ダイヤルがない電話
これは昔(昭和40年代)私のおばあちゃんの家にありました。
受話器を上げて、横のハンドルをグルグル回すと、
電話局の交換手に直接つながります。
そして交換手に相手の番号を口頭で伝え、一旦切ります。
待っているとベルが鳴り、電話局から「つながりました」と電話がかかってきます。

私の家は、ダイヤル式の黒電話で、今の電話と同じように使えましたが
おばあちゃんの家に電話をかける時には
地元の電話局にかけて交換手に「〇〇(おばあちゃんの地域)局の〇〇〇番 即時」と口頭で言います。
一旦切って30分程待っていると、電話局から「つながりました」と電話がかかってきます。
「即時」(急ぐ)と言っても大阪から和歌山につなぐのに30分もかかりました。
おばあちゃんの家の電話番号は3ケタでした。
多分役場が1番で、公共機関から順番になっていたと思います。
その後、和歌山の山の中も電話が自動化されて、交換手を呼び出さなくても
普通にダイヤルするだけで、すぐに電話できるようになりました。
その時に電話番号も普通に10ケタになりました。
これは1970年の大阪万博の電気通信館に展示されたワイヤレステレホン

夢のワイヤレステレホン、ショルダーホンとしてお金持ちが持てるようになりました。

さらに小型化して庶民にも手が届くようになりました。

スマホも登場しました。

携帯電話は、両国にドコモの博物館があるので、ここでは扱っていないのかと思いきや
展示されていたので意外でした。
これは昔(昭和40年代)私のおばあちゃんの家にありました。
受話器を上げて、横のハンドルをグルグル回すと、
電話局の交換手に直接つながります。
そして交換手に相手の番号を口頭で伝え、一旦切ります。
待っているとベルが鳴り、電話局から「つながりました」と電話がかかってきます。

私の家は、ダイヤル式の黒電話で、今の電話と同じように使えましたが
おばあちゃんの家に電話をかける時には
地元の電話局にかけて交換手に「〇〇(おばあちゃんの地域)局の〇〇〇番 即時」と口頭で言います。
一旦切って30分程待っていると、電話局から「つながりました」と電話がかかってきます。
「即時」(急ぐ)と言っても大阪から和歌山につなぐのに30分もかかりました。
おばあちゃんの家の電話番号は3ケタでした。
多分役場が1番で、公共機関から順番になっていたと思います。
その後、和歌山の山の中も電話が自動化されて、交換手を呼び出さなくても
普通にダイヤルするだけで、すぐに電話できるようになりました。
その時に電話番号も普通に10ケタになりました。
これは1970年の大阪万博の電気通信館に展示されたワイヤレステレホン

夢のワイヤレステレホン、ショルダーホンとしてお金持ちが持てるようになりました。

さらに小型化して庶民にも手が届くようになりました。

スマホも登場しました。

携帯電話は、両国にドコモの博物館があるので、ここでは扱っていないのかと思いきや
展示されていたので意外でした。