2010年頃から、介護に関する相談に行ったのが始まりで、介護保険の適用申請やヘルパーさんの手助けなどにより、道半ばの2017年を迎えたのだが、たとえば、祖母の時のように、病気になって、入院したら、2週間ほどで往生してしまったという、被介護者も、介護者も若い段階で、力業で乗り切るというのが困難な時代なのだろう。
母の場合、2003年の夏に、田舎へお墓参りに行って、強い頭痛を訴え、入院したのが始まりで、その後の脳梗塞、転倒による骨折あるいは転倒後の慢性硬膜下血腫などの入退院を繰り返したが、結果的には、父よりも、命を長らえることとなった。
大抵の人は、葬儀というのは、インパクトがあるので、そちらにばかり注目されるのであるが、実際に困っているのは、生き残ったほうなのである。
できれば、すぐにでも、自宅か仕事場のそばの施設に移れると、毎日顔も見ることができるし、状況が分かって安心できる。
最近は、施設も、インターネットで探せる時代とは言え、民間の公共料金などの変更は、さほど困難ではないが、保険金の請求や預金の名義人の変更などは、住所が変わると、添付資料も増えるし、本人が動けないので、予想以上に厳しい状況がしばらく続きそうである。
父が、自分で土地を買い、家を建てたという思いから、宇治にこだわったのはもっともなことであるが、また、もう一度、施設探しからのスタートになるので、気が重いことである。
忌明けまでに、なんとかしたいとは思うものの、ロスが生じた仕事がたまっているし、欠員になっている従業員の補充も、やはり人手不足なのか、うまくいっていない中で、極めて厳しい現実と向き合っている。
その中には、自分自身の課題も見えてくるため、一層やっかいである。