はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る 石川啄木『一握の砂』
チンパンジーがすごくかわいいとしたら、おそらく全身毛むくじゃらであるのかもしれない。
はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る 石川啄木『一握の砂』
チンパンジーがすごくかわいいとしたら、おそらく全身毛むくじゃらであるのかもしれない。
老化によって時間の感覚が変わってくるのか、自然現象や経済環境などの環境要因により
変わってくるのか、よく分からないが、先週が「菊花賞」で次ぎの日曜日には、
もう「天皇賞」がやってくる。
夏が終わって、秋が深まった頃に、「菊花賞」というイメージが、古い過去に作られているので
あろう。
あるいは、かつては、新聞でしか知り得なかった情報が、JRAのメール配信に登録しておくと
自動的に知らされてしまうために、唐突な感じを受けるのであろうか。
新聞によると競馬の売上が年々減っているそうだが、様々な要因が輻輳しているのかもしれない。
全国地域安全運動に合わせて、門真市防犯連合協議会などが主催者となり、タイトルにある「市民決起大会」が開かれました。
1.主催者
門真市長 園部一成 門真市防犯連絡協議会会長 松本壽満 門真警察署長 岸信夫
2.激励の言葉
門真市議会副議長 田伏幹夫 大阪府会議員 宮本一孝 大阪府会議員 後藤太平
3.大会決議
門真市防犯協議会参与 奥田浩二
4.漫才上演 テーマ「消費者問題・犯罪防止」松竹芸能 酒井くにお とおる
5.防犯教室 大阪府警察本部府民安全対策課生活安全指導班 テーマ 「安全・安心のまちづくり」
とりわけ、「酒井くにおとおる」による漫才は、20分以上の演目で、とりわけ民法のテレビでは、まず、このように長い時間はやらないので、
印象に残りました。
12年に一度の公開とされている泉涌寺の舎利殿を見学してきました。
まず、入り口で、拝観料500円、舎利殿に入るのに500円、本殿300円御朱印300円の計1,600円かかりました。
で、ランチは、十条大宮にできたマクドの390円セット。
拝観料がかかるところが他にもあって、全部見ようと思うと、2000円近くかかるようです。
大きな御利益がありますように。
岡野憲一郎さんは、精神科医で、心理療法(精神療法)にも詳しい方なのであろう。
たとえば、記憶を長引かせる怒りを持たないためには、怒りをもたらした相手にものを言った方がよいという趣旨のことが
書かれている。
日本人は、会合でも、なかなか発言しようとしないし、話している方から見ても、ちゃんと了解されているのかも
分からなくて、イライラしてくることがある。
そういときには、やはり、そのことによって、怒りが生じていることを伝えたほうがよい。
このような実際的なアドバイスに満ちた本ではあるが、方法論のところは、具体例が少ないように思われて
やや物足りなく感じるかもしれない。
硬直的に考えるのはよくないが、自分に合った「忘れ方」を模索しているものには、役に立つのではなかろうか。
副題が「思い出したくない過去を乗り越える11の方法」とあるように、また、著者が、精神科医でもあるように、
たとえば、外傷性記憶のように、忘れてしまいたい忌まわしい記憶を
どうすれば忘れられるかについて、いくつかの方法を提示した書である。
本書では、どういう記憶が忘れにくいのかについて、いくつかの例をひいて具体的に示され、
次に、そのメカニズムを説明し、
最後に、忘れるための処方箋を示している。
たとえば、「親孝行」についての著者自身のエピソードがでてくるが、これなどは示唆深い。
ひとによって異なるだろうが、親に対して持つ感情というのは、一方では、いろんな世話を受けたという恩義もあるであろうし、
なぜ、あのとき、必要なあれを買ってくれなかったのかという不満足な記憶もあると思う。
このケースでは「恩を返す」というと、子が親に親孝行することになるのであろうが、
「恩は子孫に返せばよい」という発想が語られている。
親は、どうしてもよい面もあれば、悪い面も持っているので、対象に対する感情もアンビバレントなものになる。
そういうとき、この「格言」は、気分をすっきりさせてくれるに違いない。
十分に自分が納得できる親孝行なんかできない多忙な現代に於いては。
なお、岡野憲一郎「心理療法/カウンセリング30の心得」、みすず書房、2012が一番新しい著書である。
たまたま、ジュンク堂で見つけて買ったところ、おもしろかったので、続いて読む本を探したところ、そのなかで
タイトルに惹かれて買ったのが、紹介した本である。
鎌倉と言えば、大仏ですね。
でも、今回は、北鎌倉を目指しました。ここは、57年間生きてきましたが、「さだまさし」の「縁切寺」というフォークソングを聴いて以来
一度は行きたいと思いながら、なかなか果たせなかったものなので、感無量となるはずでした。
なのに、源氏山というのは、結構険しい部分もあるハイキングコースで、時間がかかりすぎること、縁切寺にたどり着くには、綿密な計画が
必要なのであきらめました。
その縁切寺こと東慶寺は、かってに想像していたのとずいぶん異なりました。
こぢんまりした寺で、ひっそりとしたたたずまいでした。
で、あと、円覚寺に寄って、北鎌倉駅から、横浜方面に向かいました。
円覚寺と言えば、鈴木大拙を思い起こす方も多いのではないでしょうか。
その頃、禅は流行っていて、私が過ごしていた京都にも、一般向けの座禅会などが開かれていて参加した思い出あります。
公案を重んじる臨斉系と、ひたすら座る道元の曹洞宗系の、それぞれの魅力に揺れ動いたものです。
私には、仏縁がなかったのか、それよりも、他に気を引かれることがあったせいか、仏門に入ることはありませんでした。
大阪から他府県まで仕事に行くとき便利なのは、なんと言っても駐車場のあるコンビニである。
ただ、毎回がっかりすることがある。それは、食べたい弁当などが売り切れていること。
他にも食品はあるではないかと言われれば、それまでだが、昨日なども、サンドイッチを買おうとしたら
カツハムサンドとかツナサンドなどしか残っていなかった。
せめてミックスサンドがあれば、よかったのだが、運転中、サンドイッチを食べようと思って
店に入ると商品がないという状況は大変困ったものである。
しかたなく、他のもので代替したが、支払総額が、548円になった。
これだと、支払額は、そう変わらずに、満足度の低い食事をすることになる。
こういう経験が繰り返されると、それは「学習」され、ひとつ手前のコンビニやマクドナルドで
食べようかと言うことになり、その店が、置いておけば、私が買うであろう商品がなかったばかりに
次の来店を難しくさせてしまう。
商品がないために、売上がなかった場合の「損失」を機会損失というが、売上機会ばかりでなく、
来店意志まで奪ってしまうとなると、サンドイッチひとつの問題にとどまらないだろう。
江の島電鉄で鎌倉に向かう途中、珊瑚礁というカレーショップで昼食をとった。早く行ったのに、行列が出来ていた。湘南では、有名な店なのだそうだ。海岸を見ながら、カレーを楽しむというコンセプトなのか、話しのネタには、一度行ってみる価値はある。
ただ、カレーの味に関しては、大阪の京橋のカレー屋さんに負けている感じがした。ブランドは、味以外のものでも作れるという見本のような店に思われた。