中野駅前のランドマーク的存在だった中野サンプラザが、7月2日付で閉館となりました。2日は山下達郎さんのライブで締めくくったそうで、その後閉館のセレモニーなどもあって、サンプラザ中野くんが登場したと報道にありました。
サンプラザについては、物心ついた時分にオープンした建物でしたし、子供の頃は中野ブロードウェイの明屋(はるや)書店やおもちゃのポニーなどにお世話になっていたので、近くにあったサンプラザは小さな私にとって自ずと見上げる存在でした。駅前の風景として私が子供の頃から50歳を過ぎた今に至るまでずっとあり続けていた、とも言えます。インパクトのある三角形のフォルムは決して新宿の高層ピルほど高くないのに存在感抜群で、当たり前のようにそこにあったものがなくなってしまう、というのはやはり寂しいものを感じます。

(写真は6月に撮影)
サンプラザというと、大人になってからはコンサート等でお世話になりました。ホールの入口前に並んでいる人たちを見ながら、今日は誰が出るのかな、などと気になったこともありました。1994年のことだったか、セルジオ・メンデスの来日公演を観に行ったことがあります。パワフルな女性ボーカルや観客を楽しませよう、というパフォーマンスが随所に見られ、楽しいステージだったことを覚えています。
私の大好きなT-SQUARE(スクエア)もツアーでよくサンプラザ公演を行っています。一番遡れる記憶では1996年の「B.C~A.D」のツアーの時で、ベースの須藤さんだったかが「難しすぎて本当は演奏できないんだろうと思っている人に、ちゃんと生で演奏できるところを見せます」と言って本田さんの「難曲」である「Ciao!」を演奏したのが印象に残っています。スクエアのライブでは2010年代に印象に残っているものが多く、2015年だったかはライブの後、その足で東京駅に向かって東北新幹線に乗り込んで青森に行ったこともありました(翌日の三沢基地航空祭が目当てだったのです)。また、基本は場内の撮影が禁止のところを、2017年のように特別に観客に撮影の許可が出て撮影したものもあります。


(2017年のライブより)
サンプラザは大きな会場としての良さがあり、他の都市の会場(例えばZEPP名古屋など)はそれほど大きくないことから、サンプラザとは別の一体感のようなものが感じられます。また、サンプラザの場合はちょっと早く着きすぎたとしてもブロードウェイを覗いたり、近くに大きな書店などもあって、時間をつぶす場所にも苦労しません。
演奏する側のメンバーも思い出が多いそうで、当時のキーボード、河野啓三さんは「中学生のときにシャカタクのライブをサンプラザで見た」と言っていましたし、安藤正容さん、伊東たけしさんについては「ユーミンのツアーのバックをやっていたときに、サンプラザでもコンサートがあって、ユーミンが象(!)に乗って出てくる演出があって、あれには驚いた」と語っていました。初期のスクエアは歌もののバックバンドを担当していたこともあり、松任谷由実さんの「マジカル・パンプキンツアー」に参加した時のひとこまだったようです。象というのは小象だったようですが、それでもステージに象、というのはインパクトありますね。
コンサートホールのイメージが強いサンプラザなのですが、何年か前に仕事であの建物の中にある研修室にお邪魔したことがあります。あの建物の中にそういう施設がある、というのが少々意外で、本当にあのサンプラザなの?と招待のメールを何度も確かめたものです。
50年間、中野のシンボルだったサンプラザですが、老朽化と隣接する区役所などの移転等も含めた再開発で解体となります。作っちゃ壊しが東京の都市計画にはつきもので、特に自然災害や戦争などの影響も受けやすいことから、同じ建物がずっと残るのが難しい街ではあるのですが、なんでも更地にして高層ビル立てて、どこでも見かけるようなテナントが入って、という今日の再開発の在り方も決して好きとはいえません。海外(特に欧州)の古い街並みを見ると、東京の再開発もなんとかならないかなあと思ってしまいます。サンプラザという名前を残しつつ、跡地には大きなホールも入った高層ビルも作られるということでしたが、せめてそのホールが個性豊かな街、中野を象徴するものとなるよう願っています。


(2018年のスクエアのツアーTシャツより。各会場のイラストが描かれており、下段のEとRの文字のあたりにサンプラザがあります)
サンプラザについては、物心ついた時分にオープンした建物でしたし、子供の頃は中野ブロードウェイの明屋(はるや)書店やおもちゃのポニーなどにお世話になっていたので、近くにあったサンプラザは小さな私にとって自ずと見上げる存在でした。駅前の風景として私が子供の頃から50歳を過ぎた今に至るまでずっとあり続けていた、とも言えます。インパクトのある三角形のフォルムは決して新宿の高層ピルほど高くないのに存在感抜群で、当たり前のようにそこにあったものがなくなってしまう、というのはやはり寂しいものを感じます。

(写真は6月に撮影)
サンプラザというと、大人になってからはコンサート等でお世話になりました。ホールの入口前に並んでいる人たちを見ながら、今日は誰が出るのかな、などと気になったこともありました。1994年のことだったか、セルジオ・メンデスの来日公演を観に行ったことがあります。パワフルな女性ボーカルや観客を楽しませよう、というパフォーマンスが随所に見られ、楽しいステージだったことを覚えています。
私の大好きなT-SQUARE(スクエア)もツアーでよくサンプラザ公演を行っています。一番遡れる記憶では1996年の「B.C~A.D」のツアーの時で、ベースの須藤さんだったかが「難しすぎて本当は演奏できないんだろうと思っている人に、ちゃんと生で演奏できるところを見せます」と言って本田さんの「難曲」である「Ciao!」を演奏したのが印象に残っています。スクエアのライブでは2010年代に印象に残っているものが多く、2015年だったかはライブの後、その足で東京駅に向かって東北新幹線に乗り込んで青森に行ったこともありました(翌日の三沢基地航空祭が目当てだったのです)。また、基本は場内の撮影が禁止のところを、2017年のように特別に観客に撮影の許可が出て撮影したものもあります。


(2017年のライブより)
サンプラザは大きな会場としての良さがあり、他の都市の会場(例えばZEPP名古屋など)はそれほど大きくないことから、サンプラザとは別の一体感のようなものが感じられます。また、サンプラザの場合はちょっと早く着きすぎたとしてもブロードウェイを覗いたり、近くに大きな書店などもあって、時間をつぶす場所にも苦労しません。
演奏する側のメンバーも思い出が多いそうで、当時のキーボード、河野啓三さんは「中学生のときにシャカタクのライブをサンプラザで見た」と言っていましたし、安藤正容さん、伊東たけしさんについては「ユーミンのツアーのバックをやっていたときに、サンプラザでもコンサートがあって、ユーミンが象(!)に乗って出てくる演出があって、あれには驚いた」と語っていました。初期のスクエアは歌もののバックバンドを担当していたこともあり、松任谷由実さんの「マジカル・パンプキンツアー」に参加した時のひとこまだったようです。象というのは小象だったようですが、それでもステージに象、というのはインパクトありますね。
コンサートホールのイメージが強いサンプラザなのですが、何年か前に仕事であの建物の中にある研修室にお邪魔したことがあります。あの建物の中にそういう施設がある、というのが少々意外で、本当にあのサンプラザなの?と招待のメールを何度も確かめたものです。
50年間、中野のシンボルだったサンプラザですが、老朽化と隣接する区役所などの移転等も含めた再開発で解体となります。作っちゃ壊しが東京の都市計画にはつきもので、特に自然災害や戦争などの影響も受けやすいことから、同じ建物がずっと残るのが難しい街ではあるのですが、なんでも更地にして高層ビル立てて、どこでも見かけるようなテナントが入って、という今日の再開発の在り方も決して好きとはいえません。海外(特に欧州)の古い街並みを見ると、東京の再開発もなんとかならないかなあと思ってしまいます。サンプラザという名前を残しつつ、跡地には大きなホールも入った高層ビルも作られるということでしたが、せめてそのホールが個性豊かな街、中野を象徴するものとなるよう願っています。


(2018年のスクエアのツアーTシャツより。各会場のイラストが描かれており、下段のEとRの文字のあたりにサンプラザがあります)