たとえば、臨床心理士の養成で、実習が必須なのは、実際に体験してみないと、理解できないことが多いからとも言える。
中井久夫『中井久夫集』みすず書房(2017)が、刊行されているが、そこに収載されている論文やエッセイは、「著作集」や主にみすず書房から刊行された書物を編年的に編集したもので、今後、真新しいものも入るかも知れないが、すでに読んだことがある文章がほとんどである。
三回目に刊行された、「世界における索引と徴候 1987-199」の内容は、「意地の場について/医療における合意と強制/微視的群れ論/私の仕事始め/統合失調症の精神療法/「昭和」を送る/R・D・レインの死/家族の深淵/他 (26編)」であったが、その中の一文が、偶然にも、体験と重なって、以前読んだのとでは、あきらかに、その「解釈」がツボにはまっており、私自身の体験の暫定的な解釈として、モヤモヤしていたものをスッキリさせることができた。
今は、何年か前から始まった「介護」との関わりで、本来なら仕事のために使える時間のかなり部分をそれにあてざるを得なかった。
介護施設や介護も、人手不足や能力のない介護士やヘルパーにより、経営サイドは、儲けているかもしれないけれど、自分の仕事による時給換算では、経営者の時給はかなり高いと推測された。
介護の実態を知るにつけ、家族が見に行かないと、清掃なども、どうも手抜きがあったよう思える場面に遭遇した。
介護施設の絶対的不足から、なかなか、自宅の近くで見つけることも困難になっている。
随分、昔のことになるが、ある方の紹介で、藤縄昭先生の精神療法を受ける機会に恵まれた。
もともと、統合失調症に関心があった私は、藤縄昭先生の書物も読んでいたが、よく分からないことがあった。
しかし、実際に、精神療法を受けることにより、その記述内容の意味合いが、完全にとは行かないまでも、ストンと胸に落ちた経験がある。
今回は、仮の解釈を、中井先生流にアレンジして、こころに納めることができた。
一旦、解釈して、スッキリすると、それで満足してしまう人も多いかも知れないが、スタートは、これからである。
連想を追いながら、本当に自分に合った解釈をみつけ、たとえば、「激しい怒り」という心的エネルギーを有効に活用できるものと信じている。