私は、仕事柄、遠目からではあるが、他の人たちの「相続」をそう多くはないが、観察してきた。
最近は、相続税の課税最低限が下げられたために、それを飯の種にしようとする輩で、世の中は賑わっている。
昔に比べて、戦後の相続はやっかいである。戦前までは、家督相続だったので、もめることも、基本的にはなかった。(その前提とした暗躍はあったかも知れないが)
そして、農耕社会にあっては、お金を貯めているものも少なかったし、土地は、分配するほど広い面積もなかった。
相続するものが、すべて独身の子であれば、そこには、「意地」というものの出現は、あったちとしても、ストレートである。
しかし、配偶子が付いていると、相続するものが、兄と弟だとすれば、いわゆる兄弟コンプレックス(カインコンプレックス)を内包した形で、その勝者を、それぞれの妻に対して示すことにより、「我は男子なり」ということを認めさせなければならないという「強迫観念」が働く。
亡くなったお父さんである被相続人とともに、兄弟の配偶者も死亡すれば、純粋な「カインコンプレックス」解消の場となるだろう。
配偶者とは何なのか?どこまで、お互いに関与するのかについても、これは、蓋を開けてみないと分からないことである。
中井久夫「世界における索引と徴候」(中井久夫集3)、みすず書房、2017年7月所収の小論に「意地の場について」がある。これは、同出版社の「記憶の肖像」に収められているものと同じ内容である。
私は、たしかに、この小論を読んだ記憶があったが、体験がないと、情動的なものが働かないので、内容についての意義を十分にくみ取れていなかった。