歴史作家 智本光隆「雪欠片―ユキノカケラ―」

歴史作家 智本光隆のブログです。

祈念―がんばろう東北―

桜の花に癒され、地震の爪あとに涙し・・・しかしながら確実に仙台の街は復興しております。1歩づつではございますが、前進していきたいと思っております―8年前、被災地からこの言葉をいただきました。今年もまた、春がめぐって来ました。今も苦しい生活を送られている方々に、お見舞いを申し上げます。本当に1日も早い復旧、復興がなされますよう、尽力して行きたいと思っております。

『細川忠興戦記 本能寺将星録』下巻

2011-01-08 22:45:00 | 本能寺将星録
下巻の内容、学研出版サイトのものを転載しても良いようなので、
ブログの方でもご紹介を。


主君・信長暗殺の首謀者である羽柴秀吉を討つため、細川忠興・蒲生氏郷・津田信澄の三人は明智光秀に協力。
一方、兵力で勝る羽柴軍は、直接雌雄を決すべく東進。ついに山崎の地で血戦の火蓋が切られた! 
忠興は亡き主君の天下布武を継げるのか!?



作者的に付け足すとしたら・・・
明智光秀が「謀反」の先に目指した、この国の姿とは?
高山右近の真意は何処にあるのか。信仰の果てにあるものは?
秀吉、そして黒田孝高との決着は?

「天下布武」への想いを胸に秘めたまま、合戦に及ぶ細川忠興。そして蒲生氏郷と津田信澄。
悲壮な決意を抱く明智光秀、光慶親子。
火蓋が切られる山崎の合戦。その果てに忠興と、そして珠子の選択した未来は?
そこにあった覚悟と別離。


2011年1月28日(金)発売となります。
繰り返しますが、よろしくお願い致します。


智本光隆

校正終了から1日

2011-01-07 22:30:36 | 日記
校正終了から1日が経過・・・
まだ、どうにも身体の緊張が解けないと言うか。
大体過去数回は、次の日は身体のあっちこっちが痛いんですけどね。

さて、年末~年始と校正に費やしたので、遅まきながら多少は正月気分。
1月7日。23年前に昭和が64年の命脈を散らせたこの日。
ようやく、今年のカレンダーを設置!!



スバル航空機カレンダー2011


以前はスバル営業所さんからラリーのカレンダーを頂いておりましたが、
撤退してしまいました。
左上の卓上カレンダーは残っているのですが。

・・・で、代わりにこの航空機カレンダーを。
今年の表紙は九十五式水上偵察機(中島飛行機 1935)
海軍で採用された複葉機。

スバルの前身、中島飛行機の創業者、中島知久平氏は群馬県出身。
中島飛行機の全盛期は郷土の歴史顕彰事業にもかなり熱心だった人物です。
賛否はありますが、郷土史発展への貢献は大といえます。

そんなカレンダーですが表紙も入れた13枚の内、外国機が11機。
もっと国産機を入れて欲しいのですが、昔入ったのかな。
2009年表紙の彩雲が個人的にはお気に入り。


さて・・・今更ですが箱根駅伝何ぞの話を。
智本光隆に関係ある大学は出ていないのですが、強いて言えば母親の母校の國學院大学が。
今更ですが見てみました、「例の右折」の場面を!!
で、仮説。

1、母校の名誉とシード権を賭けた渾身の笑い。
2、わざとコースを間違え他校を誘導しようとした、高度な作戦。
3、早稲田から話題を奪おうとした捨て身の一撃。
4、同じ渋谷の青学より目立ちたい。

いや、笑い話になって良かったね、國學院。
何より、初シード権おめでとう!!



謹賀新年

2011-01-01 18:32:00 | 日記
明けましておめでとうございます。
本ブログをご覧の皆様に、新年のお慶びを申し上げます。

はじめて年をまたいだこの「雪欠片―ユキノカケラ―」
・・・なのですが、実は現在校正作業中。
「本能寺将星録紀行」および、本格更新はもうしばらくお待ちください。

デビュー実質2年目に突入する2011年。
本年も「雪欠片―ユキノカケラ―」ならびに、智本光隆をよろしくお願い致します。
もちろん、発売中の『細川忠興戦記 本能寺将星録』を何よりも。



智本光隆