである。


北山修「評価の分かれるところに -『私』の精神分析的精神療法」誠信書房、2013年

2013年11月30日 | 臨床心理学

私が、中学生だった頃に、「帰ってきたヨッパライ」がヒットした。ラジオでは、よく流れていたし、聞いてしまったものだから、忘れようにも忘れられない。今は、そうでもないのだが、当時の日本の精神分析は、主に慶応大学と九州大学で「研究」されていた。私が、フロイトという名を知ったのは、宮城音弥が著した岩波新書のシリーズであった。とりわけ、「精神分析入門」を読んだあたりから、興味を抱くようになった。年表で見ると、その頃には、河合隼雄先生も臨床家として活躍されていたはずなのだが、「ユング心理学入門」と出会うには、6年後を待たなければならなかった。

私の関心は、趣味であるアマチュア無線に象徴される「無線通信」と、宮城音弥を通して知った「心理学」に二分されていた。基底にあるものは、主に二者関係のコミニュケーションなのだろう。我が家に、お金が有り余るほどあり、何の制限もなく自由に生きられたとするならば、そのどちらかを生業にしようと考えたのかもしれない。

わたしのカラオケの十八番である「京都から博多まで」(藤圭子)を歌い上げるときの背景には、精神分析の聖地であった九州(大学)の象徴として「博多」があるのだろう。フォークソングの「東京」(マイペース)も、慶応大学医学部も含んだ東京への憧れがあるのだろうと思う。ただ、「京都から博多まで」のアンサーソングとして、「私は京都に帰ります」があるように、また、マイペースの「東京」では、「東京へは、もう何度も行きましたね」と、何度も行ったけれど成就しなかった哀愁に合わせるかのように、結果的には、「京都」で栄えることになる「ユング心理学」的なものに戻っていくこととなった。

北山修先生の「評価の分かれるところに」は、本人曰く、最後の書物なのだそうだ。そして、過去のいずれの著作を読んでいない人にも、分かるように書いたとされている。たとえば、あまりよく知らずに著者による「錯覚と脱錯覚」という書名を本屋で見られた方だと、「実験心理学」や「認知心理学」などの内容を想起させたかもしれない。先生は、「幻想」とフロイトの文脈で訳されている「illusion」を「錯覚」と訳し変えた最初の日本人と思われる。「幻想」を「錯覚」と訳し変えることで、「こころ」がスッキリされた体験をお持ちの方も少なくないだろうと想像される。それが、先生の「日本語臨床」の一端である。

本当は、北山修先生には、自伝を書いて頂きたかったのだけれど、様々な著作の行間をつなぎ合わせて、その像を自ら作る必要があるのだろう。語られた内容は、やはり編集されたり脚色されることから、テレビ的で、真実は象徴的にしか語られないのかもしれない。実際に、お会いもしていないのに、自伝というひとつの物語を書けというのが虫がよすぎるのだろう。

ただ、矛盾するようだけれど、「...」としての「きたやまおさむ」をかくなるものと措定しえない「ファン」へのメッセージも、本書では語られている。

 

本書は、北山修精神分析の入門書であると同時に、総括書でもある。


内観療法について

2013年09月07日 | 臨床心理学

「内観療法」とは、浄土真宗の「お身の上調べ」という修行法から発展した日本の「心理療法」のひとつとされる。

内観は、泊まり込みで、約1週間行われる。一畳ほどの自分の場所が与えられ、食事も持ってきてもらえる。

指導者から、たとえば、小学校6年生のときに、お母さんからしてもらったことなどを思い出すように指示される。

何時間かした後で、指導者がやってきて、どのようなことを思い出したかを尋ねるので、それを述べると、

また、続けてくださいとか言われて、そういうのが、朝から晩まで続くことになるようである。

 

内観者が述べたことは、指導者に聞いてもらうのであるが、そこで、深く受容されたり、解釈されたりすることもなさそうだ。

 

日本独自の文化における「心理療法」は、心の内をさらけ出すというよりは、どちらかというと。言語を欧米のようには駆使しないところに

特徴がありそうだ。

 


神経症は君だけではない

2013年08月09日 | 臨床心理学

大阪の京橋を歩いていると、「神経症は君だけじゃない」というかなり古びたポスターが貼ってあるのを見つけた。この道は、京阪京橋駅へ行くルートにあるので、何度も通っていたのだろうけれど、本日気づいた。

(ちなみに、この「メンタルヘルス友の会」は、ウィキペディアによると、新興宗教の勧誘団体らしい)

「神経症」というのは、"Neurosis"の翻訳語であり、18世紀ころよりひとつの疾病単位として提唱されていたらしいが、「今日では神経症は特定の性格傾向を基盤にして生じる心因性あるいは環境因性の心身の機能性障害と考えられている。」(岩波哲学・思想事典、1998年)

 

機能性の障害なので、たとえば、広場恐怖だと、電車に乗れないとか、バスに乗れないとかいった不便が生じる。

 

悩みというものも、そのために夜になっても眠れないとか、「悩みをなくす方法」というような「あまり価値のない本」を読んだりして無駄金を使うとかいう不合理をもたらす。

 

たとえば肩や腰が痛いときに、整形外科とか整骨院や鍼灸院に行くように、街の中に気軽にではあるが、制度的に保障された「悩みの相談所」があれば、大変好都合である。

できれば、保険がきいた方がよいだろう。というのも、保険なしで、1回5千円だと、8時間働いても、1日最大4万円にしかならないので、受付嬢などを雇うと、経営的にはかなり困難に思えるからだ。

このように、市場のニーズとサプライが釣り合わないので、成立しない産業は、公的部門が担当すべきだし、実際、精神の病気の人などへの制度は存在する。

 

要は、その病気までは行かないが、何らかの制約を受けている人たちへの支援をどうするかという課題であるが、これが難しい。

 

 

 


お父さんを取り替える J・ラカンからの連想

2012年12月06日 | 臨床心理学

もともと、若いときに入った法学部では、西洋政治思想などの希望のゼミに入れなかったので、「思想系」ということで、「法哲学」のゼミに入ったのだが、

ゼミの先生が、マルクス法学だったもので、馬が合わずにやめた思い出がある。

 

私の進路選択は、家庭の事情もあって、父からは、法学部へ行って、司法試験を受けることを強く勧められたし、また、父もようやく元手ができたのか

初めての一軒家の建築に心が向いていたし、私学だったら、地元しかダメだと言われていた。

 

勉学をするには、秀才は別として、ある程度の学習能力とお金に制約される。

 

私の父は、どんな人も褒めることはなかった。

 

むしろ、けなすことで、発憤させようとしたようだ。たとえば、90点とっても、「どうして1問間違えたんだ。ダメじゃないか。」と責めた。

 

生活全般について、何かと口出しした。父の好き嫌いで、見てきた映画が自分の好みじゃないと、昔の映画はよかったと嫌みを言った。

 

服装に関しても、せっかく、バイトで買った当時としては斬新なファッションも、けなされた。

 

しかも、学校の進路指導と言えば、学業成績と旺文社模試などの判定が優先され、どちらかというと偏差値にあったところを

勧められたし、今から思えば、成績にあったところに進学してしまったという後悔が残っている。

 

まあ、まったく希望を述べなかったわけではなく、中国文学と心理学に興味があるとは、いっていたのだが、

父も、文学部なんかは、女が行くところだろう、学校出て、どこに就職するんだといわれると、

確かに、情報も不足しており、こうするのだとは反論できなかった。

 

それでも、何とか社会生活を送ってきたのだが、一番の「トラウマ」は、5歳年下の弟が文学部に進学したことであった。

 

ほんの数年違いで、家も建っていたし、家庭の経済状況もよくなっていた。

 

大学生になっても、自宅通学と言うこともあって、父からは、しばしば干渉された。

 

コンパで遅くなると、「勉強しているのか」と説教されたり、クラブ活動で合宿などにでかけると、勉強せずに遊んでいるとして

、「そんなことで、試験勉強ができるのか」と口うるさく言われた。

 

司法試験は、そう簡単な試験ではないし、やってみて思ったが、弁護等の法曹関係者になる適性もあることを悟った。

 

とにかく、試験を目指して、合理的に学習しないと受かる試験ではなかった。

 

何分にも量も多いし、しいていえば、外向的思考能力が、そこそこにないと、なかなか難しいものだと思われた。

 

そんなこともあって、「父と子」の問題は、主として、精神分析的関心として、たえず、葛藤を体験しつつ、今に至っている。

 

最近、ラカンの入門書もわかりやすいのが出てきたこともあって、「こころと言語」の問題で、

「お父さんを取り替える」といいのではないかという着想を得た。

 

私には、残念ながら、傾倒したような恩師に相当する人とは出会わなかったが、それでも、擬似的に

理想の「お父さん代理」を父として意識することで、さまざまな制約から解き放たれるのではないかと

思うようになった。

 

 


森田療法的世界観から見た神経症の実相

2012年12月02日 | 臨床心理学

森田療法(特に原法によるもの)の最大の特徴は、ことばを使わないことに尽きるといってもよい。

そこが、体験療法の所以である。

1.臥褥期は、ジャック・ラカンが考えた「言語」以前の世界体験の時期とも解されている。赤ん坊の時までさかのぼると、特別な例外を除き、不安もあるが基本的に安心感のある世界が思い起こされるように

言語以前の世界を体験する時期だと言えよう。

2.軽作業期は、言葉を獲得する前の段階で世の中の中でも家のそばを観察的に体験する時期である。ここでも、言語化しないことが、治癒につながる。

3.それ以降は、日常生活でも、「言語」を使わない領域をこころに限定させ、定着させる時期である。

 

言語に関しては、若いときから関心があり、長年考えてきたのだが、最近になって、大山先生の知見を得て、そこにラカンと結びつけて「理解」できるのでないかと思うようになってきた。

 

森田療法から見た神経症は、それとおつきあいしていくものとして捉えられると考えられる。

 

今後、「言語」に関連づけて、たとえば、悩みというものを考えてみたい。