歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

デビュー1周年!!

2010-12-25 00:00:01 | 日記
昨日、12月24日は『細川忠興戦記 本能寺将星録』の発売日でした。
早速、お手に取って頂いた方、ありがとうございます。

さて、1年前の12月25日は前作『関ヶ原群雄伝』の第1巻の発売日でした。
本日、智本光隆のデビュー1周年となります。
・・・と、開設2月弱のブログで言うのも、何か変ですが。

この1年間で『関ヶ原群雄伝』シリーズ3冊、そして『本能寺将星録』を発売することが出来ました。
近所の書店に自分の本が並んで、携帯で写真撮って帰ってから1年か。気がつけば、世間は再びクリスマス。
去年も今年も年末年始仕事ですが、これは非常に喜ばしいことですね。
間違いなく、人生がもっとも激変した年であったことは確か。

2010年の1年、計4冊の成果は決して私ひとりの力ではありません。
担当のA田さん、H川さん、そしてO田さんありがとうございます。
池田宗隆先生、何時も素晴らしいイラストを感謝申し上げます。

それから、日頃お会いする機会はありませんが営業の方々、印刷所の皆様、改めて御礼申し上げます。
明らかに迷惑かけてるな俺、特に今回は。

大谷吉勝様、細川忠興様、勝手に書きたいこと書いててすみません(いや、謝罪するなら敵役の方か?)


そして、読者の皆様。これからも智本光隆をよろしくお願い致します。



智本光隆


本能寺将星録紀行3―セミナリヨ―

2010-12-21 23:31:51 | 本能寺将星録
前回、別アングルと言いながら、何か同じような写真になった忠興、ガラシャ像を追加しました。
さて、何か久々ですが「第3回」は京都から少し離れて、織田政権の本拠地・安土へ。
最大の目的地はもちろん、あの覇王の城な訳ですが、今回はその前に寄り道(というか、道筋的には通り道?)を。
その前に、安土駅前には銅像が。



有名なのは清州でしたか?大分、イメージ違う感じですね。



さて、『本能寺将星録』では安土のセミナリヨが、結構重要な場所になっていたりします。
作中でも記述がありますが天正8年(1580)、織田信長により教会要地として下付。
イエズス会のオルガンティーノ司祭、高山右近によりキリシタンの子弟教育のために建設されたのがセミナリヨです。
建物は3階建てで教会と神学校が併設されていたとされています。
水色の屋根瓦は安土城とこのセミナリヨ以外では使用が禁じられていた禁色。
授業内容は日本文学、キリスト教理、ラテン語、修辞学、音楽など。
その後、本能寺の変で焼失し、2年余りの短い命脈を絶ったのがこのセミナリヨです。



ちょっと、住宅街が映りこんだかな。


もっとも、セミナリヨの正確な場所は分かっておらず、ここは推定地。
内装に関してなど細かい点は不明なので、作中では推測まじりで描いてます。
もう、完全に妄想状態というか(笑)

なお、このセミナリヨ出身者としては本作にも登場するパウロ三木がいます。
摂津(阿波との説も)に生まれセミナリヨ1期生となり、宣教師として活躍しました。
豊臣政権下のバテレン追放令後の慶長元年(1597)に捕縛され、長崎で十字架にかけられて殉職しています。
いわゆる「日本二十六聖人」として、バチカンによって列聖されてもいます。
もっとも、豊臣政権のよる一連のキリシタン弾圧の背景には、南蛮人による日本人奴隷売買が背景にはあるのですが。



奥のものがパウロ三木の碑。


ちなみに、このセミナリヨ跡は本当に安土山の直近。
本当にこの場所にあったとしたならば、信長からの優遇ぶりが窺えますね。



ちょっと左に振ると安土山が。


12月24日の発売日まであと3日。
さて、次回はいよいよ安土山へ。



『本能寺将星録』到着!

2010-12-18 05:02:07 | 本能寺将星録
先日のこのブログでお話しした通り、新作の見本が到着しております。


              
        『細川忠興戦記 本能寺将星録』 12月24日発売


池田宗隆先生、『関ヶ原群雄伝』に続いて素晴らしいイラストをありがとうございます。

さて、今回の表紙ですがメインはもちろん忠興なのですが、その甲冑は結構凝っています。
作中にも説明がありますが、眉庇の大きな兜に小型の面貌当、細川忠興が考案、完成させたという「越中具足」です。
・・・「作中の時期にあったのかよ」というツッコミは、全力でスルーする方向で。
ちなみに、陣羽織も「三斎羽織」と称された独自のもので、後に初期の明治陸軍でも採用されています。
いずれも実戦重視のデザインで、忠興の性格が良く出ているとのことです。

細川忠興といえば山鳥の尾の頭立が有名ですが、本作では同じく細川家に伝わる、
二つ靡の兜を着用しております。

本能寺炎上!!その時、忠興は・・・・・みたいな感じで。
皆様、よろしくお願い申し上げます。


智本光隆




六連星への営業?

2010-12-17 00:03:17 | 日記
発売日が迫っておりますが、その前に作者には見本が届くことになっております。
で、今回も『本能寺将星録』の見本が送られて参りました。
早速、明日スキャナーさんにがんばっていただきましょう。

その前に、まずは近所のある所へ。
前作『関ヶ原群雄伝』もそうでしたが地元の図書館、市役所、大学などにはおかせて頂いております。
あとは由縁の地ですね。大谷家なら敦賀とか。
謹呈という形になりますが。
で、今回もお願いしたのは有名自動車メーカーのショールーム(営業所)
細川家の家紋は九曜星ですが、それよりも少ない六蓮星がエンプレムのあの会社です。

ちなみに智本光隆は幼少時、「うちの車は特別に良い車だから、前に星が一杯付いているんだ」
そう信じてました。
1300Gとかレオーネとか。純粋な少年です。見る影もねえな。
そんな訳ですから、今作もよろしくお願いします!!ということで、待合(?)の本棚に並べて貰いました。
まあ、九曜の星はプレアデスだし。数は違うけど。

あくまで地元地元な話ですが、意外なところに『本能寺将星録』が並んでいるかも知れません。


智本光隆

深水聡之『異天正記』のご紹介

2010-12-15 22:00:14 | 日記
少し前のことですが、深水聡之氏のブログで前作『関ヶ原群雄伝』が紹介されております。
僕もブログ立ち上げに際して気が付き、此方でも是非取り上げようと。
・・・もう、開設から1月立ってますね。すみません、深水先生。そして、ありがとうございます。


  
『異天正記』(歴史群像新書)画像は9月発売の2巻です。


深水さんは「第13回歴史群像大賞」最優秀賞を受賞されているので、私より一期先輩(?)になります。

さて、この作品ですが主人公は三好孫七郎・・・後の豊臣秀次です。
智本光隆も・・・そして、他の書き手の方もそうだとは思うのですが、
主人公の選定というのは悩みどころ。
「この人で行きたい!」と思っても、世間一般的に先行しているイメージがあります。
『関ヶ原群雄伝』は小早川秀秋が準主役格でしたが、とにかく序盤は色んな意味で試行錯誤の連続でした。
秀秋のイメージ・・・まあ、説明は今更不要かと。

豊臣秀次はお世辞にも好イメージが先行している人物ではありません。
僕も「マイナー道」(笑)と言われたことがありますが、この主人公の選択は驚きました。
かなり大胆な試みだと思います。しかし、確かにチャレンジしたくもあります。
また、序盤の秀次の心理描写は他の作品にはない、斬新な手法が取られています。
もちろん、歴史背景は非常に精緻に描かれています。

第2巻『異天正記 巨龍降臨』はこの9月の発売でしたので、是非ともご覧ください。
ちなみに↓は深水さんのブログです。

深水聡之の棲む城  http://ameblo.jp/sat-in75/



智本光隆