放送大学で、学んでいます

大学を出ているので、編入で全科生になりました。心理学を中心に学びまして、今は、再入学により、再び学びを始めました。

コブのない駱駝と鼻の短い象さん

2013年08月28日 | Weblog

「コブのないラクダ」とは、ザ・フォーク・クルセダーズの2枚目のシングル「悲しくてやりきれない」のB面に収録されている曲であり、少年であった私は、たぶん深夜放送で初めて聞いて愉快に思った思い出深いものなのだが、たまたま、藤圭子の死が、「うつ病」に依るものではないかと言われているように、その連想から、加藤和彦が思い浮かんだ。

日本人は、「甘えたくても甘えられない心理」(土居)を有しているのだろう。「甘え」てみることは、誰にも出来るが、心理的に、それが出来ないようになっているのは、「甘えて」その結果、その「甘え」が受け入れられなかったときの破綻を危惧するからなのだろう。

日本の文化は、「甘え」を許容するような外観を持っているが、現実には、そんなに「甘い」世界でないことは、誰もが知っていることだ。

「甘えた」人は、それにより破綻を来たし、「甘えられない」人も、それ故に破綻を来す。

 

許されているように見えながら、実は、どちらも選択できないようにしている「日本の社会」が、多くの自殺者を生んでいるのかもしれない。文化は、人を癒やしてもくれるが、そんなに甘くないことも知らしめようとしているようだ。


藤圭子さんの死を悼む

2013年08月27日 | Weblog

歌手の藤圭子は自死し、2013年8月22日午前7時頃、東京・新宿区内のマンションの敷地内で倒れているのが発見されたのだそうだ。ウィキペディアによると、1969年9月に、「新宿の女」でデビューとある。私が、中3の頃であるが、その3年後に発表された「京都から博多まで」が、お気に入りで、今では、あまりうたう機会もないものの、私のカラオケの十八番である。社会人になって、藤圭子のベストアルバムを買った。当時は、アナログのLPレコードであった。フォノアンプ付きの簡易なプレーヤーから、ラジカセのラインインにつないで聞いていた記憶がある。一番好きな曲が、その「京都から博多まで」で、そのアンサーソングである「私は京都に帰ります」が続く。ちょうど、思春期から青年期にかけて、巷で流行るフォークソングやニューミュージックとともに、よく聞いた曲である。何というのか、1960年代から1970年代は、経済成長著しく、喧噪の中にあったが、過ごした環境にも依るのであろうか、外部環境の雰囲気と、内部環境の雰囲気が、ともかく一致しない時代であった。藤圭子の歌は、私の心の中で、ずっと残り続けるであろう。


フロイト全集を読みたい

2013年08月21日 | 放送大学雑感

フロイトの「精神分析入門」は、40年ぐらい前に読んだし、文庫ではあるが、「夢判断」なども斜め読みしたものが、探せば出てくるであろう。しかし、日本教文社版だと、およそ21巻におよぶフロイトの著作の一部にしか過ぎない。精神分析にせよ、分析心理学にせよ、フロイト自身の書物やユング自身の書物は、全体から見ると、ほとんど読んでいないことになる。フロイト全集が、新訳で岩波書店から出ている。図書館で借りて読もうと思う。ただ、この手の翻訳書は、そうすらすらと読めないし、分からない単語も出てくるであろうし、誰かに聞けば分かるというものでもない。そこで、まず、日本人の手になる概観書を読むことにした。監修:西園昌久、編集代表:北山修「現代フロイト読本 1」 みすず書房、2008年を買った。

現役の分析家(日本には、30数名おられるらしい)により、重要著作43編が、様々な側面から解説されたものである。読み方として、北山先生は、自由連想法のように読んでいくこともよいようなことを書かれているし、以前、ラジオ番組(「きたやまおさむのレクチャー・アンド・ミュージックbyNHKFM)でも、そのようなことを話されていたように思う。読みかけたけれど、このラジオ番組でも聞いた「treib」という語彙を巡る英訳に関する話題も書かれていた。フロイトの著作が、ジェームズ・ストレイチーに依ってなされた際に、「instinct」という単語になったために、本来の訳語であるはずの「欲動」が「本能」に置き換わったのだそうだ。そういう背景を知りつつ、「死の本能」などいうことについて思い巡らしてみると楽しいかもしれない。 


「少女たちの学級日誌~幼い瞳が見た戦争~ 」NHK総合テレビ

2013年08月19日 | テレビ番組

2013年8月16日(金)午後10:00~午後10:50に、NHK総合テレビジョンで放送された終戦関連番組「少女たちの学級日誌~幼い瞳が見た戦争~ 」を見た。今年は、戦後68年。太平洋戦争もしくは、大東亜戦争に関する番組は、昔に比べると、かなり少なくなった気がするのだが、高齢化によって、従軍した人たちも少なくなっているだろうし、これ以上に、そのような人たちから何かが語られることもないのかもしれない。しかし、空襲を体験するとか、疎開を体験するとかで、何らかの直接体験を持つ人は、まだ多いのかもしれない。そんな番組の中で、ひょっとすると関西のみでの放映なのかもしれないが、この番組は、ビジュアル的にも、訴えかけるものがあって、また、滋賀県の大津市の瀬田という地域に限定させることで、うまく作られていたように思う。出自をたどると、滋賀県に行き着く私には、とりわけ興味深いものであった。あの時代に、よく絵の具とかがあったものだと思われたが、大津は滋賀県でも、経済の中心地でもあり、道具もそろっていたのだろう。終戦の前の年ではあるが、地域によって、あるいは、世代によって、あのように学級日誌なるものが作成され、保存されると言うことがあったのだろう。ネットの情報によると、その学級の担任であった西川綾子教諭が自宅に持ち帰り保存していたのだそうだ。

 

神経症は君だけではない

2013年08月09日 | 臨床心理学

大阪の京橋を歩いていると、「神経症は君だけじゃない」というかなり古びたポスターが貼ってあるのを見つけた。この道は、京阪京橋駅へ行くルートにあるので、何度も通っていたのだろうけれど、本日気づいた。

(ちなみに、この「メンタルヘルス友の会」は、ウィキペディアによると、新興宗教の勧誘団体らしい)

「神経症」というのは、"Neurosis"の翻訳語であり、18世紀ころよりひとつの疾病単位として提唱されていたらしいが、「今日では神経症は特定の性格傾向を基盤にして生じる心因性あるいは環境因性の心身の機能性障害と考えられている。」(岩波哲学・思想事典、1998年)

 

機能性の障害なので、たとえば、広場恐怖だと、電車に乗れないとか、バスに乗れないとかいった不便が生じる。

 

悩みというものも、そのために夜になっても眠れないとか、「悩みをなくす方法」というような「あまり価値のない本」を読んだりして無駄金を使うとかいう不合理をもたらす。

 

たとえば肩や腰が痛いときに、整形外科とか整骨院や鍼灸院に行くように、街の中に気軽にではあるが、制度的に保障された「悩みの相談所」があれば、大変好都合である。

できれば、保険がきいた方がよいだろう。というのも、保険なしで、1回5千円だと、8時間働いても、1日最大4万円にしかならないので、受付嬢などを雇うと、経営的にはかなり困難に思えるからだ。

このように、市場のニーズとサプライが釣り合わないので、成立しない産業は、公的部門が担当すべきだし、実際、精神の病気の人などへの制度は存在する。

 

要は、その病気までは行かないが、何らかの制約を受けている人たちへの支援をどうするかという課題であるが、これが難しい。

 

 

 


平成25年度1学期の単位認定試験が終わりました。寺田町探訪

2013年08月04日 | 試験対策・勉強

今期は、心理カウンセリング序説、教育心理学概説、心理統計法、乳幼児心理学を受講しました。そのうち、平日の31日にあった教育心理学概説は、仕事のため受験できませんでした。

やはり、通常休みとなる土日の科目にしておけばよかったと思います。

試験の内容については、このようなブログなどで公開できない規則となっていますから、書けませんが、本日は、心理統計法の試験が、11時55分からあり、乳幼児心理学の試験が、17時55分からだったので、

大阪学習センターのあるJR環状線寺田町駅を探訪してきました。

 

心理統計法は、計算問題があったりして時間がかかったので、退出できたのが、12時30分を過ぎていました。

 

インターネットで探しておいた寺田町の珈琲館(分煙ではありません)で、ホットケーキとアイスコーヒー(830円)を食し、

寺田町のパチンコ屋の二階にあるマンガ喫茶「マンガの森」に行きました。パソコンコーナーを使うときには、100円を先払いします。

3時間で750円となります。マッサージチェアも4台あります。ドリンクは、飲み放題で、持ち込みも自由になったと張り紙がしてありました。ここで、4時まで過ごしました。

それから、学習センター近くのデニーズで勉強しようと思ったら、入り口に「勉強お断り」の張り紙がありました。桃のショートケーキとアイスコーヒーを食べました。

個人経営の喫茶店は、何軒かみかけるもののちょっと暗そうですし、何よりも、喫煙者がいると嫌なので、めったに入りません。


夏の暑いときは、どこかゆったり過ごせる涼しい場所がいいのですが、勉強に使えるようなところは、あまりなさそうです。


「マンガの森」があったので助かりました。今後も、利用したいと思います。