心理学史も、一種の歴史なので、画期的な出来事であるとか、あたらしいことを考えた人の登場が注目され、それらのことについて述べられている。
そのなかで、「千里眼事件」が取り上げられているのは、なんともおもしろい。
「千里眼事件」は、学研のオカルト雑誌「ムー」などでも取り上げられていたように思うし、いわば正史ともいうべき「心理学史」でお目にかかろうとは夢にも思わなかった。
しかし、C.G.ユングが、そうであったように初めて会った人の過去を言い当てたり、初めて会うその人の朝食をあててしまう人というのは、数は少ないが、現実におられることはおられるので、 福来友吉(ふくらいともきち:1869~1952)が、信用失墜行為により自滅してしまったのは大変残念なことだと思う。
ただ、福来友吉の失敗に学ぶべき点は、新しいこと、とくに、時代精神とでも言うべき世の思想から外れたり、ずれたりしたものを持ち込むときの心構えである。
マーケティングでは、新商品を世の中に提案していくときに、この商品が奇異なものでもなく、むしろ価値のあるものだと印象づけるための手法を考えてきたし、そういうことなしに、製品が売れていくのはまれである。
たとえば、南博も、一流の社会心理学者であったが、その業績は知らない代わりに、カッパ・ブックスで何冊か持っていた記憶がある。
カッパブックスといえば、「頭の体操」の多湖輝というように、なんとなく軽いイメージがあり、私が若かった頃の心理学全般の雰囲気を象徴していたようにおもう。
どう見ても、実用的側面はないように思われた。
透視術の話に戻すと、たとえば、透視そのものの仕組みを解明しようとしたり、透視の実在を証明する研究に走らずに、透視が可能な人の存在の証明や、存在可能性を統計的に、あるいは、質的な研究により貢献しておれば、福来もインチキ学者としての汚名を着せられずに済んだのではないかと思えるのだ。
そうなると、福来の先生である元良勇次郎(もとら ゆうじろう、1858年12月5日) - 1912年12月13日)との関係が気になる。
『透視と念写』 福来友吉 東京寶文館 1913 とあるから、元良の助言を求めることもできなくなっていたのかもしれない。
【参考URL】http://www.library.pref.gifu.lg.jp/gifuken/predec/08.htm 岐阜県図書館のページ
本講座のなかでの福来の位置づけは、変態心理学(現在の臨床心理学)の研究が停滞した原因となった人物になっている。
日本の学問の黎明期においては、人材が不足していたことが垣間見られる。