サイトに、一部割愛されている旨の注意書きがあったので、とりあえず、この科目の第7回発達のところを聞いてみたが、こういうことがあるので、ネットだけを頼りに勉強するのは危険である。
しかも、そのような情報は、私が見た範囲では、目立つところには書かれていない。
サイトに、一部割愛されている旨の注意書きがあったので、とりあえず、この科目の第7回発達のところを聞いてみたが、こういうことがあるので、ネットだけを頼りに勉強するのは危険である。
しかも、そのような情報は、私が見た範囲では、目立つところには書かれていない。
昨日は、あきらめかけた本書であるが、本日、放送教材「認知科学の展開」(’08)を聞いていたら、第7回発達のところで、ヴィゴツキーの名が出てきたので、気を取り直して、第1章の2節『<発達の最近接領域>の理論』を読み始めた。
この書物は、発達心理学入門ではないために、そういう概念がある背景や位置づけまで述べていない。
本来なら、4月に開講されるまでに、どういう予習をしておけばよいかについて、最小限の学習案内があるべきだと思われるが、シラバスのみでは、担当講師にとってのお勧めの予習書などが分からない。
4月の開講までには、休みの日も限られているのだから、開講までに読んでおくとよい参考書(入手しやすいものに限る)の一つか二つはサイトにでも掲載して欲しいものだ。
京阪墨染駅
この地にやってきたのは、昭和36年(1961年)の3月頃のことだった。
小学校は、藤ノ森小学校で、この駅から2,3分のところにある。
地形的に言うと、京阪線より東側は山になっていて、東西に貫く墨染通は坂道といってもよいだろう。
その墨染通を疎水のほうに向かって歩き、橋を渡ってしばらく行くと、何の変哲もない寺がある。
その寺が、「墨染寺(ぼくせんじ)」である。
「南無妙法蓮華経」と書かれた石碑があるように、日蓮宗のお寺であるが、来歴はよく分からない。
ここのサクラは、「墨染桜」があることで有名とされているそうだが、当時は、そのようなことも聞いていないか、聞いていたとしても関心がなかったのか、普通のサクラだと思っていた。
ここを通り過ぎると師団街道がある。
そこを左折すると、伏見税務署がある。
そこを通り過ぎたところに、そこが、かつて郭であったことを示す石碑のようなものが右手に見られる。
右手に↑のようなものがあり、
左手に↑のようなものがある。
私が、不思議に思っていて、そのままになっているのは、
この石碑のようなものの建てられた年が、大正7年となっていることであった。
全体としてみると、入り口にある門のように見える。
この中には、遊郭を思わせるような建物はなく、私がこの地にいたときには、経理専門学校があった。
そのかわりといっては、ずいぶんなのだが、ここをやり過ごして、伏見のインクラインへ行くとストリップ小屋があった。
こんなにアップで出しても大丈夫なのかとも思うが、昔は、このようなシックでモダンな建物ではなく、芝居小屋の風情があった。
今は、残念ながら建物自体がなくなっていて、別の施設になっている。
以上、墨染のごく一部を紹介した。
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ヴィゴツキー入門 (寺子屋新書) |
柴田義松 | |
子どもの未来社 |
来学期では、「発達心理学概論」を学ぶので、ヴィコツキーについて、何か読んでおきたいと思って、楽天ブックスで検索していたら、この本が出てきた。
ヴィコツキーは、「心理学のモーツァルト」と呼ばれたりもする。それは、彼が、30代で夭逝したことや、きわめて短い学究生活の中で、多彩な研究を行ったことが、モーツアルトの連想を生むからである。
ゲシュタルト心理学やフロイト心理学、および、マルクス主義の常識が、このヴィコツキー入門を読むには有利らしい。
私は、ゲシュタルト心理学については、その学問の百科事典的知識しかないので、どうだろうとおもったが、「入門」というには、他にも、ピアジェや、その他の有名な心理学者の考えについて予備知識があった方がよいと感じた。
また、著者が教育学者であるため、教育手応用についても論究されており、心理学について、さっと分かりたい人には、結構難しい。
一読しようと思ったが、内容が多岐にわたっており、辞書代わりに使うのがよいだろうと思われる。
放送大学の「春休み」や「夏休み」は、選ばれた講義が、連続して放送されるので、さっと見たり聞きたいときに便利である。
何分にも、録画したものを通勤の自動車で聞いているので、話の流れでしか記憶していないのだが、この船木亨「現代哲学への挑戦」は、現代思想を概観するのに便利である。講義も、若干早口ではあるが、リズミカルでかえって聞き心地がよい。
いままで聞いた大場登「精神分析とユング心理学」でも、ライヒへの言及はなかった。60年代には、ライヒの書物が、私が言えた立場ではないものの一部はへたくそな訳で出版されていた。ライヒの主張は、フロイトが発見した「性の抑圧」を社会の中で開放すれば、身にまとっていた「性格の鎧」がとれて、真なる自己を生きることができるというものだ。
精神分析でのW.ライヒの位置づけは、社会の改革に結びついたという意味で、フロイト左派と分類される。
私は、今から30数年前、ライヒの「性格分析」を含む、いくつかの著書を読んだ。
社会改良という思想に、何らかの好ましい印象を抱くものには、フロイトの応用としては、ライヒの考えは惹かれるものがあった。
なので、何十年ぶりかで、フロイト、あるいは、精神分析を読み返したものにとって、フロイトの系譜がどうなったかに関心があったが、アカデミックな立場でのライヒの研究者もいないようで、フロイト側からでは、もはや接近しにくい思想、あるいは、後年の研究には、とくに臨床的なアプローチからは符合しないものになってしまったためなのかもしれない。
そんな中で、フランス哲学に造形が深い船木亨先生が、思想史・哲学史の枠組みで、取り上げておられたので、おもしろく感じた。
船木亨先生は、現代は、哲学が混沌としているというか、リードしていく哲学がない点を主として、フランスの現代思想を概観しながら論証していく。
この講義の最初のころ、「うつ病に患者に、がんばれ」ということはいけないことなのだろうかという問いを投げかける。
この「問い」が、どのような思想背景によって提出されたものなのかが、最後まで講義を聴くと分かるようになっている。
ことに、フーコーの「臨床医学の誕生」などを敷衍し、支配するものが、現代においては、変わってしまったことを指摘する点は、フランス現代思想の読み方を端的に示しており、有益である。
フランスの思想については、大学に入ってから興味を持った。ゆえに、ゼミの選択時に、ドイツ語しか取っていなかったために、フランス語が必須のフランス語系のゼミに入れなかった「トラウマ」がある。
ただ、ラカンについては、難解ではあるが、「鏡像段階」の考えに興味を覚えて、何度かトライしてきた。この講座では、ラカンも批判の対象になっているが、言語の行為について考えていくとき、ロラン・バルトのエクリチュールという提言などがさらに有益な批判として思考の足がかりなると思われる。
ともかく、英米と大陸とに分裂してしまった現代の哲学的状況下で、主としてフランス現代思想をまな板にのせて、一連の流れが分かるので、大変有益な講義だと思われる。
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高校数学でわかるマクスウェル方程式 (ブルーバックス) |
竹内淳 | |
講談社 |
そこで、この高校数学でわかるマクスウェル方程式 (ブルーバックス)竹内淳、講談社を買ったのですが、この本の前半は、最初に紹介した「電磁気学のABC」とかぶっていて、前ページの半分ぐらいで、マクスウェルの方程式を解説・証明しようと試みているのですが、この構成が災いしてか、後半は、急に数式のオンパレードとなり、わかりにくくなってきます。後半を読み解くには、前半をきっちり読んでおく必要があるのですが、これが、私のやり方で用いてきた本と同じような内容なので、かえって混乱してしまうのかもしれません。
もう一度、将来トライしてみますが、この本はやめることにします。
次に、私の場合は、経済学(財政学)も勉強したので、微分と統計は、必要に迫られて、大学卒業以降に勉強し直したこともあって、多少は知っているもの、高校の数学も復習しておくことにしました。
高校数学については、高橋一雄「もう一度高校数学」日本実業出版社を買ったのですが、著者のひとりごとのような文(p19 エッ!?汗)がちりばめられていて、そういうのが気になります。例題の解答までのっているので、悪くはないと思います。知っているところは、飛ばしてもよいてので、復習には十分です。
最大の欠点は、寝転びながら読むには、重すぎると言うことです。
そこで、やはりブルーバックスになるのですが、芳沢光雄「新体系高校数学の教科書 上・下」を買いました。
こちらも、新書版と言いながらも比較的大部なのですが、忘れているところ復習するのに便利です。
次に、どうするかであるが、クーロンの法則だって、ニュートン力学の発想と無縁ではないので、急がば回れということわざの通り、中学理科の復習をしておくとよいと思う。
このとき、入手しやすく、読みやすいものとして、前回同様、ブルーバックスの滝川洋二編「発展コラム式中学理科の教科書第1分野物理・化学」である。
これは、図解も多く、すばやく、復習ができるという点でお勧めです。また、この本のよいところは、重要な科学英単語がでていて、覚えておくと、英語の勉強にもなります。
大学受験では、化学と生物を取ったので、物理学はあまりやらなかったこともあり、今、電磁気学を学んでいて途方に暮れているというのが現状である。
物理のほうが点が取りやすいのに、なぜ、生物なんかを選んだのかと疑問に思われる方もおられようが、「遺伝」への関心がそうしたとしか申し上げられない。
というより、中学で、無線の世界から足を洗う必要性を感じていたため、わざと、そういう科目に深入りしたくなかったのかもしれない。
しかし、興味や関心というものは、広く展開していくので、大学に入ると、時間も出来たこともあって、無線への関心が復活した。ラジオを聞いていると、短波放送だと、いろんな国からの放送が聴けるし、アンテナなどを工夫していると、その原理を知りたくなると言うのも人情だろう。
しかし、アンテナを立てる場所がないとか、無線機を買うお金がないとか、資格試験の勉強に時間が取られるとかいう理由で、大阪に来て、アマチュア無線局を開局したものの、なかなか続かなかった。
しかし、老後の趣味というと、結局、アマチュア無線しか思い浮かばなかったし、久方ぶりに、HFのリグを買ってから、上級免許が欲しくなったというのが、電磁気学を学ぼうと思ったきっかけである。
高校の物理をすっかり忘れてしまったものにとって、電磁気学のイメージを作るのに最適な書物のひとつに、福島肇「電磁気学のABC」ブルーバックスがおすすめである。この書物には、計算式とかが一切出てこない。ただ、最低限の公式や法則は、載っていて、p111の「便利なIBの法則」は、フレミングの左手の法則よりわかりやすい。
これは、中学レベルの理科の知識があれば読了できる。
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新・学問のススメ─生涯学習のこれから (講談社現代新書) |
石弘光 | |
講談社 |
本書は、放送大学前学長であった財政学者の石弘光先生の書かれた放送大学を独自の視点から分析し、勤められた4年間のご自身の活躍ぶりも含めて紹介された書物という点では、画期的な書物であろう。
われわれの仕事の中では、財政学、とりわけ税制に直接関係しているという点で、親近感を覚えるのだが、石先生の専門書の、「現代税制改革史―終戦からバブル崩壊まで」や「消費税の政治経済学」などは、放送大学学長時代の大著や参考となる書物であって、これらの本を書けるのなら、放送大学学長というのは、なんと楽な仕事なんだろうかという疑惑を払拭させるために書かれたとも言えようが、放送大学の内部事情の一部を垣間見させてもくれる。
ただ、学長なら目を通しているはずの財務諸表などの資料はでてこない。こういう数字の載った資料で、重要なものがあれば、後半で述べられている提言は、より説得力を持っただろう。
たとえば、今2012年、われわれは、1単位あたり、1万1千円も払っているが、1994年だと、1単位あたり、7千500円であった。1995年には、8千円に値上げされている。入学金も、相当値上がりしている。
授業の質は向上しているかというと、たとえば、前回取った「人格心理学」のように工夫の凝らされたオリジナリティーもある講義もある反面、毎回のように、下請けの講師を呼んできて講義させていたり、放送教材の内容が、印刷教材の朗読か、不自然な印象を受ける学生からの質問に答えるといった授業もあって、何とも評価しにくい。
学部レベルの講義をひとりの教員でこなせないようでは、ちょっと情けない感じもする。
哲学の科目は、さすがに、科目の性質もあろうが、首尾一貫しているものが多いようだが。