放送大学で、学んでいます

大学を出ているので、編入で全科生になりました。心理学を中心に学びまして、今は、再入学により、再び学びを始めました。

高橋繁行「近江の土葬・野辺送り」サンライズ出版(2022)

2022年08月22日 | 私が暮らした街
今は、火葬場ができて、土葬だとかいうのもなくなったのですが、60年ぐらい昔だと、田舎では、土葬でした。

もう中学に入る頃には、サンマイにも墓石が立ち、土葬も無くなったように記憶しています。

他の本を探していたら、偶然発見しました。

昔体験したのに似た葬式や葬式行列のやり方が書かれていて懐かしいです。

角田龍平「ラジオと憲法」三才ブックス(2022)は、コラム集なので、楽しめる

2022年08月11日 | 私が暮らした街
弁護士で俳優で文豪の角田龍平さんが今年上梓された「ラジオと憲法」は、三才ブツクスから発売されています。
内容は、ラジオ番組「角田龍平の蛤御門のヘン」KBS京都ラジオで話題になった事柄や人について、いろいろと書かれています。

角田龍平さんは、実は、私のかつての実家から近いところで暮らしておられたようで親近感がわきました。

私は、京都の伏見区から引っ越して近鉄の小倉(おぐら)と伊勢田の真ん中あたりに住んでいたことがあります。

角田龍平さんは、伊勢田にお住まいであったとか、近くです。

伊勢田にも小倉にも、京都銀行の支店がありました。

また、伊勢田駅を山手に上がっていくと、スーパーがあって、そこで、しばしば買い物をしました。



鶴見緑地湯元水春 ガラガラ抽選会

2015年12月30日 | 私が暮らした街

今日は、パソコンのリカバリーをするため、オフィスに出かける前に、たまっていた抽選券があったので、鶴見緑地湯元水春の朝風呂に寄ってきました。
子どもの頃は、銭湯に通っていたせいか、銭湯に入ると大変リラックスできます。
ガラガラ抽選会に臨みましたが、特賞かな、の「デズニーランド行き」を狙っていましたが、あえなく大敗。

幼稚園のときに、出町柳の商店街のガラガラで、電気こたつを引き当てたのが、これまでの人生での最高ランクの入賞です。

で、windows7のリカバリーですが、かなり時間がかかります。 


DX伏見・A級伏見・伏見ミュージック

2015年12月13日 | 私が暮らした街

ストリップ小屋が、かつて住んでいた街にあった。
その小学校では、「伏見ミュージック」のことを話す生徒も少なくはなかった。
今日、「週刊ダイヤモンド」(2015/12/19)の特集「老後リスクの現実(リアル)」のなかに、やり残した残念なことについて、アンケートの回答があった。

私は、小学生の頃から、絵画教室の先生の住む家のそばで、何度かストリッパーのひとを見かけることがあった。

一度、見てみたい思っていたが、つぶれてしまった。 


墨染寺 桜の季節に再び訪れると

2012年04月10日 | 私が暮らした街

本日、墨染に用事があったので、墨染寺に寄ってきました。

 

残念ながら、墨染桜は、ちらほら咲きでした。

アップで撮ってみましたが、帰ってから見るとピンぼけでしたが、こんな↓感じです。

普通のサクラとそう変わらないようです。

他の普通のサクラは、満開でした。

なので、種類は違うのだろうと思われます。

境内は、狭いですが、お花見に来ておられる方も来られていました。

すみぞめ‐ざくら 墨染桜

【参考URL】http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/120054/m0u/


京都市伏見区の墨染

2012年03月20日 | 私が暮らした街

京阪墨染駅

この地にやってきたのは、昭和36年(1961年)の3月頃のことだった。

小学校は、藤ノ森小学校で、この駅から2,3分のところにある。

地形的に言うと、京阪線より東側は山になっていて、東西に貫く墨染通は坂道といってもよいだろう。

その墨染通を疎水のほうに向かって歩き、橋を渡ってしばらく行くと、何の変哲もない寺がある。

その寺が、「墨染寺(ぼくせんじ)」である。

「南無妙法蓮華経」と書かれた石碑があるように、日蓮宗のお寺であるが、来歴はよく分からない。

ここのサクラは、「墨染桜」があることで有名とされているそうだが、当時は、そのようなことも聞いていないか、聞いていたとしても関心がなかったのか、普通のサクラだと思っていた。

ここを通り過ぎると師団街道がある。

そこを左折すると、伏見税務署がある。

そこを通り過ぎたところに、そこが、かつて郭であったことを示す石碑のようなものが右手に見られる。

右手に↑のようなものがあり、

左手に↑のようなものがある。

私が、不思議に思っていて、そのままになっているのは、

この石碑のようなものの建てられた年が、大正7年となっていることであった。

全体としてみると、入り口にある門のように見える。

この中には、遊郭を思わせるような建物はなく、私がこの地にいたときには、経理専門学校があった。

そのかわりといっては、ずいぶんなのだが、ここをやり過ごして、伏見のインクラインへ行くとストリップ小屋があった。

こんなにアップで出しても大丈夫なのかとも思うが、昔は、このようなシックでモダンな建物ではなく、芝居小屋の風情があった。

今は、残念ながら建物自体がなくなっていて、別の施設になっている。

以上、墨染のごく一部を紹介した。