今年の紅葉は、あまり鮮やかではなさそうです。毎年、10月が終わると訪れる東山界隈ですが、今年は、気候の影響なのか、見栄えしないようなことを、ある神社の方が話されていました。
でも、朝に京阪電車の東福寺駅を降りたとき、結構な観光客が見受けられましたから、相当な人数が東福寺にやってきたのではないかと思われます。
今年、閉院となった「三聖病院」ですが、その跡地は「三聖みやこパーキング」というコインパーキングになっていました。公衆トイレもあるようなので、自動車で来たときに便利になりました。
平成27年11月21日(土)現在、最大料金は、1,800円と書かれていました。
森田療法は、非言語的な「体験療法」なので、その本質は、入院に拠ってしか会得できないという意味で、
「三聖病院」がなくなったのは残念です。
在りし日の「三聖病院」の看板などは、次の写真に見られるとおりです。
フロイト左派であったヴィルヘルム・ライヒの療法が、後継者もなく消滅したように、この「森田療法」も消滅したと言えるでしょう。
ドナルド・ウッズ・ウィニコットをマーガレット・リトルが継承したような目に見える形では、継承されなかったという意味ですが。
内部の事情は、「京都森田療法研究所のサイト」 のブログ等を通じてしかうかがい知れませんが、
来院者も少なくなっていたのかも知れません。
イメージを含む言語的アプローチによる心理療法が、主流になってきたこともあるのでしょうが、非言語的というか、
言語を別の装置として使う心理療法は、心理療法家の負担が大きいとは言え、ある種の人たちには、親和的なものでなかったかと思われます。
さて、一仕事をした後、バス停に向かう途中で、新熊野神社に立ち寄ったのですが、変わった展示物が置かれていました。
観光都市、京都のなせる技かも知れません。昔は、こういうのはなかったです。
奥の方に行きますと、マンダラなどの工芸品を配した場所があります。
また、御朱印ブームなのか、烏文字を使った御朱印がもらえるようになっています。
平成26年5月17日(土)。仕事を終えたあと、昔ながらのホットケーキを食べようと思って、三条寺町を上がったところにある喫茶店を訪ねたのですが、その途中に歴史的に有名な名前の寺である「本能寺」に寄ってきました。
寺町通りは、ずっと上(カミ)にあがると、昔住んでいたところもあり、大学に通っていたときも、通学路としてよく歩いてたので、懐かしいはずのところなのですが、ずいぶん変わってしまいました。
寺町通りの古本屋さんの中には、仏教書を専門に扱っているところもあって、仏教研究には、なくてはならない存在です。その古本屋さんも、2軒ぐらいになってしまいました。
今年は、NHKの大河ドラマで、織田信長が登場することもあってか、観光客や修学旅行生の姿も多かったです。
「本能」という字を見ると、生物は、生きようとする「本能」があるとか言う使い方で知られるように、その「本能」を連想しがちですが、それは、instinctの翻訳語として、明治期に導入された概念であるようです。
フロイトは、「生の本能」と、あとから、ユングの学説を受け入れる形(正確ではないですが)で、晩年には、「死の本能」(タナトス)という人間に備わった「コト」を自らの理論に付加するに至りましたが、
私の感覚からすると、あるとしても、「死の本能」は、無意識の世界に潜んだまま、ほぼ意識化されないような感じがあります。
イメージの世界での、たとえば、「死と再生」(ユング)は、あるのだろうと考えられますが、「本能しての死」は直観的にも知覚できないような気がしています。
つまり、「心機一転してがんばります」というようなときに、古いものを脱ぎ捨てるような感覚は、分かりそうに思えますが、「死」を意識することは、まれなことだろうと思われます。
いろんな連想の湧く「本能寺」へ寄ってきました。
今日は、京都で仕事があったので、ついでに、桜を見に行くことにした。午前中で、終わったこともあり、予定通り、御室の桜を見に行くことにした。仁和寺というと、徒然草。
仁和寺のお坊さんが石清水八幡宮に参る話である。
仁和寺の桜は、地面のすぐそばから枝が出ていて、上を見上げることなく、桜が楽しめるように作られています。
京阪電鉄東福寺駅でJR奈良線に乗り換えて、京都駅まで行き、50番の市バスで、北野白梅町まで行き、嵐電で「御室仁和寺」で降りるとすぐにお寺の門が見える。
真言宗の一派なのだけれど、皇室ゆかりの寺とあって、たとえば、当時なんかに比べると上品な感じがする。
私の人生では、最後の御室の桜見物となるのだろう。
最近、観光地を巡っても、親子連れや若い人たちは少なく、超高齢社会であることが嫌が応にも認識させられる。
私は、立命館大学の法学部を出ているのだけれど、京都府立病院の前にある広小路学舎で学んだために、衣笠キャンパスは、10数回しか訪れたことがない。
とは、いうものの、学生時代に、ひととおり有名なところは訪れているので、仁和寺も3回目ぐらいな野だが、歳のせいなのか、感慨深い。
嵐電の始発駅北野白梅町に行くには、いろんなバスが出ているが、西洞院通を進むので、比較的渋滞から免れる可能性が高い。
京都観光に、自家用車でくるのは、渋滞に巻き込まれるためのようなものなので、やめたほうがよい。
比較的京都の道を知っている私も、一方通行の狭い道は苦手なので、あまり使わない。嵐山方面から金閣寺方面は、道が限られるので、相当の渋滞は覚悟しないといけない。
平成26年4月12日は、土曜日と言うこともあって、すごい人出でした。
このように、御室の桜は、地面から生え出ているように咲いているのが特徴である。
五重塔にピンポイントで測光できると、よかったのですが、今回は、コンデジでしたから、コントラストに難があります。
この五重塔は、なかなか見応えがあります。
今日、東山界隈に仕事で出かけた際に、長い行列ができている団子屋を見つけた。昨年の秋には、見られなかったか、見落とした光景であった。
でも、こんなところに団子屋があっただろうかといぶかしく思った。
京都の観光地では、しばしば見られることではあるが、観光客向けに作られた店も多く存在する。
この団子屋も、そういう類いのものなのだが、メディア戦略が功を奏したのか、写真のような行列を生んだのだろう。
2012年に、たまたま舞子はんを見つけて撮った写真があったので、分かったのだが、その頃、店を作っていたことになる。
そして、2014年1月27日には、次のような行列ができていた。
ただ、東山安井の近辺というと、昔に比べるとかなり減ったもののラブホの街である。
夜になると、京都の別の世界が、この付近でも見られるのである。
平成26年1月18日(土)。仕事の帰りに、かつて住んでいた頃の氏神様である藤森神社に行ってきました。私にとっての初詣となりました。最寄り駅は、京阪本線墨染駅ですが、神事などの行事がなければ、境内の一部が駐車場になっていますから、自動車でも行けるようです。昔は、車止めがあったような気がしました。
この神社の5月5日のお祭りで行われる馬かけの神事は、圧巻です。
この神事に引っかけてなのかもしれませんが、競馬関係者の参拝も多いとか。
私も、今年は、リベンジをはかりたく、午年のストラップを求めようと思っていたのですが、それだけが、すべて売り切れで、年初からついていないようです。(-_-)
藤森中学に通っていたときは、境内の中を歩いていましたから、何となく懐かしい感じがします。神社自体は、あじさいを植えたり、神殿を新しくしたり、飾られていた絵馬を宝物殿で公開するなど、観光地化してしまいました。
今日は、仕事で京都に行ったついでに、四条大宮に近い壬生寺に行ってきました。壬生は、京都の中心部から見ると田舎であるのと、新撰組の屯所となったことで、評価の分かれる場所になります。壬生菜の漬物でお茶漬けを食べようとするとき、特別に壬生という土地を意識する人は、ほとんどいないのじゃないかとも感じられます。壬生というと、岩倉がそうであったようにバスの操車場があったところで、バスの終点というイメージが先立ちます。ただ、京都市内は、自動車も混雑していました。京都市内の阪神高速も、渋滞していると表示が出ていたので、伏見で高速をおりました。京都市内の高速道路は、京都駅があるJR東海道線を越えていないので、利便性から言うといまいちの感があります。
昔に比べると、壬生寺と、その周辺も観光地らしくなっていて、きれいです。
パワースポットには、ある意味で、たとえば、放射性物質を含有するなど、何らかの科学的に分別できるところと、心理的な、ユング的に言えば、集合的無意識により「本来的」に知りうるかもしれないところがあるとしよう。
神社仏閣は、特に後者の意味においてパワースポットであることが多いとされる。通常の世界(世間)では、意識を主体とした生活をしているが、パワースポツトは、太古から連綿とつづく、たとえば、日本人としてのアイデンティティと向き合えるような場所にある。由岐神社も、そういう意味でのパワースポットである。私は、俗物なので、神様に祈ると言っても、現世利益をもとめるようなことしかしないのだが、それでも、何かいいことがありそうに思えてくるから不思議である。
ただ、最近は、宗教者や、それに付随する業務に従事する人に、神様とのご縁にかかわる仕事をしているという態度の方が少ないように思えて残念である。たとえば、世襲制で、儀式の作法を学べば、免状が降りるとか言ったことがあるが、それでは、現実世界で苦悩する我々と向き合えないかもしれない。
昔の初穂料は、それぞれの事情(収入の過多だとか、その家の格だとか、個人的なこと)により、出せる金額をだすという、所得税制における累進課税制度のような仕組みが存在したように思われる。
それを、一律に決めてしまうと言うのは、神様から遠ざかることであろうと思われるのである。
宗教者には、布教という使命があるのだから、一般の労働者でない態度を見せて欲しいものである。
鞍馬寺の境内にある由岐神社。
仕事を終えたあと、そこから近い「東福寺」に行ってきました。観光客も多く来ておられました。東福寺は、私の卒業した京都市立日吉ヶ丘高等学校のそばにあったので、何度も訪れているのですが、東福寺は、紅葉の季節が一番だと思います。
京都五山といえば、別格の南禅寺、天竜寺、相国寺、そして東福寺に、万寿寺です。万寿寺は、火災で焼失したため、三聖寺に間借りする形で再建されています。その三聖寺が、森田療法で有名な「三聖病院」となっています。
東福寺は、通天橋から眺める紅葉が一番なのですが、これだけ人混みが多いと、写真も満足に撮れないだろうと思います。
普段なら、それほど人通りのない通天橋の見える橋も数珠つなぎでした。
USJの人気アトラクションなみに行列が出来ていましたので、今回は、通天橋には入りませんでした。
出町柳まで戻って、昼食を取ろうと思ったのですが、せっかくなので、鞍馬まで行くことにしました。
叡山電鉄で行くのですが、ここはPiTaPaのような電子カードは使えません。スルッと関西のプリペイドカードは使えますが、
途中でおりようとすると、先頭車両の運転士に処理してもらわないといけないので、紅葉の時期など混雑しているときは、
切符を買われることをお勧めします。先頭車両のみにプリペイドカードの精算機があるようです。(2013年11月23日現在)
鞍馬といえば、天狗。昔はなかったと思うのですが、大きな鼻の天狗が駅から出てすぐ左に見えます。
鞍馬寺には、何回か来ていますが、こんなに混雑していたのは、初めてと思います。
鞍馬山には、ケーブルカーがあって、上まですぐに行けるのですが、
わたしが着いたときには、50分待ちでした。
お寺さんは、4:30で終わりですから、ケーブルカーを利用されるのなら
早めに着くようにされた方がよいでしょう。