放送大学で、学んでいます

大学を出ているので、編入で全科生になりました。心理学を中心に学びまして、今は、再入学により、再び学びを始めました。

成年後見人の申立における「医師の診断書」について

2017年07月31日 | 終活・葬儀・相続

税理士は、公益的業務にも携わっていくことが期待されているのと、母の認知症がひどくなったので、成年後見人に家裁へいつでも登録することができる資格を研修により取得した。成年後見人の業務や成年後見人の申立に関する書物は、専門書なので、比較的費用がかかるが、多少買い求めた。

家裁関係の事件は、本来非訟事件であり、たとえば、成年後見人の申立も、その審判を家裁に申し立てることとなっている。

成年後見人の申立は、家裁の提供する資料で、だいたい作成できるが、詳しくは、審判事件に関する申立などについて、網羅的に書かれた書物は参考になるが、弁護士か司法書士でなければ、購入するには高すぎる。

たとえば、相続人が、すべて、申立に同意している場合は、医師の診断書も取得が容易であるが、紛争状況にある場合は、医師も躊躇して書かないケースも多いようである。

何も、なければ、それらの詳細を記載することで、家裁に、鑑定を求めることで、申立はできる。

ただ、被成年後見人が介護認定を受けている場合は、介護認定時に医師から提出された「医師の意見書」の開示請求を、行政庁に要求しうる。これは、個人情報を含む行政文書なので、行政庁から医師に確認し、拒否されない限り、開示されると考えられるし、特別なことがない限り、開示に関して、それを認めるように、総務省は指導している。

それは、正式な診断書でないが、成年後見人の申立の資料として使えるので、医師の診断書が取れない場合は、こういうものも利用価値はある。

7月以降に、開示請求をした場合、2~3週間程度で、その可否が、文書で通知される。まず、1ヶ月は見ておいた方がよいだろう。

 

書き方が、どうしても分からない場合は、代理権のある弁護士に依頼するのが、もっとも早いかも知れない。

司法書士は、法律行為の代理権がないので、買い貰ったものを、申立人が家裁に提出することとなる。

 

相続に限らず、債権回収などで、裁判所に提出する訴状等を、まれに、見ることが多いが、行政庁に対する文書と比べると、裁判所への提出文書は、やや特殊である。

また、審判の申立と同時に、保全処分を申し立てることもできることも、覚えておいてよいことだろう。

※ 現在も、成年後見人の制度は、不完全とされ、専門の学者などからは、改正案なども提案されていたりする。

※ 財産管理は、横領しないというような倫理観が求められるが、身上監護における人権意識が、どの程度有しているのかは、人それぞれなので、よい成年後見人に当たることを祈るしかないのかもしれない。


島田裕巳「人は、老いない」(朝日新書)

2017年06月18日 | 終活・葬儀・相続

今から、30年ぐらい前に、「宝島30」という雑誌を創刊号から買っていたので、オウム事件が起きたとき、おそらく、その中の記事で、「島田裕巳」という名前を知ったのだと思う。

私と、宗教との関わりは、ほとんど関心もなかったのだけれど、おそらく高校生の頃、池見酉次郎先生の書物のどこかに、ご自身の胃腸神経症をとある宗教団体に入ることで治したという記述があって、それは、こころのどこかに引っかかっていたことぐらいであった。

私は、中学2年生当たりから、いわゆる「ノイローゼ」に罹るのだが、それは、おそらく、ぜんそくとのトレードオフの関係にあったように思う。

私は、思い切って、担任に打ち明けたことがあったが、叱咤激励されただけで、具体的な方策は何も見当たらなかった。

進路相談の時に、色覚障害があると、理系に進のは難しいとの宣告を受けたのも、その頃であった。

ただ、保健委員をやっていたので、保健室には定期的に顔を出していて、当番の時、怪我をした女子生徒がやってきたので、その治療に使う赤チンだとかオキシフルを探しているときに、引出に、石原式色覚検査表が入っているのを見つけた。

そこに付された簡単な説明から、たとえば、「あ」と読めてしまうものは、正常な人には読めなくて、「い」なのか「う」なのか迷うものは、「い」なのだと言うことが分かった。

要は、この対応関係さえ覚えれば、クリアできると考えた。実際、これを暗記することで、色覚検査をすり抜け、受験要件で制限されている大学に入学している例もあることを後に知ることになる。

私の中学は、風紀が乱れていて、窃盗や喫煙及び不純異性交遊にいたるまで、広く行われており、この色覚検査表を一冊ぐらいくすねても、分からないだろうと思った。

中一の時には、技術の時間に、リベットなどを友人とともに、少量盗んだこともあった。

(この辺りの「盗み」というイメージに関する考察は省略する)

しかも、父は、戦時中、工兵としての訓練を受けるも、旧制中学を出ていなかったこともあって、理解できず、それをパスしたものは、兵曹長になれたので、苦々しい思い出を持っていたのだろう。

 

息子には、当然、官吏の道へ進ませ、安定的で、もし有名大がには入れば出世も可能だろうと考えていた。

なので、必然、私が、ラジオを組み立てたり、それらの雑誌に夢中になっていることも、快く思っていなかった。

 

そういう中でも、私の、そのような状況を心配してくださる方もおられた。一人は、小学校の時の家庭教師の先生と、もう一人は中学の時の塾の先生であった。

二人の先生は、教育相談をうけるように母に勧めてくれたが、そういうものへの偏見があったため、その機会を失した。

高校生の私は、様々な父との確執やノイローゼのため、せいぜい、受験勉強ぐらいしかできなかった。

高校の時通っていた塾の先生は、私に本音を語ってみないかと聞いてくれた唯一の先生であったが、そう簡単に言語化できる状況ではなかった。

 

大学に入ってから、佐保田鶴治先生が、ヨーガを宗教として教えておられることを知り、伏見桃山のヨーガアシュラムに通うことになった。

ただ、科学的な思考に毒されていたため、あまり期待していたわけでもなかったが、佐保田鶴治「ヨーガ入門」(池田書店)には、ノイローゼも治ると書かれていたので、わらにもすがる思いであった。

佐保田先生の宗教観は、特定の宗派を信奉するものでなく、「法話」も、常識的であった。主に、ハタヨガ(体操に似た動作によるもの)と、瞑想(呼吸法を含む)が両輪となるから、ハタヨガのみに偏ることを危惧されていた。

しかし、なかなか、上達しなかった。

シルシアーサナを試みると、先輩からゆがんでいると指摘されるし、ライオンのホーズでさえも、もっと、腰を低くして背中を反らせ、舌を出すのだと見本を見せられても、見本通りには行かなかったようだ。

私の場合、うまくいかないと、書店や図書館に走る傾向があるのだが、そこで、「森田療法」という変な名前の精神療法を知ることとなった。しかも、日吉ヶ丘高校のそばにあった「三聖病院」が、その施設だと知った。

私は、長く逡巡した後、その門をくぐった。

そこでであったのが、宇佐晋一先生であった。入院療法に至るまでには、月日を要したが、父とのけんかをきっかけに、正規の入院療法を受けた。

およそ、3ヶ月は、あっという間に過ぎた。

無事退院したものの、それより前に、河合隼雄先生の「入門」を読んでいたこともあって、分析的治療により、言語化できるのではないかという希望を捨てきれなかった。

法学部に在籍しながら、経理学校に通ったものの、その経理学校のそばに、コンピュータ学院ができていて、本来なら、通うべきは、そちらだろうなぁと思っていた。

ソロバンとか、電卓は買ってもらえたが、無線機は買ってもらえなかった。

結局、司法試験はあまりにも難しすぎたし、税理士なら何とかいけるのではないかと思ったからだ。

私をよく知る知人によると、パソコンが同時に発達したので、経理という仕事が出来ているのではないかと指摘されたことがあるが、全くその通りであった。

NECのPC-8001を自前で買い、N-88BASICで何かできないかを思い浮かべながら、仕訳などを行っていた。

 

無線局も、アパートであったが開局した。

 

その後、パソコン通信の仲間と遊ぶようになり、斜陽する経済とは裏腹に、自分のテリトリーがもてるようになった。

 

父と永久の別れを迎えた今、父の人生も、取込ながら、私の「ものがたり」を紡いでいきたいと思う。

 

島田裕巳著「人は、老いない」は、島田先生の生活体験も踏まえて、前向きに生きる「老成」という理念を掲げて、様々なヒントを提供されいる。

 

生涯発達心理学では、老年期の研究も重みを増してきている。

 

本書は、出典等も記載されていないので精緻さには欠けるものの、平易な文章で書かれており、若い方にも推奨できる。また、島田先生の過去の著作を読めば、より一層理解も深まるであろう。

 

グッゲンビュール・クレイグ「老愚者考―現代の神話についての考察」新曜社 (2007/6/25)は、ユング派の重鎮による「老賢者」元型への疑問を呈する書物である。

こちらは、ユング心理学を知らないと、理解しにくいだろうが、「老い」のイメージを考える好著である。

 


競馬の思い出

2017年06月06日 | 終活・葬儀・相続
父には、幼稚園の時に、京都淀競馬場に、馬を見に、しばしば、連れてもらった。
たぶん、時々、勝っていたのだろう。
当時は、分かっていなかったが、帰りに、父の機嫌のいいときは、京阪三条駅構内の喫茶店で、たとえば、クリームパフェとかを食べさせてもらった。
たぶん、最初に行った時に、勝ったので、パフェを食べさせてもらえたのだろう。
その次も、それが楽しみでついて行ったが、帰り道は、機嫌が悪く、バヤリースの缶のジュースを競馬場で買ってもらっただけで家に帰った。
たぶん、パフェかホットケーキも食べさせてもらえなかったので、私も不満足だったのだろう。
夕食の時に、不満げに食べていたせいか、怒られた記憶がある。

しかし、もしかするとパフェが食べられるかもしれない期待で、馬を見に行こうと言われると、ついて行ったものである。

行動科学の理論からすれば、強い正の強化子が働いたのだろう。

老いを見ると言うこと

2017年05月30日 | 終活・葬儀・相続

2010年頃から、介護に関する相談に行ったのが始まりで、介護保険の適用申請やヘルパーさんの手助けなどにより、道半ばの2017年を迎えたのだが、たとえば、祖母の時のように、病気になって、入院したら、2週間ほどで往生してしまったという、被介護者も、介護者も若い段階で、力業で乗り切るというのが困難な時代なのだろう。

母の場合、2003年の夏に、田舎へお墓参りに行って、強い頭痛を訴え、入院したのが始まりで、その後の脳梗塞、転倒による骨折あるいは転倒後の慢性硬膜下血腫などの入退院を繰り返したが、結果的には、父よりも、命を長らえることとなった。

大抵の人は、葬儀というのは、インパクトがあるので、そちらにばかり注目されるのであるが、実際に困っているのは、生き残ったほうなのである。

 

できれば、すぐにでも、自宅か仕事場のそばの施設に移れると、毎日顔も見ることができるし、状況が分かって安心できる。

 

最近は、施設も、インターネットで探せる時代とは言え、民間の公共料金などの変更は、さほど困難ではないが、保険金の請求や預金の名義人の変更などは、住所が変わると、添付資料も増えるし、本人が動けないので、予想以上に厳しい状況がしばらく続きそうである。

父が、自分で土地を買い、家を建てたという思いから、宇治にこだわったのはもっともなことであるが、また、もう一度、施設探しからのスタートになるので、気が重いことである。

忌明けまでに、なんとかしたいとは思うものの、ロスが生じた仕事がたまっているし、欠員になっている従業員の補充も、やはり人手不足なのか、うまくいっていない中で、極めて厳しい現実と向き合っている。

その中には、自分自身の課題も見えてくるため、一層やっかいである。

 


葬儀のことなど

2017年05月28日 | 終活・葬儀・相続

私の場合、「相続」に関する仕事をすることもあるので、死後の行政手続等については、多少の知識を有していたものの、父の生前には、あまり具体的な話しもできていなかった。病院や葬儀社での手続は、それほど手間もかからなかったが、遺影を飾るのに、写真がいることになったが、これは、用意されていなかったので、実家に戻り、探してみたが、スナップ写真ばかりで、適当なものがほとんど無かった。実際には、毎年、田舎へ墓参りに行く度に、父の姿を写真に収めていたものの、それを取りに帰るには時間が無かった。

普通の写真から引き延ばすのに、2万円がかかった。そのうえ、スキャンして拡大したものだから、画質がよくないうえ、とりあえず、正面を向いた写真が2枚しかなかったので、いまひとつ、表情が硬かった。

また、これは、実際的ではないが、利用する葬儀社のサイトを見ることができるノートパソコンか、タブレットを持っていると、菊コースだとか、秋桜コースだとかいったセット料金が分かるので、打合せの際に分かりやすい。

家族葬が増えたため、葬儀費用がこれだけかかったという情報は持っていても、現場を見ていないので、比較検討もできなくなっている。

なお、以下は、心覚えのためのものである。

1.午前中になくなった場合でも、病院に到着するまで、1時間半はかかるのと、葬儀社を手配しても、昼からになる場合は、写真や葬儀の打合せに必要なものは、親族にクラウド上にアップして貰うと、時間のロス等を縮減できる

2.死亡したものの住所と、死亡した場所の住所と、死亡届を提出する者の住所が異なる場合は、死亡した者の住所地の役場には提出できない。

3.ガソリンは、可能な限り満タンにしておく。

4.日本郵政関係は、手続が面倒なので、移せるのなら、市中銀行等に移しておいた方が融通が利く。

 


お坊さんへのお布施

2017年05月25日 | 終活・葬儀・相続

お坊さんへのお布施のことであるが、一般的な「価格決定理論(ミクロ経済学)」の理屈からすると、期待される「効用」は、それがサービスだとすると、具体的には、満足感を満たすと考えられる。

お坊さんへのお礼のハガキの一枚でも書こうと思うのに筆が進まないのは、通夜式と告別式の二日間のパートタイムで、うん十万円を支払ったものの、このうん十万円を私が仕事をして稼ぐ時に要する「知識」と「計算等」の合計に比べると、極めて高額な感覚があるからだろう。

このうん十万円は、お布施の相場からすると、相続税の「葬式費用等の控除」などの例を、よく見ていることから、その程度でもおかしくはない。ただ、今回は、家族葬であったので、一般の参列者もなかったのであるから、今から考えると、多額であったような気がしてならない。

この金額は、葬儀社の方に、相場を教えて貰って、決めたものだが、今でも、こころがざわつくのである。

 

昔、宝石商の会社の経理を見ていたときに、たかだか2~3万円で仕入れたダイヤモンドを外注で加工し、保証証を付け、数十万で販売されているのをつぶさにみて、一月に、二、三人のお客さんがあれば、十分に生活し、貯蓄が可能であったのを思い出す。

むろん、棚卸商品なので、保有コストはかかっていることは割り引かねばならない。

とはいえ、恋人や婚約しようとする人に渡すためと割り切れば、多少高くても、彼女が喜んでくれれば、それで幸福感を得られる。

 

卑近な例で申し訳ないが、仮に、開業臨床心理士にモーニングケアとして、カウンセリングを受けるとした場合、20回から30回ぐらいはセッションが可能である。

 

そもそも、よく考えたら、そのお坊さんに対して、尊敬の念であるとか、来てもらえてうれしいという感覚が無かった。

出身地である滋賀県の寒村にあった菩提寺のおっさんとは、おそらく、高校生頃から、面識もあったし、毎年、8月12日の墓参りには、父と一緒に行っていたので、お話しさせて頂く機会も有ったし、いろいろと気を遣って頂いたという感謝があった。

 

今回は、田舎のお墓を数年前に、総本山知恩院に移し、永代供養を申し込んであるのと、付き合いのあったおっさんも高齢で引退されたため、急なことで、そこまで頭が回らなかったのも事実である。

宗教学者の島田祐巳先生の著作の多くは、読んでいたが、親戚もやってくるし、それぞれ、宗教、とりわけ、今回は葬儀に関して、常識的な線で執り行わねばならなかったことが、悔やまれる。