今から、30年ぐらい前に、「宝島30」という雑誌を創刊号から買っていたので、オウム事件が起きたとき、おそらく、その中の記事で、「島田裕巳」という名前を知ったのだと思う。
私と、宗教との関わりは、ほとんど関心もなかったのだけれど、おそらく高校生の頃、池見酉次郎先生の書物のどこかに、ご自身の胃腸神経症をとある宗教団体に入ることで治したという記述があって、それは、こころのどこかに引っかかっていたことぐらいであった。
私は、中学2年生当たりから、いわゆる「ノイローゼ」に罹るのだが、それは、おそらく、ぜんそくとのトレードオフの関係にあったように思う。
私は、思い切って、担任に打ち明けたことがあったが、叱咤激励されただけで、具体的な方策は何も見当たらなかった。
進路相談の時に、色覚障害があると、理系に進のは難しいとの宣告を受けたのも、その頃であった。
ただ、保健委員をやっていたので、保健室には定期的に顔を出していて、当番の時、怪我をした女子生徒がやってきたので、その治療に使う赤チンだとかオキシフルを探しているときに、引出に、石原式色覚検査表が入っているのを見つけた。
そこに付された簡単な説明から、たとえば、「あ」と読めてしまうものは、正常な人には読めなくて、「い」なのか「う」なのか迷うものは、「い」なのだと言うことが分かった。
要は、この対応関係さえ覚えれば、クリアできると考えた。実際、これを暗記することで、色覚検査をすり抜け、受験要件で制限されている大学に入学している例もあることを後に知ることになる。
私の中学は、風紀が乱れていて、窃盗や喫煙及び不純異性交遊にいたるまで、広く行われており、この色覚検査表を一冊ぐらいくすねても、分からないだろうと思った。
中一の時には、技術の時間に、リベットなどを友人とともに、少量盗んだこともあった。
(この辺りの「盗み」というイメージに関する考察は省略する)
しかも、父は、戦時中、工兵としての訓練を受けるも、旧制中学を出ていなかったこともあって、理解できず、それをパスしたものは、兵曹長になれたので、苦々しい思い出を持っていたのだろう。
息子には、当然、官吏の道へ進ませ、安定的で、もし有名大がには入れば出世も可能だろうと考えていた。
なので、必然、私が、ラジオを組み立てたり、それらの雑誌に夢中になっていることも、快く思っていなかった。
そういう中でも、私の、そのような状況を心配してくださる方もおられた。一人は、小学校の時の家庭教師の先生と、もう一人は中学の時の塾の先生であった。
二人の先生は、教育相談をうけるように母に勧めてくれたが、そういうものへの偏見があったため、その機会を失した。
高校生の私は、様々な父との確執やノイローゼのため、せいぜい、受験勉強ぐらいしかできなかった。
高校の時通っていた塾の先生は、私に本音を語ってみないかと聞いてくれた唯一の先生であったが、そう簡単に言語化できる状況ではなかった。
大学に入ってから、佐保田鶴治先生が、ヨーガを宗教として教えておられることを知り、伏見桃山のヨーガアシュラムに通うことになった。
ただ、科学的な思考に毒されていたため、あまり期待していたわけでもなかったが、佐保田鶴治「ヨーガ入門」(池田書店)には、ノイローゼも治ると書かれていたので、わらにもすがる思いであった。
佐保田先生の宗教観は、特定の宗派を信奉するものでなく、「法話」も、常識的であった。主に、ハタヨガ(体操に似た動作によるもの)と、瞑想(呼吸法を含む)が両輪となるから、ハタヨガのみに偏ることを危惧されていた。
しかし、なかなか、上達しなかった。
シルシアーサナを試みると、先輩からゆがんでいると指摘されるし、ライオンのホーズでさえも、もっと、腰を低くして背中を反らせ、舌を出すのだと見本を見せられても、見本通りには行かなかったようだ。
私の場合、うまくいかないと、書店や図書館に走る傾向があるのだが、そこで、「森田療法」という変な名前の精神療法を知ることとなった。しかも、日吉ヶ丘高校のそばにあった「三聖病院」が、その施設だと知った。
私は、長く逡巡した後、その門をくぐった。
そこでであったのが、宇佐晋一先生であった。入院療法に至るまでには、月日を要したが、父とのけんかをきっかけに、正規の入院療法を受けた。
およそ、3ヶ月は、あっという間に過ぎた。
無事退院したものの、それより前に、河合隼雄先生の「入門」を読んでいたこともあって、分析的治療により、言語化できるのではないかという希望を捨てきれなかった。
法学部に在籍しながら、経理学校に通ったものの、その経理学校のそばに、コンピュータ学院ができていて、本来なら、通うべきは、そちらだろうなぁと思っていた。
ソロバンとか、電卓は買ってもらえたが、無線機は買ってもらえなかった。
結局、司法試験はあまりにも難しすぎたし、税理士なら何とかいけるのではないかと思ったからだ。
私をよく知る知人によると、パソコンが同時に発達したので、経理という仕事が出来ているのではないかと指摘されたことがあるが、全くその通りであった。
NECのPC-8001を自前で買い、N-88BASICで何かできないかを思い浮かべながら、仕訳などを行っていた。
無線局も、アパートであったが開局した。
その後、パソコン通信の仲間と遊ぶようになり、斜陽する経済とは裏腹に、自分のテリトリーがもてるようになった。
父と永久の別れを迎えた今、父の人生も、取込ながら、私の「ものがたり」を紡いでいきたいと思う。
島田裕巳著「人は、老いない」は、島田先生の生活体験も踏まえて、前向きに生きる「老成」という理念を掲げて、様々なヒントを提供されいる。
生涯発達心理学では、老年期の研究も重みを増してきている。
本書は、出典等も記載されていないので精緻さには欠けるものの、平易な文章で書かれており、若い方にも推奨できる。また、島田先生の過去の著作を読めば、より一層理解も深まるであろう。
グッゲンビュール・クレイグ「老愚者考―現代の神話についての考察」新曜社 (2007/6/25)は、ユング派の重鎮による「老賢者」元型への疑問を呈する書物である。
こちらは、ユング心理学を知らないと、理解しにくいだろうが、「老い」のイメージを考える好著である。