放送大学で、学んでいます

大学を出ているので、編入で全科生になりました。心理学を中心に学びまして、今は、再入学により、再び学びを始めました。

お父さんを取り替える J・ラカンからの連想

2012年12月06日 | 臨床心理学

もともと、若いときに入った法学部では、西洋政治思想などの希望のゼミに入れなかったので、「思想系」ということで、「法哲学」のゼミに入ったのだが、

ゼミの先生が、マルクス法学だったもので、馬が合わずにやめた思い出がある。

 

私の進路選択は、家庭の事情もあって、父からは、法学部へ行って、司法試験を受けることを強く勧められたし、また、父もようやく元手ができたのか

初めての一軒家の建築に心が向いていたし、私学だったら、地元しかダメだと言われていた。

 

勉学をするには、秀才は別として、ある程度の学習能力とお金に制約される。

 

私の父は、どんな人も褒めることはなかった。

 

むしろ、けなすことで、発憤させようとしたようだ。たとえば、90点とっても、「どうして1問間違えたんだ。ダメじゃないか。」と責めた。

 

生活全般について、何かと口出しした。父の好き嫌いで、見てきた映画が自分の好みじゃないと、昔の映画はよかったと嫌みを言った。

 

服装に関しても、せっかく、バイトで買った当時としては斬新なファッションも、けなされた。

 

しかも、学校の進路指導と言えば、学業成績と旺文社模試などの判定が優先され、どちらかというと偏差値にあったところを

勧められたし、今から思えば、成績にあったところに進学してしまったという後悔が残っている。

 

まあ、まったく希望を述べなかったわけではなく、中国文学と心理学に興味があるとは、いっていたのだが、

父も、文学部なんかは、女が行くところだろう、学校出て、どこに就職するんだといわれると、

確かに、情報も不足しており、こうするのだとは反論できなかった。

 

それでも、何とか社会生活を送ってきたのだが、一番の「トラウマ」は、5歳年下の弟が文学部に進学したことであった。

 

ほんの数年違いで、家も建っていたし、家庭の経済状況もよくなっていた。

 

大学生になっても、自宅通学と言うこともあって、父からは、しばしば干渉された。

 

コンパで遅くなると、「勉強しているのか」と説教されたり、クラブ活動で合宿などにでかけると、勉強せずに遊んでいるとして

、「そんなことで、試験勉強ができるのか」と口うるさく言われた。

 

司法試験は、そう簡単な試験ではないし、やってみて思ったが、弁護等の法曹関係者になる適性もあることを悟った。

 

とにかく、試験を目指して、合理的に学習しないと受かる試験ではなかった。

 

何分にも量も多いし、しいていえば、外向的思考能力が、そこそこにないと、なかなか難しいものだと思われた。

 

そんなこともあって、「父と子」の問題は、主として、精神分析的関心として、たえず、葛藤を体験しつつ、今に至っている。

 

最近、ラカンの入門書もわかりやすいのが出てきたこともあって、「こころと言語」の問題で、

「お父さんを取り替える」といいのではないかという着想を得た。

 

私には、残念ながら、傾倒したような恩師に相当する人とは出会わなかったが、それでも、擬似的に

理想の「お父さん代理」を父として意識することで、さまざまな制約から解き放たれるのではないかと

思うようになった。

 

 


森田療法的世界観から見た神経症の実相

2012年12月02日 | 臨床心理学

森田療法(特に原法によるもの)の最大の特徴は、ことばを使わないことに尽きるといってもよい。

そこが、体験療法の所以である。

1.臥褥期は、ジャック・ラカンが考えた「言語」以前の世界体験の時期とも解されている。赤ん坊の時までさかのぼると、特別な例外を除き、不安もあるが基本的に安心感のある世界が思い起こされるように

言語以前の世界を体験する時期だと言えよう。

2.軽作業期は、言葉を獲得する前の段階で世の中の中でも家のそばを観察的に体験する時期である。ここでも、言語化しないことが、治癒につながる。

3.それ以降は、日常生活でも、「言語」を使わない領域をこころに限定させ、定着させる時期である。

 

言語に関しては、若いときから関心があり、長年考えてきたのだが、最近になって、大山先生の知見を得て、そこにラカンと結びつけて「理解」できるのでないかと思うようになってきた。

 

森田療法から見た神経症は、それとおつきあいしていくものとして捉えられると考えられる。

 

今後、「言語」に関連づけて、たとえば、悩みというものを考えてみたい。