もともと、若いときに入った法学部では、西洋政治思想などの希望のゼミに入れなかったので、「思想系」ということで、「法哲学」のゼミに入ったのだが、
ゼミの先生が、マルクス法学だったもので、馬が合わずにやめた思い出がある。
私の進路選択は、家庭の事情もあって、父からは、法学部へ行って、司法試験を受けることを強く勧められたし、また、父もようやく元手ができたのか
初めての一軒家の建築に心が向いていたし、私学だったら、地元しかダメだと言われていた。
勉学をするには、秀才は別として、ある程度の学習能力とお金に制約される。
私の父は、どんな人も褒めることはなかった。
むしろ、けなすことで、発憤させようとしたようだ。たとえば、90点とっても、「どうして1問間違えたんだ。ダメじゃないか。」と責めた。
生活全般について、何かと口出しした。父の好き嫌いで、見てきた映画が自分の好みじゃないと、昔の映画はよかったと嫌みを言った。
服装に関しても、せっかく、バイトで買った当時としては斬新なファッションも、けなされた。
しかも、学校の進路指導と言えば、学業成績と旺文社模試などの判定が優先され、どちらかというと偏差値にあったところを
勧められたし、今から思えば、成績にあったところに進学してしまったという後悔が残っている。
まあ、まったく希望を述べなかったわけではなく、中国文学と心理学に興味があるとは、いっていたのだが、
父も、文学部なんかは、女が行くところだろう、学校出て、どこに就職するんだといわれると、
確かに、情報も不足しており、こうするのだとは反論できなかった。
それでも、何とか社会生活を送ってきたのだが、一番の「トラウマ」は、5歳年下の弟が文学部に進学したことであった。
ほんの数年違いで、家も建っていたし、家庭の経済状況もよくなっていた。
大学生になっても、自宅通学と言うこともあって、父からは、しばしば干渉された。
コンパで遅くなると、「勉強しているのか」と説教されたり、クラブ活動で合宿などにでかけると、勉強せずに遊んでいるとして
、「そんなことで、試験勉強ができるのか」と口うるさく言われた。
司法試験は、そう簡単な試験ではないし、やってみて思ったが、弁護等の法曹関係者になる適性もあることを悟った。
とにかく、試験を目指して、合理的に学習しないと受かる試験ではなかった。
何分にも量も多いし、しいていえば、外向的思考能力が、そこそこにないと、なかなか難しいものだと思われた。
そんなこともあって、「父と子」の問題は、主として、精神分析的関心として、たえず、葛藤を体験しつつ、今に至っている。
最近、ラカンの入門書もわかりやすいのが出てきたこともあって、「こころと言語」の問題で、
「お父さんを取り替える」といいのではないかという着想を得た。
私には、残念ながら、傾倒したような恩師に相当する人とは出会わなかったが、それでも、擬似的に
理想の「お父さん代理」を父として意識することで、さまざまな制約から解き放たれるのではないかと
思うようになった。