人生に於いて、惜しいと思われる「すれ違い」や評価の分かれる「出会い」もある。先日、録画しておいた「こころの時代-宗教・人生-」『日々是好日-生かされて生きる』を見ていたところ、臨済宗妙心寺派の正眼寺の住職山川宗玄老師が僧堂に入門された体験を語っておられた。「森田療法」も、今では、元来の方法で行われているところも少なくなったので、微妙ではあるが、本来のあるべき姿は「体験療法」であるとされている。「体験療法」とは、実際に手順に従って、森田療法を受けることを意味する。なので、本を読んでも、話を聞いても、そのことによっては、その本質を体得することもかなわないとされている。その全国でも、数少ない森田療法専門病院の三聖病院であった。
今年の冬に、仕事で京都を自動車で訪れた際に、 見慣れたはずの交差点の一角に「立ち入り禁止」のような看板があるのが目について、帰りに、その付近に車を止めてみたところ、病院が閉院となったらしいことが分かった。
ネットで調べてみると、京都森田療法研究所のサイトに、平成26年12月27日に三聖病院は閉院となった旨が記載されていた。
【参照】 京都森田療法研究所のブログ
森田療法は、「ことば」を用いないというか、本来の機能である言葉の作用に期待しない治療法なので、なかなか言語化は困難であるが、まあ、禅の修行に、なんとなく似ているとでも言えばよいのかも知れない。
心理(精神)療法は、施行する側の能力や労力が、相当な程度求められるので、容易に継承したり、始めたりもできないものであるだけに、なくなっていくのはさみしいことではあるが、安易に感想を述べることもできない領域なのだろうと思われる。