今日は、美容院に行った帰りに、日経新聞でも大きな広告が打たれている中村仁一「大往生したけりゃ医療とかかわるな」幻冬舎新書、2012年を買ってきました。
最近は、この手の本が多く出版されています。
生まれてくると言うことも考えもので、50代半ばぐらいになると、あと何年ぐらい生きられるかとか、もっと具体的には、551蓬莱のぶたまんが、あと何個食べられるかということが頭の片隅に昇るようになります。
ぶたまんの季節は、やはり冬であって、ふうふうしもって食べるのがよりいっそうおいしいものです。データがないので、確実なことは言えないのですが、年間平均で数えると、最大でも年に5~6個、少ないと1~2個ぐらいですし、年間平均2個としても、あと20年食べても、60個しか食べられないことになります。
ぶたまんのことだと、食べられなくなるだけなので、さほど深刻でもないのですが、「死ぬこと」となると、これは、未体験の現象でもあり、かといって、考えないわけにもいかないという難問です。
この書物の特徴は、著者が体験したことを、著者の視点から医療界に対しても気兼ねなく持論として述べている点にあります。
ただ、そのために、やや偏見とも思える表現があります。たとえば、第4刷第3章128ページの「安易に『心のケア』をいいすぎないか」で、「心のケア」の押しつけがなされているのではないかという指摘がありますが、現実は、おそらく逆であろうと考えられます。
大きな事件が起きると、スクールカウンセラーが、学校に派遣されるというメディアの報道がありますが、それは、そのような専門家が派遣されてよかったという風に読み取るのではなく、派遣に頼らざるを得ない人材と諸制度が問題とされるべきでしょう。
本来なら、養護教諭が身体面のケアをし、常駐のカウンセリング担当(教諭)がいてしかるべきだろうと思われるからです。
アメリカのドラマを見ていると、サイコロジストが、学校や職場にしばしば登場する場面がありますが、その系譜は、学校教育における「ガイダンス(適性相談)」にあるように思われます。
なぜ、そのような誤解が生じるのかというと、著者自身が、よいカウンセリング体験を持たないか、かかわったカウンセラーがよくなかったか、あるいは、十分な研究をせずに、印象から、そのような判断を下しているのでしょう。
また、メディアが、ことさら、ことあるごとに、カウンセラーを派遣したことを騒ぎ立てることで、誤解を与えているとすれば、正確な報道が求められるだろうと思われます。